ぼっちのぼっち。(だいだらぼっちの韻で。)

 

今年は蜩の声が少ない。朝と夕方に聴こえてくるのだが、少ない気がする。あの声を聴くとそのひと時、夏の幸せを感じる。洗濯物を干している夕方とかに聴こえてきたら、耳を傾けて響きを受け取る。暫く、苦しさがない。あったのかもしれないが、もう忘れている。不安にはよくなる。青年が苦しい時に、子供のころの思い出が良かった、あの頃は良かった、という時期があったりするが。自分は、突然思い出して、そういえばああいう頃があったのだ、と思う。普通の時があったのだ、と。わがままを言って、親を困らせて叱られて、友達と遊んで、勢い余ってけがをして。守られている環境があって。仕事をしている時も馬鹿なことを言ったりして。しんどいけど、いい時だった。そういうえば、そういう時が、と。
今を考えると、悪くもない。命を削っているわけでもない。ただ何もしないとか、やる気がないとか、そこに陥ると苦しくなる。少しでも本を読むとか、しかし、自分が言えるのはそれくらいで。前に進む、自分の力になること、というのは大してできていない。写真はいいな。最近暑いから出歩いていないが、気軽に撮ることができて、自宅で現像をして。ブログを書いたり、詩を書いたりしている。ブログも詩も書けることは助かっている。自分は自分だ、と思えて生きられたらいいが、ある程度はそうだが、人が弱いな。
世界と自分が思う必要以上に繋がっていることは、今の自分だと悪くもない。それと、直接向き合うのは勘弁してほしいが、もしかしたら、繋がっているのか、というくらいが曖昧で人と繋がっている気がして生きられる。単純にその人たちがユーモアがあって、楽しそうにしているのを観るだけでも助けられている。私が覗くそれらは変な人たちではないから。
色々あったよなー、と思って。この仕事をしていない6年間でさえ、色々あったな、と今思うに思う。しかし、よく思い返せばずっと寝ていたなという期間もあって、でも、そのしんどい感じというか、力ない感じの時期も嫌いではない。そういう時の方が、夕方の風を感じていたりして、命が感じている。ような気がする。しかし、それを続けていたらしんどさと後悔があとに来るだろう。ぼちぼち、前向きにやるのだ。楽しみながら。



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