ULTRA GARLIC

ブログをやってみたい、と思ったのはある女性が楽しそうにらしく、ブログをしていたからだ。今、ビールを飲んで、ULTRA GARLIC を箸でつまみながら、書き始めている。新しいことをしてみよう、そう以前の教会の牧師が言っていて、ブログをやろう、と思ったのだ。あの一時を感謝している。と、思って祈るのを忘れている。それをするんだろう、と言ってくれた、自分が今牧師をしている意味、意義を見せてくれた方が注意したことを、守らずにお酒を飲んでいることをこうやって書くのだが、わざわざ、飲んでいることを報告しなくてもいいのだが、程よい感じになることを気持ち良く感じている。私はこういう感じなのだと思っていて、父親が似て欲しくないところが似てしまった、と言うほどには飲まなくなったけれど。こうやって書くことで悪い影響を広めていることもあるかもな、と思うこともある。わざわざ広まるところでそう書くこともないのだが、生活に伴っているというか。そうだな、今はなき赤丹で、なごやふぐ(とらふぐでない、もっと安いふぐ。)で一杯やっていた時とか最高で。広まっていない、と思って酔いながらブログを書いて。そういう自由さがいい。色々なことが変わって、でも変わっていない様な気もしていて。でも、変わったのだよな。三浦宗一郎さんが動画で言っていたのだけれど、お金を持っている人でも幸せそうにしていない、でもお金がなくても幸せそうにしている人たちがいる。そこに何があるか、愛なんだと気付いた、と言っていて。若いのに、ように気付いたものだ、と思った。私は、この年でようやく少しは気付いたというか。でも、それなりに暮らせる必要性は感じていて。人は一人では生きていけない、でも依存してもいけない。少し、強く生きないと少なくとも自分はそっちで生きた方が良さそうだ。人間的には弱いのだけれど、これから歩む、経験を楽しんで(程よいのを希望。)まだ成長したいものであーる。(昔、図書館で読んだ詩集包まれました。情感というか。あの感じに。あの経験忘れていない。)

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