美味しい弁当だと思って、お金を払ってまずかったら、腹立つよね、と父親が言っていた。勝手にあれって本のことなのかな、と思い返すことがある。

 

生きているので詩が書ける。

感じることができるので、感動できる。

幸せになることができるから、料理を作る。

心にこもった空気を入れ換えたいから、人の話を聴く。

ぼーっとばかり生きていたら、面白いことが少ないから気を入れる。

ゆるい時間を過ごしている。

ゆるいなりに、自分の時間を旅していて、

それなりに時が経っている。

すっかり細胞が入れ替わっているような気がしている。

ゆるさにどっぷり浸かって、少し焦りみたいな気持ちもあるのだが、ま、いいか、と思っている。しょうがない、と。ぼーっとした人間なので、さらにそれに拍車がかかるのがちょっと恐いとも思っているのだが。写真を撮って、ブログに詩を書き、大したことでもない思いを書く作業があるとある程度の気持ちの満足感があるし、安定した気持ちになることができることも多い。ありがたい場所だ。6年間そうやって過ごして来たのだな、と思う。最初の方は私はのらなので、ちゃんと過ごさないと、と思って掃除とか頑張っていた気がする。途中からこのそれまでからすると、膨大な時間をどうしたらいいか分からず、危ない感じになる時があって、その時はそれではだめだよ、みたいな掛け声というかそれがあって、ちゃんと食事をして、と言われた気がして、喫茶店で食事を摂った。自宅の壁に寄りかかって座って、何もせずぼーっとしていた。何度も鬱屈した気持ちにはなったけれど、それが過ぎるとまたそういう気持ちになったのだな、くらいの耐性がついてきて。今は人とのことに一人でいる時間の方が楽だな、と思っている。もちろん、教会でのことで気持ちをリフレッシュさせて貰っている上での思いだが。人に対して気持ちが乗らないこともあるかな。でも、それでいいことにしている。今はそういう時だな、と思っている。美味しい物が食べたい、と思って料理を作ると沢山食べてしまうな。昨日はトマト缶が主軸の海鮮のカレーを作った。70キロ台になっていた体重が80キロくらいになってしまった。


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