料理をさぼることがそれなりにある。

 

色々、様々、世の中はごった返している、のだろう。
私は、離れて、ぼうっとして、
時々考え事をして。
弱気になって、
眠って。
起きると、外を歩くかと思って。
別にこれでもいい、と思うのだが、
まだ何処かで経験をしたことを忘れてはいけない、と、私は。
人を馬鹿にしたり、傷つけたり、
そうやって、世の中を渡りもしたこと。
抱き締めたこと。
心が苦しくて、動いたこと。
自分をいいように描いて、音楽を聴いていた。
それでも、経験したことを忘れてはいけないことがあって、
そうやって、生きて来たことは事実で。
手離していいこともある。
ただ、自分の心に引っかかっていることは。
そういう色々を諦めた時、どういう生き方になるのだろうか。
昔、諦めようかと思ったことがあるのだが、結局そう悪くない生き方を選択した。
どうしてだろうか。その昔、優しい人達に沢山触れたからだろうか。
諦めてはいけないのだろうか。(福祉の仕事をしていたことと、ブログを始めた時、悪いことをほぼ書かなかったのは、教会のおかげだ。)
いつか、間違うことはあっても、良かったぜ、という日が来るといいのにな。

自分なりに仕事をしていた時は真面目にというか、真剣に生きていた。と、書くとそうでもないか、とも思うが。恐い感じだけど優しい人間とか、あ、卑怯なことした、とか、時間を使うけれどちゃんと接している人がいたり、こいつ、やったな、とか。色々な人がいる。基本的にはいい人間に接することが多かった。色々が始まり出した時から、随分な経験を沢山して。悔しかったなー。人に接することがそんなに好きではなくなった。人が良すぎるところは改善した方がいいだろう。その分、いいこともあったのだけど。何も知らなかったから、自分は自然に接することができたのだろうか。心がやばそうだな、という人間もいたな。個人的に絶対関わらないでおこう、とその頃でも思った。
誠実なのは誠実なところがあるのだけれど、エロかったな。だいたい、女の人をエロい目で見ていることが多かった。ただ、知り合いになっていくと、人として女性としてだいたい、誠実に見ることが多かった。今はそういうことはない、ことが多い。大丈夫か、とも思うが。ちゃちゃっとは済ますが、自分からエロがなくなっていくのか。と、思ったが、ましになっただけで、まだまだ。星野源さんが、女の人はパンツが見えてはいけないんだ、太ももが見えるくらいでいいんだ、と確かテレビで言っていたのだけど。当時の私はパンツが見えた方がいいじゃん、と思っていたのだが。今は道行く女人の綺麗な太ももが見えるくらいで、ありがとうねえ、と思う。パンツは見えなくていいよ、と。老いているのだろうか。
しかし、所詮は何たらなのだ。突如、自分の現在地を思うと恐くなる。このまま老いて行く。馬鹿にされなかったら、もうそう生きても、と思うこともあるが、それでは情けない。ただ、どうしていいのか分からない。自分はそういうところは普通の人間なので。経験も殆どないし。ただ、想像して不幸せにするのではなく、幸せにする方が良いだろう、と思う。自分も相手も。(偉そうだけど、もし良ければ共に幸せになりたい。普通に会話ができるようになるといい。心を確かめることができて。時間はかかっても。)随分、間違ったけれど。ただ、惚けて生きていたのではない。さ、今日は料理が面倒なのでクックチャムの弁当だ。美味しいんだなー。本当に。

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