日差しが暖かいのだが、夜になると、また寒くなるのだろう。

 

様々に思いはめぐり、答えというのは見つかっていない。

経験や時の流れに、触れて流されて、

季節が現れては変わり、ただ年を取って行く。

詩を詠う機会があることは助けられている。

ある絵画に心が動いたことがあるように、

小さくても心を動かされる日々を、連ねることができる。

答えのことはよく分からないことなのだが。

もっと年を取った時に、自分にとって答えは

これだったと思えたら、

自分なりに気付けたら上等だ。


生きる力がそんなに強くはなかった自分だが、まあ、しぶといな、とよく考えたら思う。嫌なことがあって、色々あって生きようとしている。明るい日差しに子供を見かけると、その日差しにいて欲しい、と思う。自分も太陽の光を程よく、だが浴びると気持ちがいい。暗闇も気持ちがいい時はあったが、何分、年を取って来て、嫌なこともあったり、暗闇を味わえる体力がない。体力がない、という時点で余裕があるというか、元気側の基準を持っている気がする。そうありたい。答えは、なるべく年を取った時に、死を迎えそうになって、何かを感じて、もう十分やで。十分や。というその時の何かを感じたい。少し思うのは自分のことしか考えていないのだろうな、と思う。自分、結構影響力があるからな、と。自分だけのことを考えていると、どういうことになっているのか、考えずにいる。逆の立場になると、どういう思いをするのだろうか。どうなっても、生きないとな、とは思っている。もっと、我儘に生きていて、少しそういうことも取り戻したい。責任も持って生きるのだろうけれど。生きたい、というのが今書いている時点での思いだな。
今日は、カメラを持って外に出て、バッテリーの確認をするために電源をつけて、確認が終わったので、電源をオフにしたら、カメラのシャッター音が鳴って前にいた車に乗り込む奥さんに、カメラがレンズカバーを付けてはいたが、向いていて感じが悪かったと思う。時々、オン、からオフにした時にシャッター音がなる。ピ、ていう音はしないようにしているのだが、シャッター音は好きで、鳴るようにしている。

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