時間が経って行く。悪くもないが、良い筈がない。

 

やる気が出ない。甘えてもいるのだろうけれど、何かをする気が起きない。ダークな気分ではないのだが、何もしなくても何ともないので、何もせず部屋のありようが酷い。ぴりっとした香辛料みたいな何かを求めたいが、思いつかない。外に出ると陽は暖かい。もっと活動的になりたいが、そういう風な気分にならない。運動してたら違うだろうな、と思う。合気道、気持ちを合気道の方に寄せて行ったら、結構本気でやりたい。今まで殆どのことが中途半端や切れ端を齧るくらいのことしかしていなく。やり直しをしたい、という意味でもやってみたい。自分を変えて行く、一つの道だ。英語は月に1回をお願いしようと思う。そろそろ、勇気を出して。
頭の中が混沌としていて、筋道を立てて話すことができない。後になって整理して、こういえば良かったんじゃないかな、と思うことがそれなりにある。よく物事を忘れることも多いし。ただ、この約7年近く、本を読んだり、ちゃんとしたtwitter に上げられた記事を観たりしてきたからか、頭の中の混沌から取り出す内容がまともな内容であることがどちらかというと多い。頭の中、整理したいな、と思うことがあるのだが、中々そうはいかない。
腐りたくないので、新しいことがしたい、と思って教会の子供に言葉について何か伝えたい、と思って月に1回その場所を取らせて貰った。15分位で十分かな。考えてみれば子供に何を伝えるだろう、と思うのだが、最初は意識と無意識について簡単に説明が出来るな、と思っていてそれが終わったら何だろう、と思っている。大人であれば、お題を出して詩を書いて貰って、自分は、だがこういう風な感覚を感じている、こういう風にすれば言葉の道が筋が通るのではないか、ということを1か月後に俳句の査定みたいに伝えることはできるかな、と思うのだが。子供の場合は、どんな雰囲気か感じて、何となく掴めれば、1か月の期間時間があるので何かしたいな、とは思うな。自分のためだな。何か、自分も受け取ることができれば、生きがいになる。詩はその人の心に沿ったもので、こういう風である、と決めつけることはできないのだが、その心の伝え方をできるか分からないが、その人の心の伝え方として言葉を使って、その人の感覚として表わすお手伝いができれば、とは思うな。書いて、そこまでできるか分からないが、理想としてはそうだ。子供は思春期を迎えてそこから心の変化が起きる。尖った時期にもなるけれど、子供の頃、あいつがこういうこと言っていた、みたいな記憶が残せたらしめたものだ。種が落ちているのだから。
自分は自分よがり、というか自分中心の思いが大半なのだが、少し気付いてきたところもある。人には人の思いがあって、状況がある。他人のことを少しは汲み取ることができたら、いいな、とは思うな。何時までも無邪気ではいたくない。自分にとっては難しいことだけれど。自分に浸っているだけで満足するような、それで終わりたくはない。
良いギターを持っていて、良いカメラを持っていて、一人暮らしができていて、気が向けば旅に出ることができる。外食をして、飲みにも行くことができて、殆どが自由時間。何が足らないんだろうな。例えば生命(いのち)、他人から貰うそれ。これからの、未来。様々な関係。前に進まないといけない。時間が経って行く。

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