ねこのかいわ。はるちかし。

 

ち、ち、ち、ちむ、ちむ、ちゃりー。

ぶれているから、そのしゃべりなんですね。

ち、ち、ちみ。

わたしのかいた、はなしに、くろこ、というこころのやみの、ねこさんが、そういうはなしかたをしますね。

ち、ちみは。

はい。ねこのかいわですよね。

ど、どこか、いらついている。

いまげんざいは、そうでもないのですが、はるちかし、だからかな、とおもっています。

ちみの、ちみの、いらついたさいしょ。

そうですね。いろいろあって、もとのじぶんになりはじめたときに、ものすごいいらつきがあって、おさえられない、いらつきでひとにきがいを、くわえてしまうのではないか、くらいになったときに、おくすりをのんで、それがしだいに、しずまりました。

それから、それから、ずっと。

おくすりをのんでいます。

ね、ねこなでなでのときに、き、きづいた。おふろに、おふろにはいらなかったのに、おはだのちょうしが、わるくない。

そうです。ひどい、かゆみはなくて、きょうはいらつきが、少ないきがします。

ち、ち、ちむちむ。

なんでしょう。

ちみはこれからどうしたい。

そうですねー。やっぱり、いきがい、とやりがいですよね。なんていうか、それ、いかんやろ、というおもいはいまだに、ある。その、ちょっかんてき、きもちと、もうそうのはんいであると、むかしのじゅくせいが、よのなかをかえていく。しかも、よいこころをもって、よいほうに、よのなかをかえる、しんねんがある。そんな、ひとをおくりだせたら、というもうそうがある。

ち、ち、ち、ちむちむ。

なんでしょう。

うち、おんなのこ。くろこ、とは、とはちがう。

そうですか。あー。なんというか、かこをちょくし、したくないというか。じぶんの、なさけない、いきかたで、いきていたから、じょせいのことは、それもなさけない。でも、じぶんをかえていった。かこのじぶんをおもいだして・・・、もあったかもしれないけれど、かんきょうもあった。じぶんのほんしつ、みたいなものが、とがれていって、わるいものも、はんせいしないと、いけないものも、あるけれど、そんなにわるい、ものではなかった。いまのかんきょうも、おちついて、じぶんをみているというか、じぶんのこれ、よくないことだな、とわかりはじめている。

ち、ちみの、たいせつなこと。

なんていうかな。おとことして、えろかった。じょせいのことに、けいはくだった。いまのかんきょうや、としをへてきていること。けいけんも。そのたいせつなことは、じぶんこじんにとっても、じぶんというひととしても、たぶん、っていってしまうけれど、たいせつなことになるんじゃないかな、とおもっている。じぶんは、ほんとうは、えらそう、というか、なれてきたら、いぞんするというか。しんどいことをまかせっきりや、えらそうな、たいど、とか。そういう、しつをもっているとおもっている。そういうことをきをつけて、ながいめで、たいせつなことをたいせつにしないといけない。そして、ひととひとのことだから、いろいろ、あるだろうけれど、こころをときどき、かよわせて、たのしく、がいいな。たのしく、できたらな。あとは、そのひとのきもちがどうなんだろう、とやっぱりおもうし。でも、ひととして、かしこいのはそのひとのほうが、まずかしこいので、おしえられることもあるだろう。とか。どう、おもっているんやろな。という、げんざいです。

ち、みはどうするの。

うごきようがない、という、いまだにのきもちです。ふつうに、いきてきたにんげんなので。

ちみは、たいせつなことをよくないがしろに、する。きをつけて。

ひとのきもちや、いままでいきてきた、こと。やさしいひとたち。

ぷらいどのたかさが、もしかしたら、ちみをそうしている。ほんとうは、のたかさ。きをつけて。
それでは、さよなり。

思い出すと、感謝する人たちがいて、優しい人が多かった。

それぞれ、生きて道を歩んでいて。

私は本当は哀しい人間かも知れなかったが、

その知らせを聞かず。

やり直しをしていた。

人が優しいから、

自分のことを哀しいと思うことは、なく。

それで良かったのではないだろうか。

すべて、とは言えないのだが。


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