dilemma

 

薬を飲んでいないからか、

痒みや痛みがあるからか、

今日はいらいらする。

このいらいらは、介護士の時を思い出す。

冬によくなっていた。

アトピーや飲酒のし過ぎで、薬を飲んでいなかったり、

乾燥する季節と、この寒い季節だからなのか。

多分、この季節に薬を飲み忘れるのは、あまり良くないのだろう。

何度か祈って、

少し落ち着いて、

こうやって、何かを書くと、

気持ちがまとまって。

あの時よりは大分ましだな、と思っている。

調べたのだけれど、前掲(ぜんけい)を、ぜんかつ、と読んでしまったな。まあ、それは良いとして。
若干、男が好きなのではないか、という発言をしてしまったような気がするので、言い訳を。弁明を。皆さんは、私の暮らしを好きにやっているな、とお思いかも知れませんが。実際好きにもしているのですが、まだ、働き盛りの年で、元気がある年で、どちらかというと、無理やりに仕事を辞めさせられるような、力が働いて。別に仕事はしなければ、しなくてもいいのですが、家で一人でいることがまず、殆どで。時々、何かの働きで嫌な目にあって。自分がもっと問題のある性格だったら、また違ったのかも知れないが、我慢を続けて。相談する人もおらず、今は相談する人が欲しいとは思わないけれど。もっと、希望を持って生きていたと思うのに、自分のことについてはだが、豆腐に釘を刺しているように手応えはなく前には進まず。そうやって生きていたら、子供に変な反応ではないのだけれど、びくっと、反応してしまうことが、発生して。もの凄い、自分の自尊心が傷ついて。その内に、何でここにいるんだろう、と思うようになっていて。信仰、というものがよく分からなくなって来ていて。もちろん、感謝していることも、沢山あるのだが、そういう風に思うようになっていて。新しい牧師さんが来て、最初は何だろう、と思ったこともあるのだが、若い頃に純粋に神様の言葉にすがっていた話を時々耳にすることができたり、だんだん、メッセージも若い力が入った話を聞くことができて。多分、希望も持っていて、工夫もしていたり。何というか、エネルギーみたいなものを、感じることができて。正直、助かるな、と思っていて。自分のエネルギーが大分少なくなっていたように感じていたので。そういう中で、他にも信仰を感じる人たちのそれに触れる機会があって。それぞれの何かがあるのだ、とやっと気付いて。生きる力があって。そうやって、いると祈ろう、と思うようになっていてなぜ、そう思うのかは分からないが、祈ろうと今は思っていて。それと、その祈りの先にはイエス様がいて、イエス様に祈りをお願いするというか。自然にそこにいて、大袈裟なつもりでなく、自然にそうなっていて。自分からそうしよう、と思っていて。長い、祈りはそんなにはしていないが、今日だったらこのいらいらを鎮めてください、とか。小さなことをこつこつ、祈っている。振り返ると情けない奴だな、とそういう風な自分が悔しいが、一旦認めて、先があるなら、というか、見えて来るなら、希望を持って生きたい。もうすぐ、この暮らしが始まって7年になるが、いいこともあったし、いいことサイドから見るとそうだったとも思うが。なかなか、苦しかったぞ、とそっちのサイドから見ると随分だな、とも思う。もっと、普通の人間だったのだが。年も取っていて、テレビでも若い頑張っている人を観ると、いいなー、元気を貰えるな、と思う。自分ももうちょっと、元気を出したいので、それを祈って。また、自分の現実が動くことを祈って、強く、自分なりでいいので、強く生きたいものだ。

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