間抜けなのを何とかしたい。ギターを弾いて必ずミスるのにも繋がっていそうだ。

 

好きなことは、休みの日に喫茶店に行って、

美味しいコーヒーを飲み、詩を読んだり、本を読んだり、

そして、気持ちがどこか纏まって行くことだった。

特別なことではない。ただ、その言葉に集中して、

散漫な心を癒すことだったのだろうか、とも思う。

今もそうしていたいし、そういう時が来ると、

時々だけれど、そういう時が来て。

結局はそれは自分にとって特別なことなのだろうと。

そういう大切な時。

時々、あの時からもっと色々やれば、とか思うことはあるのだが、自分の限界があるだろうし、自分の容量はそんなにすぐには大きくならなくて、ゆっくり少しずつ変化して行くしかない。ただ、偉い、と自分を褒めたいのはある時期から喫茶店を利用しても本を読むことを続けたことだ。父親にはちゃんと、本当に読めているのか、と言われたことはあるのだけれど。確かに、難しい本は本当に読めていたかは疑問があって、読んだ気になっていたというのもある。しかし、続けていると分かってくることもある。すごい世界の住人はいるけれど、自分はまずは自分なりにできることを、自分を褒めてそれこそ継続だよな。今までも自分と付き合ってきた。自分が思うに自分はそんなにすごくない。足元を見て、できなかったことを積み上げて行きたい。ただ、料理をちゃんと作り出した時の新鮮な喜びとか、歩いていて穏やかな気持ちになる場面を目の当たりにすること。今、書いていて、めのあたり、と打って、正解は、まのあたり、だ。こういうことも少しずつ補正して行きたいし。ただ、今の生活で大切だな、と思うのは、陽の光を浴びて良い知らせの時に出会うこと。以前に、風で揺れる青もみじが近く、それを見上げたら一羽の雀が細い枝に掴まって揺れて、見え隠れして。何回目かにもみじに隠れた時に、もういなくなっていた余韻が可愛らしく。出会えたことに感謝した。つまらない言い方をしたら、昔の自分が今の自分に言いそうなのは、老人化したな、と言いそうだと思う。しかし、ネットで観る風に言うなら、心の解像度が上がったということにしよう。動画の切れ端を観て思うには、自分の考えが高まったり、物事を感じる解像度が上がったりするには、自分が考える訓練や感じる訓練、をしないといけないかな、と。AI とも上手に付き合わないといけないのだな、と。私ら生身の人間で、そんなに簡単にスキルが上がるものでもない。スキルが上がる実感とか、感じながら時々喜んで生きないといけないのだな。chatGPT ってどういうものなのだろう。

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