人生いろいろ。

 

時間は進んでいる。

私もその時の速度に乗っている。

生じて、時に流れ。

そしてまた、何か生じて、時は進み。

思い馳せて、

横になって目を瞑る。

甘んじて横になり、

その日を暮らしている。



そりゃそうだよな、と思っている。生きて行かんとな。無邪気なところがあるけれど、そういうことを経ている、ということで。頑張ろう。幸せになるのだ。優しいのは優しいのだけれど、いい人ぶるのも、それに警戒感がある。経験で知る。
前向きなことは何かあるかな。食器は洗ったな。部屋はやさぐれて汚い。洗濯物は今第一段が洗濯機の音が鳴った。ねずみ人形は机の上のチラシや本に埋もれている。9月30日が応募締め切りの坊ちゃん文学賞に1作品くらい応募しようかと思っている。随分、ショートの小説を書いていない。なまくらかることもあるだろうし、1作品くらいは書いてみようか。現役の人たちは、沢山書いているし、その場がある。仕事になったら、大変なのだろうな。生活がなまくらかっているので、そう思う。思えば、何かがさび付きそうな、生活だ。詩は書いているが、緊張感を持っていない。時の流れを、ふと思ったりしながら、流れて生きている。ちょっと前には、本を読み、英語を時々して、ギターも時々して、何かはするように生活を気持ちとして意識していた。どうでも、ええねん、になり始めて、どうでもいい生活をしていた。しかし、充電メモリが溜まり始めましたよう、と身体や心が知らせてくれて、英語もギターもしようと思え始めて。昨日眠剤を飲んでもあんまり眠れなかったが、今日の朝は寝過ぎないようにして、少しは作業をした。脳がボケていたが、10分の呼吸を整える瞑想をして、本を読んでいたら、ボケていた脳が、段々さーっと文字を読み取り始めて、何とかその本を理解しよう、と働き始めた。ボケの中のボケではなかったようだ。
もうちょっとだけ、普通の人でも良かったが、明るい未来を、思いを馳せることにする。案外、ありゃあ、ということだったりするのだけど、幸せでありたい。
人に迷惑をかけているだろうし、色々だろうし、そういうことは心の隅に少しだけ感じるくらいで。自分も嫌な思いを沢山している。だから、幸せを求める。祈ってもいる。時々だけど。ああ、良かったな、という未来を願います。
もうちょっとだけ、普通の、とは言っているが、時々の人が発するメッセージに、うおお、とはなっているのだな。興奮してしまっている。間接的や2次元でそれを観ているから、また普通に生活ができている。助かる。ほんまに。
本当に哀しかった時に、触れてくれた思い出でいい。それだけ、感謝して。

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