じわじわと身体に良きものを浸透させる。

 

今年で45歳になる。確かに焦っている。このまま行くのか、とか。さっきまで寝ていて、起きた時に思ったのは、できないことだろうが、一旦諦める、を意識する。馬鹿にされるのは嫌だが、名目上(事実とは異なるが、の意味。事実でもあるところが、やっかいでもある。)病を持っていて、仕事ができない状態である、ということになっている。だから、こうやって生きていて、未来はそんなに焦ってもしょうがない。でも、生きて行くので、日々を過ごし、しゃあないやないか、病を持ってるのやから、将来が飯を食えていたらええやないか、と。
書いてみたのだが、できそうでもあるが、私の性格からしてできないだろう。だからと言って、と、思いつつ、仕事をしなくなってからの生活を思い返す。正確ではない今思う記憶。
まずは、小説を書くことを目的とした1年目。つらつら、と軽い文章を意識していた。
2年目は何をしていいのか、分からなく本を読みながら、鬱屈もしていた。短い文章の賞にも応募していた。夜中のマクドナルドとかで文章を書いたりしていた。今、マクドナルドで文章を書けるだろうか、と思う。もっと静かな音楽が流れている場所の方が今はいい。でも、思い出すと良い記憶だ。時々、いい音楽も流れていたし、音を気にしない気力があった。
3年目、どうだったかな。英語をちょっとずつ始めていて、中学生英語を思い出しながら。小説をまた書こうとしていて、ネットでも何やかあった。小説も書けた。ただ、私の多めを意識した小説は、大した量ではない。一度原稿用紙200頁くらいの小説は書いてみたい。話のネタが続かない。
4年目、少しずつ打解けて行った牧師さんが亡くなった。お互い、気を許し始めたところだった、と自分は思っている。ある方のお孫さんたちや子供を牧師として抱き締めていた時に、自分は今、どういう思いで牧師をしているのか、というのをそれを見た気がしている。
5年目、コロナウイルスの影響が始まっている。どうだったか、あまり記憶がない。ギターの練習を意識的に始めたかな。この年くらいにはもう大分、この不思議な生活にも慣れてきていた。定期的に鬱屈はするけれど。そういえば、アイデアとかもネットに載せていたか。ネットに助けられていることを、実感しているそういう年でもある。
6年目、本を読んだり、英語をしたり、ギターも弾いたり。これらは、そんなにはできていないけど、本はちゃんと読んでいるな。1年目とかの方が何をしていたか、分かりやすいのは、していたことがそんなになくて、ただ小説を書いていた、とかだから。年が経つにつれて、やることもそんなには、だが色々やり始めている。写真も無邪気に楽しんでいる。秋には釣りによく行った。
7年目、新しい牧師さんが来て、教会も色々始まった。聖書のことを知る機会が多くなって、知らなかったことも沢山あり、なるほど。教会が変わり、聖書教育のテキストがあり、知る機会ができたのは良かった。
まあ、偉いか。そう自分に言っておこう。がつがつにはできない性格だし、のらりくらりでも自分のスキルは上がっている。小説はショートショートは今年は1作品は書いてみよう。小説の能力が錆びついたらいかん。子供のことは、言って廻っているだけだな。何ができるかなんて、よく分からない。妄想だけだ。興味があるなら、本を読むくらいだ。でも、全体的に頑張ろう。のらりくらりでも。ポコアポコでいい。人間としての精神と病としての精神、弱いところがある。無理せず、でもじわじわと浸透するように、自分の何かを広げて行こう。

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