自分がどう思うかだ。人がどう思うかを気にし過ぎないように。

 

詩を書こうと思ったが、そういう気になれなかった。運動をする日なのだが、さぼりそうだ。憤りとか、現状の歯がゆさとか、大切なことかもしれないが、何のイメージも湧かないこととか。向こうも大した気持ちがないのではないか、とか。まあ、そうだろうけれど。しかし、そういう設定になっているなら、傷付くだろうな、とか。私は本当は頑固で自分が本当に思ったことは、結構思い続ける。譲らないことも多い。普通なのかもとも思うけど。さて、どうしたらいいんだろうな。そして、どうしたいか。気の合う人と話したり。前向きな思いになれて、自分の何かが前進したり。そういうこと。心がみだれている時に、机の電気スタンドをつけて、何かをボールペンで書く時、段々騒がしさが沈み、静かな気持ちになることがある。
母親が言っていたが、父親は立派な人だが、もう少し普通の人が良かった、と言っていた。そして、私も普通の人ではない。立場も、その経験も。自分で生きている分には思うこととか、あほさ加減とかその頃の自分とそんなに変わらないけどな。大人にはなったな。そういうこと経験しなくても、何か持っていたかったけれどな。少しは持っていたはずだけどな。大学に行って、父親に実家に帰った時に、大学に行かせて良かったことがある、と言われたことがあって、あれは何だったんだろうな、と思うことがある。専門科目のことは全然分からなくて、でも一般科目の面白いと思ったことは、自分がちゃんと思ったことを書いて、提出していた。今記憶の限りでも中には面白いことも書いていたのがあるんじゃないかな、と思いたい。その頃でも、何か持っていた、と思いたい。
自分の子供がもしまかり間違って、できたら、かわいそうだな、と思うが、全力で守るだろう。しかし、でも自分と同じように根本的に人間的馬鹿、だった場合、父親と似たようなことをすると思う。私がリストカットをした時、多分父親は知っていた。深く、傷付いただろう。お前は自分のことしか考えてないんじゃ、と言われたことがある。自分の子供、もしできたとしたら、普通に育って欲しいけどな。
現状、イメージは詩を書いたり小説を書いたり、文章のことを勝手に伝えたり、写真を撮ったり、ブログを書いたり、おせっかいに何かを言ったり、気落ちして、眠り込んだり、されたことに怒りを燃やしていたり、本を読んだり、何か妄想してたり、段々先のイメージができなくなってきたり、ただ、日々を過ごして料理を作ったり、クックチャムでお弁当を買ったり、今日は家から聞こえてきた子供の足し算をしている声に癒されたり。やりたいし、やらんとな、という夢を生きてきた中で、自分が本当に思ったことをやらんとな、と今巻き返しの思いが湧いてきたり。何ももうしていないが、小さい規模で十分だから、やらんとな。最初、思ったこういうことができるかも知れないんだよ、ということをやらんとな。自分の本当の思いだ。頑張れ自分。取り戻せ、思いを夢を、希望を、愛を違うかもしれんが、あんぱんまーん、ちなみに私が小さい頃はあんぱんまんは、絵本だけの時代で、好きだったのはかれーぱんまんだ。理由は美味しそうだからだ。

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