優しさに焦がれたなら。

 

人間関係とは脆く、でもとても優しいものだ。

少なくとも、今は現在はそう思えている。

少し距離を、一定の優しさを置いて。

そういう、多分そういうものなのだ。

こういう告白をすると、よくそれが駄目になる。

でも、今は勇気を持とうと、振り絞ってそう思う。

沢山の失礼な、考えのない、余裕のないことを言って。

そして、私はそれでも生きる。生きたいと感じ、その意志をも持っている。

悪意は自分にもあり、他人にもある。

それを、強く生きる。

時々、優しさに触れて、安心して眠る。

そして、何度でも生きる。

そして、人を。人に配慮を持って、それを私は努力を。感じたことがあるように。

間違いが多かった。

間違うと、とても哀しい、私も人も。

それらは、なるべく自分のためにではなく、人がそう思うからを、もし大事にできたら。

生きたい、今は今もそう心が感じている。

考えがない、を何度も経験して、成長は少しだけだ。人間的に馬鹿はましになってきている。こういうような話はここまでにしておこう。
ふとした時に人から貰う優しさ、ありがてえ、少しのこと、ふとした雰囲気。今までの優しさ。強くいたいもんだぜ。何か楽しいことを書こうと思ったが、思いつかない。
おばあさんが作っていた、無農薬の人参。焼酎と何かしか消毒に使っていないのを、その何かを忘れた。たまに行くとか言って、行っていない。そんなもんだ。それくらいのことだったら、父親が時々言う、そんなもんだ、を思い浮かべて大体はけりをつけている。引きづったりも、でも殆ど引きずらないか。時間が経ったな。時間が経つこともそんなもんか。楽しいことが書けねえ。
今日は朝早く起きて、結局2度寝をした。釣りに行こうかと思ったが、寝た方がいいと判断した。行っても良かったけどな。秋は釣り(秋祭り、の音で感じて欲しい。)。もうすぐ誕生日だ。45歳になる。年は取って行くなー、と思うな。ああ、と思う一方でそれはそれでいいこともあるな、と思っている。この生活があるからかも知れんが。
ショートネコステのストーリーが浮かんでいるが、陳腐だし、でもそれが自分だと。描かないなあ。取り組もうかな。そういえば10月に入っている。
ブログを続けていて、文字が一文字抜けていたりする、と思っていたら、手で文章を書いている時にも、一文字抜けていたりする。最近、それをすごく感じる。最近のことだ。
時が来た時、つまり神様が定めた私の終わりが来た時。人間て、捨てたもんじゃねえ、と思えたならいいもんだと思っている。いきなりシャットダウンするかもしれんし、生きている意味何かねえだろう、っていう延命治療では絶対に生きたくない。

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