秋を過ごす。ちゃんと、秋の期間がありますよね。ね、ね。

 

秋をすっかり感覚して、
今なら、夏を少し遠い季節と過ぎ去ったことに思い、できる。
不安には、時々なるのだけれど、荒波にあるようなことも、あったと、
自分なりに。
もうちょっと、自信を持っても良いのではないかと、考えて。
うじうじするのも自分で、自分と付き合って、
まだ人生を続けていたい。

置き売りのレモン2個で100円を買って、1個の半分を絞り蜂蜜を溶いて炭酸で割って飲んでいる。レモンシロップみたいにしなくても、これでも十分美味しいんだ、と思った。最近、思った、をやっぱり使い過ぎかな、と思った、のだけれど、自分の今ある生活は思った、くらいにゆるいのだな、と。過去のことは荒波ほど荒波ではないけれど、自分の意識の状態が変な状態で、そのまま仕事をしなければいけない時は、しんどかった。もともと持っている不安に陥る状態は、自覚して客観的に見れたらな。言われて腹が立ったことではあるのだけれど、確かに守られていた。導かれてここにいる。でも、その間に自分の物語があって、それは大切にしている。今は、友達というのは面倒で、でも以前に気のいい人がいたり、昔の友達で気にしてくれていた奴はいる。自分がしたことにそれを知って多分幻滅しただろうけれど。それに、子供の状態が終わって、その時に自分が電話をして会って、話を聞いてくれた奴もいる。どうなったか、電話をくれと、ちゃんと言ってくれたのだが、自分は電話をすることができなかった。集中力がある状態が終わって、勉強ができなくなって、焦ってそれを報告することができなかった。今は、音信不通だ。大学時代、大学を中退することになった時に、ひろしさん、という人がいた。ヤンキーっぽい人で、メタル系のダウンピッキングとかのベースがかなり上手かった。私は結構その人のことが好きで、最後にその人は、お前がもっと強かったら(心が。)大学を中退することもなかった、と言ってくれた。私はその時言ってくれたことを忘れていない。大学のことは時々、夢に出てきて後悔のそんな夢であることが多い。失敗をしてから、やり直す夢で途中で醒めたり。しょぼかったなー。今もだけれど、だーいぶ、ましだ。そういう失敗があってから、暫くは人間関係が嫌いで。教会の人たちは親切だったから、また違うけれど。介護士をしていた時は、若い人も気のいい人で、結構遊びに連れて行ってくれた。大分回復してから、そうして今のようになって。でも、結構慣れてしまって、呑気に暮らしている。苦しくなる時も、最近は時々だけれど、あるのはあるけれど、この時間に感謝をしている。このままいつまでも、というのは恐いのだけど。まあ、こうして生きて行くしかない。経験のなさを言われたら恥ずかしいし、腹も立つだろうが、それがなかったら、美味しいもんでも食べていたら幸せだし。年は取って行くのだけど。季節の変わり目とか、冬のかなり寒い時期に春の気配があると感じている時は、やっぱり調子を崩すような気がする。さて、今日の夕食は何にするかいな。

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