力が入りすぎている、ことが多い。

 

もっと簡単に、もっと力を抜いて、

生きていた。

もっと簡単に、もっと力を抜いて、

物事を見ていた。

状況は変わり、私も変わって、

もうちょっと、何とかならんかな、と願うこともある。

眼が覚めて眠れなくなった。昨日作った、さつま汁を温めすすり、暫くした今、コーヒーを入れて飲んでいる。コーヒーはやっぱ、美味しいやつがいいわな。何か色々をずっとさぼっていて、少しは本も読んではいるけれど、ギターなんかは教会の讃美歌を練習する時以外、触ってなくて、昨日ギターを触ると、弾きたい、と思った。英語も同様。
聖書のイザヤ書が今、教会の聖書教育のテーマというか、暫くイザヤ書を取り扱っているのだが、半分くらいイザヤ書を読んで、これは説明がないと、ちんぷんかんぷんだ、ぽんちんぽこぽこ、ぷいぷいだ、と思った。
ちょっと思ったことで、あるミュージシャンが若い頃、自分の全部を見せる程ばかじゃない、みたいなことを歌っていて、それって、旧約の聖書にも似たことが書かれていることがあって。そのミュージシャンが30代くらいになって、顔が穏やかになったんじゃ、と勝手に自分は思っていて。若い頃って、何かとげとげしたした、場所にいないといけないこともあって、いきっているやつがいたり、きしゃないやつがいたり。大人になってもそんなことはあるか。でも、そのミュージシャンは今いい場所にいるんだろうな、と思った。
お金に余裕があるので、やる気がない期間、いつもよりは外食をした。クックチャムのお弁当や、スーパーの総菜を食べたり。自分で作るのには、何品も作ることはなく、ただ何品かある素敵な食卓にしたいな、と最近特に思っている。後は、ちょうど良いうす味を心がけたいとか。
仕事をしなくなって7年経つ。自分は仕事を始めるのが年齢的に遅く、それまでに少しはバイトもしていたことはあるのだが。なので、今の私の年齢の人くらいには、仕事をしていた期間が短い。福祉の仕事をして、軽薄な自分の性格に、ここでは良い意味での軽薄さが、その福祉の仕事に合っていたところもある。しかし、思い出すとあの状態から、げっそりとは行かずともしていて、親の計らいで専門学校に行かせてもらって、若い元気さについてゆけず。福祉の仕事に就いて、だんだん元気になって行った。仕事をしなくなってから、最初はよく鬱屈していた。人と話す機会が少なく、あほっぽいくだらない話もすることはなくなった。もともと、少しは本を読む時間も持っていたのだが、兎に角時間があって、鬱屈しながらも本を読む時間が増えた。とは言っても、1日のうちの2時間読めばいい方で。そう言えば、介護士の頃に、自分は普通より常識を知らないと感じて、休みの日に日本経済新聞をその頃はスマホは持っていなかったので、電子辞書で分からない言葉や、事柄を調べながら読んでいた。インターネットではどこまでが、どうで、どうなってはるんやろ、と間接的な感じとり方で、特に初期は無邪気に関わっていたし、まだそういうところもある。今は教会の人と話す機会も以前よりはあるし、何か良い方向に行っている感じがする。すぐに苦しむ私ではあれど。色々を諦めないようにしないと、と考えている。


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