12月26日、平和な日々を。

 

今年は何をしたか、夏はよくやっていたので憶えているが、他の期間は何をやったか、はっきり憶えていない。旅行は楽しかったな。今年の冬から来年の冬にかけて子供についての本を読んで、ノートにまとめてと思っていたが、ずっとだらだらしている。これは軌道を修正したい。今年の最初も今よりは活動していた。写真がもっと上手くなりたいとか、思ったり、ギターや英語もまだしていた。なんだ、いまのぐーたらさは。いつかもとに戻るさ、と思っていたら、全然戻らずぐーたらしている。結構自信がついてきた文章のことも言葉の使い方とか間違っていたりする。ショートショートは書いた。ブログに書く詩もぶつぶつと呟いているだけであることが多い。詩なのか。詩の時もある。
そういえば、何かを教えたがっていたのを思い出す。教会で写真を使って詩について書いてみよう、という時間は自分にとっては面白かった。月に1回教会に来るお子さんにも何か言いたくて何かを伝えていた。自分にとって楽しい時間だったが、今はその意欲も薄れている。
今年の中盤、教会を出ようとして、また舞い戻る。何だか。それまでも嫌なこととかあって、何でここにいるんだろう、と思っていたことがあって今年になってきっかけがあったので、出ようとする。そして、すぐに戻る。すごい楽しい今の状況ではないのだが、優しい人が多いことに気付いている。私もマイペースで教会活動をさせてもらおうと、思っている。しかし、今の教会に変わってから思い返して色々なことが自分なりにあった。失礼なことを言ったりしていると思ってもいる。結局、全体をまとめると今の教会に助けられて今の自分がいることは事実だ。たられば、だが教会をさっさと出ていたら、どうなっていただろう。何か、重要なこころの深度を失っていたのではないだろうか。そして、時々感じる優しさの風をも失っていたのかもしれない。大げさだな。優しい、を感じるなという時を勝手に感じているのだ。よかった、教会でんで。むかつかれるかもだが。
世界の戦争のことに何か伝わっているように感じるが、詳しいことをしらない。もちろん常識くらいのことは知っているが。ただ、もの申せばいいんだ、とは思わない。聖書教育のテキストだろうか、それに書いていたのはいつの世も戦争の犠牲になるのは弱い者たちだ、と書いていて。本当だな、と思っている。どうにか、終わらんものかなと願う。日本で主にニュースになる戦争はロシアとウクライナ、そして、イスラエルとパレスチナ。どうか平和が訪れますように。

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