随分書いたな。

 

今よりももっと不器用だった頃、歯車が一つ狂って、

失って行った。

嘘を沢山ついていた頃、また失って行くのが恐かった。

今も時々思うのだが、

すぐにそこを去って良かったのかも、と。

思い出は良い思い出のまま、保つことができているから。

そんなのが、私の若い頃の事柄だ。

昔のことをうじうじと、時々するが、それらも今の私を形作っている道程で。昔、色々あって、私はそういう事柄に対処する程、器用ではなくてすかしてしまったのだな。それから、どんどん歯車が狂って、馬鹿話していたような友達にも嫌われ、馬鹿にされるようになった。私は匂いもあって、ただ母親が何かの時に買っていた漢方を飲んでみたら、その漢方を飲んでいる期間匂いがなかった。心臓を落ち着かせるというか、心を落ち着かせるか何かの漢方だった。汗が出なかったのだな。飲んでいない時は、人がいる場所だと、だらだらシャワーのように出ていた。1人でいる時は、飲んでいない時でも、汗が出なく、緊張があるからかな、困ったなと思っていた。母親がその漢方を買わなくなって、それが私が歯車が狂い始めていた時で、やー。酷い思い出だ。今でも、あいつむかつくな、と正直思うやつもいる。友達っぽくして、馬鹿にしているやつ。
浪人時代は、同じ高校の友達って言っていいと思うけれど、私の高校時代を馬鹿にする人間はいなかった。遊んだな、広島の予備校で。しょぼいのだけれど、高校時代のようになるのが恐かった気持ちもあった。高校の先生と何回かの期間連絡をとる決まりだったのだが、私に幻滅していたような感じだった。高校の担任の先生は、私が予備校に行く前に友達は作らない方がいい、と言っていた。遊ぶことになるから、という意味だろう。浪人期間が終わって、私立の1つだけの大学に受かってそこに行くことになった。学科があって、私はサメとか魚が好きだったので、そっちに行こうと思ったのだが、それがお前のやりたいことなんだな、と父親が言って、でも工学系の方が就職が良いと言って、船舶のデザインをする学科を選んだ。その学科に行くことになった時、え、何でやりたいことの方を選ばなかったんだ、と父親が言った時はびっくりした。結構強く、工学系の方に行けと言われたので。
浪人時代のことも、全然勉強しなかったことを、父親はかんかんになって、怒ったのだが、自分は遊んでしまった、と正直に言うと、それらも思い出になるだろう、と言われた。友達がいなければ、浪人の期間もやって行けなかっただろう、とも言われた。
浪人時代の友達は、大学が楽しくて連絡を取らなくなった。ただ、大学に入学して学科の最初の自己紹介の時に、自分の高校名と浪人をしていることを言うと、同じ高校だ、と男の子が言ったように聞こえて、やっべえ、と思った。その時点の私は、いきがった嘘をつくのはそんなに好きではなかった。しかし、やっべえ、から始まって嘘をつき始めて随分、しょぼいいきがった嘘をつくようになった。もの凄かったな、今思うと嘘の数が。まあ、大体のことは嘘だろうと友達も先輩も思っていただろうけれど。
そして、悪いことをしたな、というやつに酷い傷つけることをして。1人の友達の前で私はしゃがみこんで、まただ、と言った。また、高校時代と同じようになる、と。そいつは、俺には分からない世界だな、と言った。
先輩にお前がもっと強ければ、大学を中退することもなかった、と言われて、大学を中退して。ある時分からない何かに、問われて。酷いことをしてしまったそいつのせいにしてやれ、と思った時から、何かが始まった。でも、本当にその時思っただけで、それはいけない、とそこは保っていた。そして、これも何かに脅迫されるようにして、友達たちがなぶり殺しに来るのような。私は時々持っていたナイフを持って家を出たが、さらに何かの脅迫により、住んでいた賃貸の風呂場で熱い湯を出してリストカットをした。手首に熱い湯をかけながら、切ったせいか痛くなかった。何より、私はイっていた。腕時計がそこにあって、深夜0時になった時、熱い湯が水に変わった。私は正気になって、心臓の音が早いこと、苦しくなっていることに気付いた。もの凄く喉が渇いて、水を沢山飲んだ。これはいけないことなのだが。床に転がると、暫くして血は止まり、段々、苦しさも収まって行った。そして、自分で朝病院に行って、結構深く切っていたので縫ってもらった。女医さんが診察をしたのだが、私の手をぐっと持って、綺麗に切ったねと言ったのが、印象的だった。部屋の掃除を少しはしたが、結構血が付いたまま実家に荷物を送り、帰った。考えればあの状況で全部自分でしたんだな、と思う。今も結構自分で勝手に解決してしまうこともあるな、と思う。その住んでいた賃貸は、今は更地になって、これも相当悪いことをしたな、と家主さんに思う。
あいつは危ないものを持っている、という声掛けがある。何となくだが、そういう感じを掴み始めているというか。良くない観念というか。被害妄想とか色々なそういうもの。何もない善良な人をひとたび、私の被害妄想が発動すると、酷い傷つけ方をしたりもするだろう。すごい、悪意が発動するだろう。それを感じる。
信じないといけない。何を信じるか、今思い付かない。結局、人をということになるのかもしれない。クリスチャン的な信じるも、本質的な1つを言うなら、人を信じる。だとして、そこに何が必要か、というと愛なのではないか、と。今思った。愛がなければ、人を本当に信じることはできない。時々、聞く話。親が、子供に何かを託して、子供がそれを無下にした時、親は傷付き悲しむ。それでも、その子を愛している、信じたいと思っている。ただ、他人にそこまで出来るかと言うと、随分疑問ではあるが。それでも、善意があった方が良い。書いている内に、いつもの祈祷会での禅問答みたいになってきた。教会で、禅問答。禅。禅(①天子が位をゆずること。譲位。②心を安定・統一させることによって宗教的叡智に達しようとする修行法。禅定。〈禅定~心を静めて一つの対象に集中する宗教的な瞑想。またその心の状態。など。〉③禅宗の略〈仏教の一派。他色々一派の説明。〉)
ブログを書いていてすっきりし始めている。怨念に取りつかれたようになって、ただ、その時に見た冊子の人の顔を見て、この人がそんな悪い人か? という思いがあった。怨念により、突発的に教会を出ようとして、そのためにコミュニティが必要だ、と思って公民館で詩や文章を教えるサロンの講師というかそういうのに申し込んだ。今振り返ると、コントのようだが、そういう流れになり今は怨念がなくなっている。そして、サロンに申し込んだまま。1回目を2月の下旬にお試しですることになった。馬鹿みたいな、ことから始まったが、これはこれでできるところまで、やってみようか、と思っている。教える内容そこまでないけれど。色々な人に自分の失礼なところや、被害妄想から来る言動、行動を許してもらいたいものだ。要するに不安なのかな。

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