考えてみれば、あの自分が、と思うんだよな。本当に力がないあの時を思い出す。

 

学生時代、生きて行く物足りなさを何処か、

感じていたことを思い出す。

やる気がなくて、心の力が入らなくて。

色々あっても、疑問を持ったとしても、

キリスト教に出会ったことは、私にとって大きな出来事だ。

そこから再スタートして。

波でさらわれたことの後に、根付いている何かがある。

信じていること。

だから、心は生きていて、やる気がないって言うことはない。

あんまり深く考えられないのだけれど、これはどういうことなんだろうな。

世界で宗教によって差別があったり、問題が起こったりするのは少しは知る。それを宗教の創設者は何て言うのだろうか。とか。それに、訳の分からない宗教があったり。もの凄い頭が固い人たちが譲らなかったり。でも、頭の柔らかい人たちは理解を示していたり。
私は自分で感じて考えるしかないなと思っている。内にこもって考えるではなくて、人生のその時々において何を自分は感じて判断して、神様の時を時々感じて。何かあるんだよな、と感じる。あんまり深くは考えられないのだけれど、自分なりに感じたり、知ったりしたい。知識欲で言えば、キリスト教だけではなくて、色んなことを知りたいのだけれど、頭がパンクするというか、ついて行かないのだよな、そういうまあ言えば学問に近いことたちは。例えば、音楽理論だって少しは知った方が良いだろうし、意識や無意識のことだってもっと知りたいし、英語だって、子供にとっての教育や様々な方法や、もっとあるかな。いやーー、頭がまさにパンクするという感覚。そういうことをしないといけない学生さん大変。自分はまあでも、面白いなと思っている。色んなことを経験出来ているから。落ち込むこともあるけれど。

コメント

このブログの人気の投稿

こころの呼吸。

深夜のゲームセンター、昼間なら行けるか。

前向きにいきたいね。