そういうこともあったな、という懐かしい。
ふと、不安になる。
いつかこの生活が終わった時に、
失うことがいくつかあって。
心を痛めて、空白の。
急にイメージが湧くと、失ったそれを感じる。
でも、ふと思う。
ぶれていながらも、やらないと、と思って、
してきたこと。
悪いことも、少しは思い出すが、
良かったこと。心が動いて、ここは。
その気持ちで動けたこと。
その時の気持ちは今の私にも、力を与えてくれる。
その心があったことに安心する。
自分のしょぼさに辟易(へきえき)する。まずは今日の思いだ。
さて、コンビニで新聞を読み自宅に帰ろうとすると、よく見間違えをするのだが、仕事をしていた時に私のアトピーについてアドバイスをしてくれていた看護師の方を見かけて、どうなんだろうもう後ろ姿でしかなくて、声を掛けることもできなかった。時間ごとに霧吹きとかで肌に水を与えるアドバイスは、その頃にかかっていたお医者さんもそれは正しいアドバイスだ、と言っていた。もう引退の年齢ではあるが、どこかで少しの時間パートタイムとかで働いておられるのだろうか。頭の中で名前を思い出そうとしていて、この名前だったと思うんだよな、と浮かぶ名前がある。多分、その名前だ。穏やかな感じの人だ。
自分はいいところも、わるいところも変わらないような気がしている。変わるところは変わったか。人に慣れておかないとな、とは思う。教会にも行かないようになって、人と接する機会が少ない。変な話、女性とも普通に話す機会がなくて、子供にびくっと、するのがましになって来たが、次なる変な反応はないだろうな、と少しだが不安になっている。ちょっと、自分としては異常な環境なのだと何度も思う。このことは、昔読んだ、陰陽師か何かの漫画を思い出す。修行していたが、向こうに見えた岩の割れ目を見て、山を下りたという場面があって。エロについて我慢が出来なくなったということなのだが。自分はそこまでは、いかないが、人との関係や普通に女性と接することがない今、変な本能的何かが発動しねえだろうな、と不安になっている。今のところ、余裕は持っているのだが。子供についてのことがあってから、不安だ。屈辱(くつじょく)でもある。
普通に生きてねえな、といいもわるいも思うな。日常の穏やかさは普通だが。そうじゃない時もあるか、勝手に自分がそうなっているのだが。
そういうこともあるが、エネルギーもはつらつとはなく、でも気持ち良く過ごしたい。感謝して過ごしたいね。ちょこちょこ、できることをやって行く。
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