気楽に。

 

祈りのことは、

祈ったから、必ず何かできる、とは今は思わなくて。

しかし、もちろん働きかけがあって、自分が方向づけられて行くことも、

あると思っている。神様の性質に触れて。

繋がるという、今の気持ちで。

そのひと時、神様と繋がり、具体的にはではなくても、

祈りは人にどこかで届いている。

善意という。

強さがそれらを蹂躙(じゅうりん)しても、

それは存在している。

善意は失われない。

どこかに存在している。

間違うことがよくあるけれど、

時々直面する出来事の、

最後の選択は今まで出会ったような、善意であると

いいな、と希望する。

よく間違う。

でも、経験により努力したい。


そんなに立派なことが言える人間ではなかった。経験と自分の立場を知ったから、あんまり変なことできんな、くらいの思いがあって。ただ、経験としたらあの選択で、あの人は傷付いただろうな、という経験がいくつかある。いまだによく人のことを考え、配慮することができないし。配慮、は暫くの自分のテーマでもある。なかなか、できんな。
自分の性質、キャラみたいなものは、変われないと感じて洗練されていないな、というか。田舎っぽいというか。現実世界でそういうことを感じる。それは、それでしょうがないな、と許せる。でも、いもい自分の振舞いだと感じることがある。
人は完全にはなれないけれど、優しい出来事には努力がしたいと感じる。これも難しい。失敗も多い。
明るい方角を見ると、楽しいことないかな。今は腹から楽しく笑う出来事も少ないけれど、楽しそうに笑っているのを見るとしたら、俺もそういうことあった、と楽しくなる。寒くなってきたからか、るんるん、というお気楽な気持ちになっていない。でも、そういう今の気持ちを味わうのもいいだろう。落ち込んでいるわけではないから。

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