人からの手紙。

 


冷たい空気。

しかし、気持ちは春に向いている。

世界では小さな命が不当な扱いを受け、

捨てられると聞く。

何も知らないで、意識もしないで生きることも。

温かさや、痛みの便り。

手紙は書かれて、続いて行く。

今日は水曜日なのでウォーキングをした。水・土曜日はなるべく運動の日。また美術館に行って以前と同じ写真展を見てきた。やっぱいいな、と満足する。お昼はラルキーでカレーを食べる。美味しい。昔、行っていた時の値段よりやはり上がっていたが、これだけ満足ならありだな、と食す。どう考えても様々な物価が上がっていて、私は無職だが給料上がらんとこれはまずいぞ、と。おじいちゃん、おばあちゃんの年金も苦しいだろうな。どうなるんだろうな。何かいい方法、いい方向はないだろうか。ここで安売りを銘打ったスーパーが上手くやって儲けて欲しいとも考える。久しぶりにちょっと前ドン・キホーテに行ったがオリーブオイルが安かった。物価高の格差を狙って欲しい。色々見て、ちょっとびびるくらい物価が上がっているので。
自分のことを考えて、教えたがりというか。そんなに、いやある程度あるが教えることで、気持ちが、、どういう心理なのだろうな。自分の気持ちの活性化。すごいでしょ、すごいでしょ、という気持ち。掘り下げていくとあったでしょ、というわくわく感。それを共に味わうと、うおー、というテンションの上がり方。うーん。
色々味わうと、幸せの便りにすーっと、気持ちが晴れ行く感覚を味わい、その便りを聞くことが好きになる。昔、年を取った人がその便りに喜んでいたのを感じたように。自分も今そうなった。
ちょっとダークサイドの見方をすると、聖書の有名な箇所で、豚の前に真珠を投げてはいけません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。真珠のように価値のある言葉。人を生かす言葉。清いこと。それがまるで分らない種の人間がいる、ということ。という私の見方だ。子供を買って、酷いことをして沢山の痛みを与えて、使えなくなるとごみのように捨てる、という話を聞いたことがある。私にとってその種の人間だ。そういう人間が存在する。ダークサイドに落ち始めた。やめておこう。
幸せになりたい。今も幸せだが、年を取って行く。一人で暮らすことに慣れていて、幸せの便りを聞くことが少ない。それでも、前を向いて満たすことをしている。焦りが時々あるが、様々なことに触れているとただ、時が流れて生きることができている。

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