サンドウィッチから、思いを馳せはじめる。

 


頼んだサンドウィッチは、パンがフカフカで。

味付けがよく、

齧りついても、ぼとぼと具は落ちず。

だからなのか、

詩を書いている今、感じてみると、

丁寧なそれに思いを委ねる。(パンさん、つまりサンドウイッチさんの美味しさに今日のその時間の思いを委ねたい気持ちです。)

具に、明太子をトッピングしておいて良かった。


サンドウィッチの写真を撮っておけば良かった、と思っている。食べながらテンションが上がって行って、食べ終わって感動していて。食べる前はまあいいかな、写真撮っていると思われたくないとかとも思っていたが、しかし、サンドウィッチが出て来た時は、こんな姿だっけと見てくれの存在感が私にとってはあって。以前にも食べたはずだがどんなのか記憶がない。そして、ハムとチーズのサンドなのでちょっと具が寂しいと思って明太子をトッピングで追加したが、ハム、チーズ、明太子以外にも具があって。パンは2つ、つまり1枚ずつのパンとパンとをサンドしたものを真ん中で半分に切られていて、己(おのれ)があって(つまり存在感があって)。明太子の加味具合もよかった。
写真撮っておけば良かった、と思って、初心忘るべからずだな、と。もっと昔は撮っていたんじゃないかな、と思い返す。文章についても、ちょっとどこか、鼻が高くはなってはいないと思うのだが、もう成っているというか。そのような心持ちになっていて。この無職の時間の間に、積み重ねているとも思うが。これまでの時間、今思うには、それでいいんだ、ということが印象的で。谷川俊太郎さんと、糸井重里さんが今思い浮かんで、それぞれの場面で出会ったことは、言い表しにくいこととか、綺麗に言わないといけないとか、そういう局面で子供のようにというか、なんて言えばいいのか簡単だけれど柔らかい言葉で表して出してしまっていて。というのを目の当たりにして。正確には言えないけれど。自分がそれができるかは、よく分からんけれど。真似することはあるからな。勉強になったなー、と思うんだよなこれまでの時間。写真なんて、考えてみればいいのか、ということを情報で受けていて。見直して、ほんとだ、と思ったり。ギターのイメージなどの練習方法など何かも、すげー役立っている。文章に考えを戻すと、この期間本はそれなりに読んだし、図書館で詩集とか句集とかを借りて、読んだりしていたな。詩はこの期間になるまで、そこまでは見てなくて綺麗な表現だな、とか、そういう感じなんだ、とかをインターネットでも併せて感じさせて貰っていた。私に起こった何かの事象もあるけれど、それは脳内が入れ替わって行くよな、と思う。人とはそこまで話すことがなく、本を読んだりインターネットで考えを観たり、詩集を読んだり。最初は苦しかったけれど、今は一人が楽で。でも、そこもある程度は変えていかないとな、とは思っている。まだ、元気が残っている人間だから。スマホで偉そうなことを書いて伝わってしまうのだが、この期間に入るまで分かっていなかった、ありがちな、時々大人が言うありがちかな、という話は少なくとも、その世界にいる人が言っていた、よく聞く話だなとそれまで思っていたことは、本当だなと身体的に身に染みて感じている。
とか、書いていたらこの時間じゃないか。海岸でギターを弾こうと思っていたが、場所がちょっと遠いしやめとくか。
あと分かりにくい表現もすることがあるし、成長はしないと。

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