今があるから。
必要な時、
母親がいて、猫がいて、
食事をしている。
思い返すことも減ってきたが、
苦しくなった時、あの時のわがままさや、
自由さが幸せなことだったと。
あのままではいけなかったが、
あの時があったこと。
愛、とはすべての人生が、本当に、一度しかないことを理解すること。という川上未映子さんの解釈というか訳し方をえっくす、ツイッターで観かけて。この生活が続いて、少々、ぽろっと楽に死ねるのなら死んでもいいけどな、と一時期思っていたのだが、今は生きたい、と思っていて。今日の天気の良さを感じることに心の穏やかさを感じたり、文章や詩を書いて自分でも驚くような素晴らしい言葉が出せたら、それは心の震えを感じるだろうし、一人の時に心が動いて泣きそうになることも気持ちがいい。一人よがりでは人に見せるべきではないが。綺麗な写真が撮れたな、と思ったらとても嬉しいし、ギターが上手くなってきている、と感じたら、自分でも行けるんだと憧れを思うし、英語が少しでも身に付いたらこれも自分でも行けるんだ、と思うし。これらは自分が改善されたことに起因しているのだろうが、でも感動してもっともっと、と思い始めている。自分で言うが、マイペースだが努力もしている。だから、死にたくない。時々心が弱ってよぎることもあるが、一度しかない人生なんだ、と。手塚治虫さんの火の鳥の考え方であると、この世での一度の人生でそれが終わると、次はかなぶん、とかになっていたり。今ある人間である命は、今この世では一度のことだ。そんなに気力もないが、でも生きないとな少しずつ自分の中身を変えていかないとなという欲望がある。この世での命を失くしたら、時々出会う綺麗だなと感じる事象の感覚も感じられなくなる。
話がずれるが、いつかにえっくす、ツイッターに大森靖子さんの昔のバンド形態のライブ映像が流れてきて。本人はその頃のことより今が好きなのだろうが、命溢れる死にそうだ、という印象を受けるエネルギーがあって。バンド演奏者もすごく気持ちが良さそうで。ギター1本でインディーズからのしあがってきたんだっけな。やっぱり、すげえんだなー、と思った。
自分は形は違うが、色々身に付けてこつこつとやって! 時々、命を震わせてみたいなー、と思うのだよな。組織の縛りはあっても、状況は悪くない。だから、一度しかない人生だ。簡単になくなる命。その一方で、命があるからこそ。今の時点ではそう思う気力がある。命を。


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