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5月, 2025の投稿を表示しています

歩く歩く。

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  小さい頃の友達の話を聞いた。元気そうで、なにより。皆、一定の経験をしていて道を進んでいる。2014年から始まった出来事の中で、私はそういう世界を見ていない。自分が自分の世界を生きていて、その便りはとても心地よいものであったが、自分がいかに今の世界を生きているかを実感した。正直に悔しい。しかし、私の力ではどうすることもできなくて、生きていくことを考えている。持ち直したい。

世界平和。人が生きやすい世界。いい眼をした人間が報われる世界。本気、まじ。

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  いらいらしている。4月になるとよく、身体が痒くなっていらいらすることが多かったのだが、今年は5月の終わりになっている。今年はなかったなー、いい方向に向かっているのかなー、と思っていたら甘くはなかった。やる気をなくし、しかし、陽の光を浴びると気持ちが良かった。色々なことがあるのだけれど、前に進みたいな、と。やー、自分の何かを蓄える、のような知識とかそういうことなら前には進むのだが、あきたな、とかなって、いやしかしこれも、工夫によってどうにかなるのだが。あなた、当選ですよ、おめでとう、ぷー、と興奮によって放屁するくらいの事柄にならないのか。分かっていますよ、みなさん大変です。しかしでもだってもう、私のまじの苦しみとか、いや、もっと味わっている人もじゃぱんにはいるでしょう。しかし、でも、ぷー、とおならをしても、幸せになりたい。多分また持ち直します。コカコーラゼロにウイスキーを入れてコークハイとして飲み始めています。いい時は、気持ちが穏やかで詩とか書きたいなー、と思うこともあって。この暮らしの始まりはそんなに、と書こうと思ってある程度は書けていて、今は今もある程度は書けているか。そんなに向き合っていないけれど、好きなんだよな、文章の世界を意識してきたから。何かできたらいいな。すごく心が良いのに、苦しんでいる人がいたら。今までの経験上甘くないけれど。明かるいのが見たいな、今現在は特に。苦しくても明るく頑張っている人は偉い。助け手が現れたらいい、ますように。私は私の歩みを進める。希望を持って。明るく生きられることを望んで。心をおちつけて。

最近、たまにではあるが牛肉を買うこともある。牛肉の味は好きである。

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  昨日の夕方から、夜の11時くらいまで寝ていて夕食を作っていなかったので、シャワーを浴びてから、肉豆腐という要するに味はすき焼きの食事を作った。牛肉が20%オフの物で季節的にも傷んだらあかんな、と思いその日のうちに作ることに。そのまま眠れずに、ブログを書く。夕方寝たのでそこからは眠らないまま今日を過ごしてもいいのだが、ぽやんぽやんする。お酒も料理を作りながら飲んだので、まだ残っていて車を運転することはできない。飲んでいない早くに起きている朝は、車を使って釣りに行けば気持ちがリフレッシュする。今外で6時のサイレンが鳴った。今日は頭のぽやんぽやんもすっきりして、何か面白いことができたら、と思う。喫茶店でちょっと食べて、本を読む、で十分ちょっといいこと、だ。雨が降っている。ちょっとだけでも眠ってすっきりしたい。

良い方角に向かえばよいな。それを希望しながら、自分の基本、文章のこと。すでに今は好きなこと。

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  何かが響いている、と感じていて今日は物事に集中することがそんなにはできなかった。テンションが上がってしまっていて。いつかに政治的なことは、触らないのようなことをスマホのメモ帳にだったか書いたことがあると思うのだが、触っている。考えたことを言いたくて、とか、発表したくて。大きな出来事の他国のこととか、恐いのだが、関わっていると感じたら、それ明らかにおかしいでしょう、という思いがあってスマホには気持ちの壁が低く書いてしまう。ただ、かなり恐いことであるという自覚は持った方がいい。でも、それはおかしい、と政府が声を上げている、とそのことに今日は特にテンションが上がってしまった。英語の30分を省いて今ビールを飲み始めている。ふーっ。 昨日は行こう行こうと思っていたricarica というスペイン料理のお店に行った。美味しかった。満足した。バスで行った。これはまた行こうと思った。強面のご主人だが話しやすかった。何度も同じことを言う自分の癖が出てしまったが、酔っていたのでまあいっか、また来ようと思えた。 話していたら、ご主人の出身は寿司からの流れらしく、初めて行った時の鯛のカルパッチョ的な料理も美味しかったなと、それで2回目も行った記憶だ。私は海鮮の料理が好きなので。春の物だね、と鯛の白子の料理のことをご主人が言って、鯛は今が産卵のシーズンで白子も太るというか、そして、スナップエンドウかな、とか子芋の新じゃがとかのソテー。すげえ美味しい。結構飲んでしまった。シードルの梅酒のような味のお酒も飲ましてくれた。結構飲んじゃったね。それでも、また行こう。眼鏡をしていなく、目が悪くなっていたり、老眼も始まって、メニューの看板が見えなくて次からは眼鏡をして行こうと。お客を割ってのぞき込んだところに見えたのが鯛の白子であったので、あと野菜があるのをと頼むとそういうソテーを出してくれた。満足よ。 今日の夕食にひきわり納豆を使う料理を予定していたが、ひきわり納豆を買うのを忘れていた。スマホにメモしたのに。なくても行ける料理なので、鶏のつくねのナンプラー的なのでそれでいく。コンビニに新聞読みに行った時に、普通の納豆くらいあったかと思うが。 気持ちが上がっているのを落ち着けて、文章のことを伝えられる技術を蓄えておくという目標を大事にして。ちょっとおざなりになってしまっている。今日もすでにビ...

近場の旅に行くのも楽しいであろう。近場になると殆どは食、が目的になりそうだ。

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  ほっとして、飲み物を口に含み。 考えてみると、ここまで来たと。 殆どのことは成り行きで、行きずりで。 旅路にいて。 皿を洗って、掃除をして、食事を用意して。 写真を撮って、詩を書いて、本を読んで。 インターネットが繋がっていて、新聞を読み。 たまに家を出て、旅をして。 ゆっくり息をして。 良かったね、と言えたらいいねと二十代の頃言われ、 もう、四十六歳になっている。 30代の頃にピンクのシャツを着るのは大人の人だな、と発言して。え、あなたも大人じゃん、と言われて、後でそう言えばそうだな、と思った。46歳の今、大人の人たちと私は言うことがあるが、自分も大人じゃんと思う。心は傷付きやすい20歳のセンシティブさを、と言おうとしても、随分経験して震えるセンシティブさは大部分、何処かへ行ってしまったか。しかし、逆に弱くなってしまっているところもあるのである。地に足の着いた生活を基盤とする強さはついて来たかな。最初は時間を持ち余していたが、今は沢山あるこの時間が丁度良い。自由な時間なので、考えればもっと近場の香川とかに美味しいと言われているうどんを食べに行ってみたりしてもいいよな、と思うこともありその内実行しようと考えている。尾道にも行ったり。ただ、日々の生活の中でしようと思っていることがあり、ギターであったり英語であったり、本を読むことであったり、何かできないかと知ることであったり、ブログをすることも結構時間を使う。いい季節なのでウオーキングをしたり。そろそろ雨が続くのだろうか。そういうことを日々にちゃんとしていたら、休みにしようと思っている日はだらだらして、写真撮ったりブログをしたりはするが。ギターって好きな人は、毎日触るよね。うーん、基礎を続けていてそれを活かして何気に弾く時は気持ちは良いが、そうだな、上手く弾ける人は上手く弾けるから余計に気持ち良いだろうな。基礎ができ始めて少しだけ自分もそれを感じる時はある。でも、毎日触らない。あかんぞ。 基本の思いに帰れば、ブログで書いている詩はすごい気持ちを込めてということは、少なく。でも、よく心を静めて書くことは多くなったが、頭に浮かんだぶつぶつとしたことを、書くことは多く。詩集を出すことになるとなったら、結構大変だな、と。心に流れる気配を感じて書き出すのが。詩集とか出せるんだろうか、現実的な思いとして妄想はちょっとで...

時々にヒントもある。ふとした。

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  自分は詩や文章のことを、自分なりにやってきた。文章について色々な世界を渡り歩いてきたようなことはなくて、そういう猛者(もさ)具合はない。子供や若者に何かできないか、という思いは今もあるが何か特別な準備を自分に課してきているかというと、そうでもない。仕事を辞めてから、色々なことがあるのだな、とインターネットから感じるようにはなったが、でも確かに良い経験をさせてもらっている。しかし、自分のことしか考えていないけれど。一人に慣れて、そのことを(そういえば色々あるな)言われなければ、少しは苦しみながらも、ふんふんふーん、と生きられる少なくとも今はそういられる、体質に性質になって。それは様々に世界に繋がっているからではある。ふと大丈夫かな、と思ってもそれに触れていなければ、この今までの暮らしはもっと陰鬱な物になっていただろうことや。最近感じる、声が通っているということ。時々の助けの声。教会はどうだっただろうか。やはり、む(自分に関する色々なことがあるから)、とすることはあっても温かいことをもらっていた記憶だ。今は一人でいることが楽だが。苦しくはないな。 詩や文章のことを自分なりに伝えることができるように、準備をしようかと考え始めている。そういうことは案外に難しいだろうし、ある程度伝えて飛ぶようになったら、そこまで伝えることはないかなと思う。自分が感じていることを分析してほんとに感覚的なことかも知れないが、できないかなー、と思うだけなら思っている。何かできないか、は自分のできることは詩や文章のことだから。子供にも伝えることを対応できるように。子供の感じってどんな感じだろうかな。ともかく、自分が自信のある詩などについて、具体的に届くように伝えられる準備を自分の課題として始めようかなと、なるべくその子に響くことができるように。思春期からかな、とも思うけれど。心が変化して来るそういう時から。小さい頃は小学六年生でも絵本の読み聞かせを聴くと心が温まっていた。男子は中学生になると、だっせんだよ、の空気が蔓延し始める。母親のことをお母さん、と言った時にきしょっ、と言われたことがある。中学三年くらいになると、周りは敢えてお母さん、と正直に言うようになるカウンターカルチャーが広がる私の経験ではあるが。何を言い始めたのか。 具体的に準備をしてから、何かできないかなと考えている。この生...

KYOTO GRAPHIE はラジオで年を取られただろう方が良かったよ、と言っていたので行くことに決めた。行って良かった。

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  京都国際写真祭、KYOTO GRAPHIE に行ってきた。ちゃんと働いている人はできないような旅をしているが、旅はやめるつもりはない。夏にはまたどこかへ行く。 京都駅へ着くと、駅前に写真祭の案内所というかパンフレットを置いているところがあって、そのパンフレットにそれぞれの写真家が何処で写真を展示しているか、地図が載っていて、全部は行けなかったが、満足するくらいには鑑賞することができた。 カラーでも粒子を結構入れるのだな、とかハイライトをすごい上げているのかな、とか。それでも、十分出来上がっているのだな、と。幡野さんの(アニさんも! )ネットでの講義や情報、本からの知識からこれらは応用編なのか、と勝手に思っていた。でも、そういうことを思える基本知識が自分にあることに間違った考え方もありはするだろうが、写真と言う土俵に上がることができている、と。素人なりに。少しは分析しているから。 巡って行くと女性のメッセージ性のある言葉から、そうか、とか。不当な扱いを受けている人のために、写真家の信念や思いがあったり。 楽しかった。行動が恥らしいところはあるものの、許容範囲だ。 最後にたまたま観た日曜美術館に出ていた、アンゼルム・キーファーの展示を見に行く。ブログには展示されている二条城での写真は載せていないが、城内に入って見上げた最初の作品にはっとした。大きく横長に作られた作品。芸術って力があるのだな、と。 写真展は全部は見れずもっと見たかったが、そういうこともいい経験と言うか旅ならではかな、と思って京都を後にする。京都ではアパホテルに1泊してなので、次の日にそれなりに写真展を鑑賞することができた。今、ブログを書きながら顔に酷いアトピーが出てちょっとだけ落ち込んでいる。自宅に帰ってかなり寝入った後に酷いアトピーだ。でも、負けない。生き抜いていく。大袈裟だが。色々あったとしてもがんばっていこう。平日も朝、起きよう。

がんばります。

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  心は弱ることもあるけれど。 失敗も多いけれど。 自分は自分で。 信じておいてあげよう。 生きる力は思ったより、 あるようだ。 ぽちぽち人生を、人生の道を歩む。 よく不安になる。失敗が多かったし、自分にも問題があり世界にもすぐに通じる。でも、自分はそういう奴だし、しょうがないんじゃない、と思うように努力している。いらんこと言うのは、やめたほうがいいが。酔っている時がいかんことが多い。自分を変えていく努力もした方がいいか。少しずつでも。 しつこいが、今自分がこれは自信があるな、というのは言語感覚で。何度も言うが、木曜日の番組プレバトでそれを確かめているという。そんなもんで、と言われるだろうがでもそうなのだ。ただ、メディアを観てそんな感覚で、うわー、というそんな感覚を知ったり、世界は広いと感じている。 時間の使い方がまだ上手くなく、ましにはなっているのだが、自分の生体リズムが不安定だ。睡眠はかなり取らないと、集中する物事に向かえない。 不安に振り出しに戻るが、永田ジョージさんのクリスマスアルバムを聴きながら、写真の現像をしていたらだんだん、しょうがなくねえか、と思い始めて、不安が小さくなり始めた。今までの失敗パターンはあるが、一人でいるとそれが及ぶケースが少ない。インターネット上では通じているけれど、おどろおどろしい憎しみのようなことに踏み入ることはない。気をつけないといけないことはあるけれど。無邪気が先走っている時は、思いついたことぽんぽん言っている。 何かできないかな、と思い始めていて自分ができることは、やはり詩とか文章のことで、やってみたことはあるが、そんなに伝えることはないな、とその時は思ったが。工夫して自分が感じることを伝えられないかな、と思っている。自分も成長しそうであるし。子供とか若者がいいな、と。自分の妄想では目標、坊ちゃん文学賞受賞、とか掲げていて。妄想で終わるか、案外こういうことはアタックするか。それか、1か月に1回、ショートショートをブログに載せるか。自分がいいようなことを物語に書くことが多いがそれを抑えてみたいな、と考えていて。しかし、自分の妄想とドッキングしながら物語を書くので、出てしまうのだ、そういうことが。 そういうことを自分のカンフル剤として、やってみるかなーと時々考えたりしている。

夜明けの前に。

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  光が差して、朝になる。 夜は時に、静かになり、 こころ委ね。 昼は、 買い物に。 どこかで、何かが音に紛れて。 あるのではないか、と。 けれど、日常に流れて、だから満たされる。 お腹が空き、喉が渇き、水を飲んで食事をして。 ただ、満たされていることはそのことだけではない、と侮りを制して。 こころ静かに。 2日間くらい寝過ぎていたので、眠れなくなりもう眠らないことに。久しぶりだなー。こういう時は吉野家に行って、牛丼食べて眠気を誘うようにしていたのだけれど、太るな、と今は思うようになって行かない。釣りに行くパターンもあるのだけれど、金曜日は実家の手伝いがあるし、でも釣りの時間は短いし行ってもいいけれど、でも行かないでおこう。朝、起きなくなり始めている。いかんな。朝起きると、いろいろいいことがあるのに。 部屋が汚くても、結構暮らせるから皿洗いはしても掃除をしていない。そろそろしよう。着る物の季節も変わり始めるし、生活様式が変わる時にもなってくる。 スマホの観過ぎだろうが、明らかに目が悪くなってきている。本当に酷い人ほどではないが。時間があるのよね。今、YouTubeで曲を流してイヤホンでキースジャレットのピアノを聴いているけれど、美しいね。いいねえ。吉野家には行かないけれど、近くのコンビニで小さい冷凍ピザを買ってこよう。コーヒーを淹れて。