愛している。(昔、飼っていた猫へ。)

 


ボールペンを持って、

詩を書くことが当たり前に。

正直に、まるで想像しなかった

写真を撮って、詩を書き込む

仕事のない日常。

良い時もあれば、苦しむ時もある。

今これらが、現実に進行している。


ボールペンはジュースアップが今はやはり好きだ。小学校の先生から頂いた、ちゃんとしたボールペンは机の右脇においてあるボールペン入れの中にある。ボールペン入れのいいやつ買ってみようかな、とも思うな。頂いたボールペンは長い小説の時に使うと決めている。無職の期間中に書いた二つの、自分としては少し長めの小説はそのちゃんとしたボールペンで書いてある。芯は何回か替えてある。先生には、不愉快な思いをさせたことがあると感じている。でも、それが自分がよくやる自分のことなのだ。

短い小説を書く準備を始めている。要するにアイデアを出している段階だ。私は詩よりも小説の方がやってきた経験、期間が長い。短い小説はその方法に全部頼るとつまらないだろうとは思っているが、やり方が自分なりにある。要するに自分なりのプロットの立て方だ。アイデアを出して想像して、組み合わせていくうちに流れができてくる。というのが、今のところの自分の今までのいくつかの小説の経験で。勇気を出して、そこから離れて小説を書くのもまた、よいだろうと考えている。今までがあったから、少し自信のようなものもある。ただ、こういうことを世間様にさらしたあとに、失敗する経験もよくしているので、しかしでもそれでもそれを敢えてさらしても、やってみようという冒険の心がある。やはり、不安にもなるものの自信がついてきているのだ。文章を書くことについては、私の負のジンクスにも打ち勝つのではないだろうか、と。希望を。などと書いてみる。

腹が出ているのがましになっている、とメモ帳に書くと作ったカレーを1日にして平らげるなどという蛮行を行う。無意識があまのじゃくであるのを前々から感じている。思春期の不安定な時に暗示のようにあることをしていたからではないか、と思い起こす時がある。無意識がそのように出来上がってしまったのではないか、と。どうであろうか。

思春期って、全然そんなことないよ、ていうおしゃれな大げさな見方で言えば達観している人も結構いるが、自分でも気づかない心の変化を伴っている。蝶になる前に、さなぎの中はどろどろに体が溶けて変化しようとしている。命の力強さもあるが、人によってはその変化に歪が出ることもあるだろう。ただ、芸術的観点から見ればそれが何かを引き起こすこともあるのではないかと。その歪を叩き売りのように売りに出すのではなく、自分でこらえていると、何かに出会ったり、何かを表現し始めたり。という今書いていて思ったことを勝手に書いているが。妄想まじりで。芸術と言えるほど自分がそこに行きついているとは、うむ、まだ本当に思わないが。芸術、いい。

書くこともギターも続けます、と思っていて続けておいて良かったなー。ブログもそれをする励みになっていたなー。キリスト教にも出会って、嫌なこともあったけれど、とても助けられていたし、これまで経験していたようなことは出会わなかったらなかった。自分の経験だな。これからどうなるか、分からないが。そうだ、自分の嫌味っぽいところましになっていることに気づく。それは、経験として良かったことだ。今日の夕食は簡単ににんにくトマトパスタだ。のだ。

辻仁成さんの、夏のギリシャ風キュウリつまみ、は何回か作っている。簡単であるし、トーストしたパンに乗せると、とっても美味い。










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