今年の夏の日々を。
坂口さんのガラスの作品のその質感を写真では表せなかった。どうやって、思った通りというかこれを表したいと感じるその写真が撮れるものか。写真への情熱も、以前より下火でこれくらい撮れたからいっか、との思いで近日を過ごしている。実際、以前よりは撮れていることもあるのだが、何か健やかではない写真だな、と思う写真もある。ここぞ、という時に撮れていないという。うむ。
生活を結構まじめに過ごしていて、今日は休みの日とか決めているのだが何か夏の余白の懐かしさ、みたいなものを感じられていないのではないか、という思いがある。のんびりした生活だからこそ、そののんびりの時に感じる生活感。うむ、それはどういうことか。
しかし、まじめに過ごしていると若干だが、レベルアップしていることもある。二重作さんがいつかのえっくすに、なんだっけな、できないからこそではどうしたら、いいのか。その方法を手段を見つけたい、というか、そっち側から攻めてみたいというか。そういうことを言っていて。最初からすげえ、できる人は、なぜ分からないのかが分からない、できないかが分からない、という人が多いはずで。兎に角できなかった私は、できないことについて少しは理解がある。でも、本当はいい感覚を持っていたのだろうけれど。一時期のインターネット上のアドバイスというかコメントというか。すごかったな。うむ。
読みかけで置いてある本がいくつかある。いい本なんだけれど、しんどくなることがあって。再読の大切さ。忘れていくことを思い出したいこともある。そういう時に、付箋の効力を感じる。聖書も2冊持っている小さい聖書の1つは、付箋をつけるようにしている。聖書については最近のことだ。
穏やかな日々だ。しかし、明るい知らせ、出来事に焦がれてもいる。インターネット上の繋がりもあるからか孤独はほぼ感じないことが多い。こういうこと書いたら、すごい孤独を感じ始めるとかいうパターンもあるが。
こころが強くなったこともあるが、逆に恐れとかに弱くなったこともある。なんやねん。昔、あれだけ中途半端でいい加減だった自分ではいけない、と思い手離してはいけないと思うこともある。高校生の時に、勉強をしなさすぎて親にキレられて部活を辞めさせられて、そういうまじめな家庭であることを友達に知られるのが恥ずかしかった。しかし、部活を辞めて出会ったのが、ギターだ。これもえらい下手であったが、今考えるにあのくらいの頃から続いている唯一の趣味、事柄だ。文章を書くようになって、また詩と出会ってそこにギターを活かすことができ始めている。文章は23歳の時に恩師に出会って、意識するようになって26歳くらいから特に向き合うようになった。大阪文学学校でのことを通信で1年間だけ受けたのが、28歳の時。大体20年間文章を意識してきた。初めてカメラを買ったのが、いつだったかな。ブログを始めた時。英語を勉強し始めたのが8年前くらい。ギター、英語、写真についてはネット上のアドバイスやヒントを得て、変わったことや、英語については文法を意識せずに、ただ英文に触れてもちろんヒアリングも含めて、英語に接していく。こういう時にどう言うのか英語そのものに触れていく。しかし、中学での文法を思い出したり、憶えていたりすることは大きい。今も時々は文法を調べることもある。1日30分だけの英語の時間で、触れる時間は少ない。一時期は車の中でもAM の英語学習の放送とか、CD から取り込んだ英会話や、ドリッピーをよく聴いていたが、今は音楽を聴いてぶいぶい車を走らせている。英語の日の名残りも読むことは少なくなっている。うむ。
それらのことは、やはり続けたり取り組むことに魅力がある。夏を楽しみつつ、ちゃんと感じつつ上手に時間を使いたいものだ。

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