明るく。
色んな人がいて、時々色んな思いの一端を受ける。
良いことも、そうではないことも。
良いことを沢山受けて、当たり前のように。もちろん喜んでいて。
そうではないことには、少しだけ傷ついて。
生きていて、
生きていると味わう。
人の幸せなことを想像して。
今日は昨日さぼった英語を30分だけする日で、それ以外は好きにする日だ。何度も思うことだが、今日常でやっているようにノルマを課すことはいいことなのだろうか、という疑問が浮かぶ。何かに取り組むことはいいことなのだが、この無職の生活が始まってから初期と中盤は遊びの余白がかなりあって、ぶらぶらしていると時に心捕まれる光景に出会うことがあった。慣れの問題なのであろうか、フリーランスの人は自分にノルマを課して生活をしているだろう。そして、確かに取り組んでいる課題について、能力が伸びていることも体感として事実だ。
齋藤陽道さんの「つながりのことば学」を読む。言葉は様々な性質を持っている。また、言葉になる前の何か、という感覚も意識するようになった。
昔、小学校の時だったかな、担任の先生が言葉は暴力にもなる、と言っていて。それは、成長すると皆当たり前に感じることではあるのだが、小学校のその時言っていたことが印象深く、記憶に残っている。このSNS の時代、言葉による暴力が実際に人を傷つけて何食わぬ顔で生きている人もいる。
上段にも通じるが、本を読む時ももっと余裕を持って読みたいものだと、この齋藤さんの本を読んで思った。何か、しゃかりきになっている気がする。それでもいい場合もあるだろうけれど。
文章について、伝える技術を身に着けるという目標。優先順位は下位に設定しているが、それについて新しい本を買ったり、昔読んでいたよなという本を思い出したり気持ちは上がっている。いい加減にすることが多い自分ではあるが、取り組む時はがち、でやろう。あとは本を読んでいて、出てきているひとはがち、でやっているのだと確認する。
マイペースを心がけて。


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