何かしたい、と思っていることを妄想の気持ちよくなっている考えで終わらせるのではなく。どんな形でも将来何かしたい。小さなことでもいい。
よく眠れる、と思っていて調子に乗り、どこまで眠れるだろうと眠ったら顔がぱんぱんに腫れ、酷いアトピーがこれも顔に出てきた。人生折り返しの年齢。40代というのはそれでもまだ若いと思っていたのだが、身体に気をつけないといけないことはあるのだな。特に自分は身体がアトピーとかアレルギーが出るという意味で弱いし、精神的な場所も他人から見たら何処がだろうと思うかもしれないが、病を持っているのだ。福祉の仕事はやっていけていたけれど、アトピーが大変だったし、免疫抑制剤を使って腸がおならの音を出すようになって、ケアマネの時にお客さんの前でおもいっきり鳴ったり。いろいろ経験したもんだ。
今は人と話す環境にいなくて、少し苦しむ時がある。しかし、めんどくさい人間とかに出くわして笑顔を作って話さなくてもいい。大概の人間関係はある程度は乗り越えないといけないこともあるが、めんどくさい。組織、というのが苦手になってきている。自分の弱い個性に自分の立場。自分はあまりやり返さないから、時々経験するのだが、こいついける、と他人に思わさせることがある。そういう出来事からぐっばい、したい。私の立場に何か関係しようという動きも、私は普通に生きてきたので、嫌悪感を感じる。組織のシナリオみたいなのがあるのだろうか。私は私が生きることを思うようにを許してあげたい。もちろん、常識的には生きる。だが個人として生きたい。それができるのなら。どうなるか、分からない。どうなるか、まるで謎だ。だけれど、自分が思う生き方がしたい。他人の思惑とか感じることから自由になりたい。
組織、は感じている。あらゆることが、情報が組織には流れている。助けられてもきたし、時々独特の嫌がらせを受ける。長く、それを経験している。意味はあったかもしれない。私の生活は変化したし、考え方も少し変わった。この9年間には私なりの時があった。頭の中身という意味では、その前の時間より学ぶことが多かったと思う。インターネット上の考えもちゃんとした人の考えに触れたので、それに影響を受けている。それに加えて時間を経て、様々な考えに触れながら自分でも考えていた。
抜けていく、という経験をしていて。それは何だったのか、そんなに考えていない。世の中のことがあり、理不尽なことがあり、現実がある。運ばれた種は飛んではいなかった。変化をして育っていた。せっかくもらった経験だ、と思って失わないようにと思っている。
これから、どういう生き方をするのか自分でも分からない。自分が感じること、それを大切にして、それで生きていけるだろうことを今は感覚している。ナルシストの思いだけではなくても、それについては乗り越えて行けることを願っている。
believe in yourself , and your dreams will come true. (リトル・チャロより。)
付け加えると、クリスチャン的には神様に祈るだろう、願うだろうというクリスチャンもいると思うが。そうだ、私は自我が弱かったから神様に願う、祈るはしっくりきた。信じられる自分などいなかった。しかし、神様に祈り成長できていたとしたら、自分を信じてもいいのではないか。神様に祈り、そして神様が作った自分という我(われ)を信じてあげてもいいと今は感じる。神様に祈っているのは変わっていない。神様が自信をつけてくださったのなら、感謝して自分を信じてあげる。という今の考え。


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