読書の秋、食欲の秋、運動の秋、芸術の秋。
夕方に、温かいコーヒーを飲む。
つくつくぼうしは鳴いていて。もしくは、泣いていて。
少しせつない、これくらいの日もあわれなり、と思い。
夕飯には、夏の感じの余り響く、冷麺を食べるつもりだ。
ブログを続けていて、詩も気を入れていないけれども、書いていて。まず、A4 用紙にボールペンで書いて、パソコンで打ち直していくが殆どで、初期にも書いたがパソコンで打つ時に、詩が変わっていく、修正されていくのが定着している。パソコンで打って、あ、この方がいいなと変わったり、短い小説だと根本的に誤った表現に気づいたりと、ブログのこの経験を、もし、ならば、もしかして、なかんずくば、文筆において認められて、というのは表の世界で収入もそれで得られて。そう、この経験を活かせたらと願う。血はないが涙と、汗と匂いとの集積なのである。今までのブログの思い出を振り返ると。うむ、そこまでではなくとも、振り返れば思い出があるのよね。むんむん。
画像を観ていて、ある小説家の方の文章における感覚が、自分もそう感じると思うことがあった。そこは共通するというような。俳句の査定の語感について、あるな、と思うだけでなく小説家の方の感覚にも小説の感覚としてあるんだな、と思うことに面白さを感じた。長年、学生が俳句甲子園とかを目指しているような場所でもそういう感覚を感じているのだろうな、と思うに至り。そこで、おたく気質の語感に派生していく気持ちも少し分かるようになった。微妙な感覚というか。ちょっと違うんだぜ、とも思いたい気持ちもあるし。しかし、今のところ自分はそうではないし、それをできはしない。ツイッター、えっくすの絵を観ていて、ピカソが初期はちゃんとした上手い画力の絵を書いていて、次第にあの画風になっていくのを、改めて感じて、文筆のことでも、魅力的なんだな、と欲が出そうにはなる。掌編(しょうへん)小説も終わり方が、パターンがあるし。楽だからそれをするのだが。うむ。
10月になると誕生日を迎える。誕生日までの1週間、好きなものを買って良いことにしようかと、考えている。主に食べ物で、太り過ぎないを注意して。そうなると、デパ地下が明滅してくる。美味しいハムを買って、美味しいパンでサンドウィッチを簡単に作るとか。様々な煎餅を購入するとか。美味しいワインや、日本酒は井上屋で購入して。チーズもいいね。美味しい漬物もいい。美味しい鶏肉、美味しい豚肉、美味しい牛肉。うふふふ、ふ。
世界平和がありますように。


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