横尾忠則現代美術館にて。
土曜日に神戸の横尾忠則現代美術館に行ってきた。今回のテーマは生まれてきて死ぬこと。もっと、ちゃんとしたテーマだった思うが。交尾をして産まれてきて、そして死は平等にやってくるということ。ある絵を見て、死体が臭って生きている人が探している様子が描かれていて、そのまま腐った死体はひょっとしたら忌み嫌われるものかもしれないが、それが私たち人間の最後であり、存在なのだと私は受け取った。ほっておいたら、そうなのだと。横尾さんの子供時代からの死への意識。それは年老いた祖父母に育てられたからだと、え、ちょっとまてよ、そうだっけ、確かそうだった。子供時代からの記憶はとても大切だと、私は思っていて、横尾さんの今回のいくつかの絵を見ても、そうだと私は思った。少なくともそういう要素に私は、よく惹かれる。ある小さな版画だったのかなあ、絵は骸骨に綺麗に一凛の花がさされていて、他の絵は蝶もいたっけな。骸骨が、嫌われるものとしてではなく、美しくどこか風景の一つになっているように表されていた。
以前のテーマ寒山拾得もそうだと思うが、横尾さんの底から出してきて、記憶やあっちの世界の力やなんやらなんやらの要素、エネルギーが混沌として混じって出しているのかな。そこまでには、どのような修行、訓練があったのだろうか。私も水彩絵の具とかを買って、絵を描いてみようと思ったのだが、ほぼ手をつけていない。描いてみると案外しんどいな、と思って。私の妄想になるが、リミッターを振り切って、精神的なところの入院となったら、ひたすら絵を描いているだろうか、というどこかの映画みたいなことを思っていて。とても、妄想だ。絵って凄いな、と思っているので、魅力があって。


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