心の奥ではしいたげられてきたこと、悔しいと思っている。そこを生きてきた。ただ、仮想空間みたいなものだ。痛みは本物だったけれどな。あほ。
生き方が、定まらず。
前向きに生きるのか。
色んなことを忘れて生きるようにするのか。
状況が変わったら、ころっと自分も変わるのか。
今のように時々苦しんで、写真を撮って、詩を書くのか。
感傷的になったりするのか。
変わったなと感じることがある。
自分の意思を保って、それを大切にして。
他人のことも考えないととは思うけれど。
嫌われることは恐く、でも気にしすぎると良くない。
自分として生きて、とここまで書いて。
生活をしていると、生きている感じがする。
汚い台所をましにはして、今思う。
また、住宅近くで写真を撮ってしまう。花が綺麗だったので。
人に嫌われることを恐れてしまうところが、私にはあるのだけれど、人と関係しなかったら苦しくはなるがそこが楽だと思ってしまう。考えれば、随分情けなくなったなとは思う。高校時代にハブになり、大学時代は初めのあることから、嘘をつくようになり調子に乗ってしまって、もの凄い嘘で自分を守るようになり中退し、やり直せたと思ったら、失敗し、次で頑張ったと思ったら、かちん、ときて、もともと最初から我慢していたことがあって、初期からのことが積りに積もって、何度も出ようと思っていたことがそこがきっかけで、出るようになって。これで、人間関係が嫌にならない人は、いるのだろうか。いるな、確かに本を読んでいたおかげで、そういう人もいるとは気づくが。そこまで自分は人間のスケールが大きくはない。お医者さんと話していて、時間が経つと自分は憎しみが湧くことが多いです、と言うと、車の事故が起こった時もそういうことがあるんです、と言っていた。ふむ。
今の余裕が時間もお金もまだあることには感謝する。生活ができる。仕事は恐ろしくてできない。ただ、うじうじしてんなよ、と言われると悔しくもあるが、それもそうだ、と感じる。最近、時々自分を振り返って気づくのには、もともと音楽雑誌を読んでいて(私はplayer とかGuitar magazine をよく読んでいた。)音楽的な芸術の世界に憧れていたのだけれど、ギターは下手だったけれど、とにかくその思いが、今は色々な芸術の世界が好きになっていて。もともと、いいなーとは思っていたけれど、振り返るとネットを観るだけでも、その世界があると心が落ち着くというか。そういうことをやっている人とか観ると、落ち着くなーこの世界っと、ほっとする。世間は、色んな荒波やさらに経済的なことなどが中心にもあって、たーいへんだー、と思うのだが、そこにふっと、芸術的なそういう世界に触れると、ほっとする。さらにふり返ってみると、文章を読んでいてほっとしていた昔で、仕事とかそういうことを、わーっとやって、休みの日にとか喫茶店で文章を読んで心安らいでいたことを、思い出す。今は何というか、乗り越えていくぜ、というスタイルで本を読んでいて、得るものも沢山あるが、あの昔の感じよかったな、と思う。小説とかを多く読んでいたからもあるかな。
なるようにしかならねえな、と思うようにしている。どうなるんだろうな。常識から大分遠ざかっていて、今思うとやはり悔しい思いもある。だけれども、そこを生きてきた。得たこともあるはずだ。今日は夕食は牛筋カレーだ、ギリシャ風きゅうりのサラダも作る。



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