情熱のあざやかな。
キリスト者になったばかりの頃、passion というイエス・キリストの物語を、
映画館で見た。
嘲笑され、苦しみを受け、
十字架の上で死を遂げる。
今もあの映画のところどころが、記憶によみがえる。
情熱、と言う。
でなければ、あのように生きられなかっただろうと。
色々もあったけれど、
キリストの情熱に触れておいて良かったと、
クリスマスを前にして感覚している。
聖書の話は人間的であり、霊性を帯びており、しかし、だから子供にはがちのところは、年齢と共に成熟する人間の傾向としては、早いのかなと思った。どうなのだろうか、子供の頃と大人になってからの感じ方の違い。人間て色々あるのね。でも意外と、シンプルでもあったり。うむん。
今日は夕食にビーフシチューを作ろかな、と考え予定している。クリスマスが近いし。牛肉安くなっていますように。最近、コープではオージービーフを売りに出しているので、求めようかと。クリスマス当日は、モスチキンかドチキン(ケンタッキーフライドチキン)を買おうと思っている。ドキンドキン。
近日、写真を撮るとフリンジが発生することが多くなっている。ISO を暫くずっとAUTO にしていたのだが、試しに曇りの日にISO を決めて固定して使用するようになってから、AUTO に戻してもフリンジが発生しやすくなった、のかなー、と思っている。今までフリンジが発生することなどなかった。年末ジャンボ宝くじをネットで購入したので、当たったらSIGMA のいいレンズを買おうと決めている。100万円当たるのでもとてもいいから、どうか。
掌編小説を書こうとしていて、クリスマスには間に合わず、年末も頑張るけれど無理かな、と今のところ予想している。少し書き出したのだが、理屈っぽいのと、外に開いていないというか。吉本隆明さんの芸術言語論を読んで頭に残っているのは、純文学系の書き手は自分の筆力に頼ってさぼっている。純文学系ではない書き手はアイデアが凄くて、よく考えている。とそのままではないが、記憶に残っていて。純文学も大衆文学も境目が曖昧であって、筆力もある上に話の内容がとても引き込む面白い書き手がいるであろうし、とともかくに、手癖で今回の掌編小説を書きたくないな、と思っている。今の段階では、うーん、難しいという状態。兆しが見えたら、そこから一気に書きたいのだが。なんとかは行きたいという今の気持ち、心理。
幾年かから、よく感じているが冬の寒さは12月はまだ大丈夫。1月、2月が軟弱者としては厳しい。電気ひざ掛けもまだ出していない。風呂桶をしっかり掃除しておいた方がよいだろう。1月になって浸かることができるように。まだ、シャワーで済ましているし風呂に浸かる必要性を感じていない。贅沢な日は朝から熱い湯に浸かるのである。


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