イブの日に。
波が大きく立っていた。わたしはそれを見ていて。
波は大きく大きくなって、その中を無数の銀色の小魚が群れを成し、一つの形態を作り泳いでいる。朝陽を浴びて、きらきら光り、とても綺麗に。わたしはそれに見とれていて、その思いの狭間、
(まあ、いいけどね。)と、声がした。
わたしはその意味を知っていた。
(知っている声だった。)
大学時代、癌を患って、頭髪を失った老教授の講義を聴いた。わたしは初めて心が震える、という経験を味わった。映画を見て感動する、とか今までのそれとは違う性質のものだった。もっと、生きたいと思った。このような感覚を。
それから、わたしは知を求めるようになった。優美で一つ特別で。
知ることはわたしを生き易くしてくれた。一つ一つの知識の中に安心があるような、そのような気がして。暫く生きていると、わたしは人を心の中で裁いていた。わたしの生きる意味の思いの外を生きている人に対して。
生きることができた。鮮やかな、知の感覚が深く心に根を張って。
そんな時だった。病の宣告がわたしに言い渡された。随分と、進行して、ああ。
しゃんしゃん。
その夜、夢を見た。
子供がいて、悪い仲間がやって来て同じように悪いことをしよう、と。仲間だから、と屈託なく笑う。わたしは見ていた。子供はその悪事に働こうとするが、できない。善意が勝っていた。
世界が転じて。
わたしは子供に戻っていて、店じまいの時にお菓子を沢山くれた小さな商店のおばちゃんが、目の前にいた。懐かしくて、話しかけるとおばちゃんは温かく話に応じてくれた。
話をしていると、わたしは知らなかったおばちゃんの聡明さに驚きを感じていた。そこには生きて行く知恵があった。
ーー、くんには愛が足りないようだね。
という言葉で目が覚めて、少し頭が痛かった。
名声や知識は泡のように波打つ中に消え、わたしは小魚の群れの中の一つになっていた。あの子供や悪い仲間、おばちゃんたちがその中にいると知って、気持ちよく、とても気持ちよく波の中を泳いでいた。
いずれ、大魚に襲われて。
<作者あとがき>
モウリー、クリースマース。
クリスマスイブですね。何とか、イブには作品を間に合わせることができました。出てこないなー、から短い話なので、出てきた出てきた、となってなんとか。
今日は朝の4時半過ぎに目が覚めて、写真を撮っておこうと思って、車で出かけ小さくぽつぽつと雨が降る中で夜明けを待っていました。なんとかなったか、と思い帰りにマクドナルドに寄りました。マクドナルドを控えていたのですが、今日解禁だと思い朝からグラコロが食べられるみたいで、タルタルデミグラコロとホットコーヒーのコンビを注文。名前を覚えるのが難しいので、レシートを持ち帰りました。グラコロは、噛り付くとぶちゅっと熱い中身が出てきて、すげーおいしーな、と思ったのです。
今回の作品は、今まで書いた小さな話も思い出して繋げた、というか。これは、昔漫画を読んでいて、今まで描いた漫画にどこか繋げて親しみを持たすような、手法と言っていいのか。それが頭に過って、私もやってみました。
ネタバレになるので、はっきりとは書かないですが、アニメや漫画にも影響されています。そして私はクリスチャンであるのでそこからも。
自由な生活をしていて、頑張っているのを感じると、みんな偉いんだなー、と思います。なんか、いいことあったらいいんですけどね。クリスマスイブですし。
さて、どうしよう、朝マックした上に昼モスしちゃおうか、迷っています。夜はドチキンかしら。普段からはこんなことしてませんからね。昼にがつっと食べることもありますが、基本は昼は以前よりは食べるけれど、まあそんなには。夕食は料理をめんどくさがらずに、することが多くなりました。今までもそれなりにはしていたのですが、もっとちゃんとしてますね。夜はちゃんとした料理を作ろうかなー、牛肉とか使って。いや、たぶんドチキンになりそうだ。




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