ゆとりがあるならば。

 


江國香織さんの詩に、朝起きて飲むコーヒーの幸せについての描写があった。私もここ最近の眠り過ぎの後のコーヒーの香りやおいしさに、やっぱりコーヒーはいいなー、と感じている。眠り過ぎはそろそろやめておこう。でも、その後のコーヒーがまた格別なのである。

さて、どうも春が近づいてきている。過ごしやすくなってくるが、生鮮食品などの扱いに注意しておきたい。コップに水につけておいて、冷蔵庫の外に出しておいた生姜はだめになっていた。冷蔵庫の中のイカ墨ペーストの瓶のふたが開いていて、これもだめになっていた。部屋は、きちゃない。頑張って、一週間に一回は掃除の時間を設けようか。すぐに挫折はするが、暫くは頑張ってみようか。

自由時間が多い今の生活、少々さぼってもまた始めればその時間は確保できる。ただ、流されてばかりでは自分に身について残るものも少ない。願をかけるように(クリスチャン的な表現ではないかもだが。)読んでいる本も何かに結びついて役に立つこともあればな、と思っている。読んでおいて良かったな、と思えれば。でも、今も読んでおいて良かったな、ということもあるのだが。文筆に活かすこともできている。今の思いは子供について、本を読んでも何か実質的に響くことがあれば、という願いがある。心が弱っていたら、何かをするという力は湧かない。でも、一杯のコーヒーで幸せを感じる時がある。出会いや外部から働きかける何かによって変わることもある。ゆっくりと本人は気づかなくとも。運命が変わることもある。

そんなどこか、アニメ的なことはあるのだと思っている。都合は良くはないかもしれないが。

世界は確かに厳しい。でも、書くのが恐いくらいだが、運命を変えてみたい。生きている力を変えてみたい。良い方に運命が好転することに。

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