執着
美味しいものを食べたい。
この世の執着の一つで、
必要なことだと感じる。
生きること、と言っている。
どういう理由かは、まだ私には分からないが、
人は生きなさいと。
生命のどこかに、種が蒔かれている。
命を育むこと。
綺麗な夜だ、と歩いていたことを思い出し。
(生き物は生きなさい、だよな。)
にゃんにゃんにゃん。
あ、ねこの。
にゃんにゃんー。
かいわにならない。どうしたの?(まじょのたっきゅうびん、のじじ、がふつうのねこの、なきごえだけになったとき、をおもって。)
にゃんー。
ああ、どうしよう、わかりました、あとはふつうにわたしが、さいきん、おもっていることをつらね、ます。
にゃんにゃんにゃんー。
(僕なんて、という私だった。それが今も残っているのだけれど、できないよ、ではなく、できる、と心に込めると力が入ったのを昨日感じた。そのまま相変わらずのしょぼしょぼな、私だったのだが、その力が入った経験を大切にしよう、と思った。「できる」そこから、変わることもあるはずだ。
人に嫌われることが多い。問題は自分の中にある、と思う。変えないといけないこともあるのだが、集団の中にいなかったらそういう摩擦も少ない。
スマホが近く急に思ったことを書いてしまう。近すぎる。
しかし、スマホはライフラインで人との関係をバーチャルで感じさせてくれる。でも、失礼な感想はもう書かない方がいいだろう。まじめに。
残り一年と半年、どうやってこの生活をするか、と考える。
何ができるだろうか。
言っているだけのことが多い、子供についてのことを月に何回か、文献を通して自分はこうしたらいいんじゃないか、と思うことをまとめてブログに載せる。難しいな、しかし、だからやるべきかも知れない。言っているだけから、具体的に調べ考えそれを文字にする。出す。まじでとりくんだら、たいへんそー。やってみるか。できる。やってみる。まじのきもちで。精神的不安定さも落ち着いてきたし。もうちょっとだらだらしていたいが、やる。できる。続きますように。これはまじ。最初は月1くらいで。


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