うむ。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ - 5月 28, 2026 自分ってどんな人間なのか。どんな風に変わったのか。生活しながら、そして考える時間を。動物は今も好きだ。でも触れた後、家に帰ると手を洗う。それでいいのだけれど。今年の蛍を見る。目線を今の自分に。気力があると部屋を綺麗にできて、気持ちがいい。気力があると何かをすることも、気持ちがいい。気分は、ふんふーん、である。♪どうすればいいのか。でも、ペースを保って生活を送ってゆく。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
幸せの定義とは。 - 11月 08, 2025 住宅街を歩く、 下を向いて。 住宅街を抜けて、 上を向く。 生命、地球が動いて。などと、思い、復路へと歩む。 すると元気、少年たちが自転車を走らせ、私を過ぎる。 曲がり角で二人目の少年が「人がいる」と、後続に危険を知らせて、 風みたいに。 優しさや、誠実さのかけらのように。 私は小さく明かりを受けている。 部屋が汚い。しかし、ゆったり生活をしていて好きなことをしている。台所の状態だけは料理ができるようにしていて。来週月曜日からは、それなりにすることをしようかと、考えている。掃除もな。 ブログを書く前に、姉から貰っていたパウンドケーキ、姉作をコーヒーをおともに食すると至福の時を持つことができた。姉はある時から異様に料理の腕が上がっていて、私もこの暮らしになってから料理を頑張ってもいるが、あのようにできない。むむ。む。 お金が沢山入ったら、今の気持ちは丹波産の松茸を買って松茸ご飯がしたい、と思った。でも、そうなるとせっかくなら土鍋で松茸ご飯を炊いて、とか考えるとめんどいな、などと今妄想して終了しかけている。その妄想の終わり。 思い出。何度も感じるのだが、思い出は生きる糧になる。少なくとも今の私のように停滞して生活を送っている人は、たぶん。がんがんに前を向いている時は、どうなのだろうかな。あの漫画面白かったな、でも、知り合いのおばちゃんが連れて行ってくれた、グレムリンの映画でも。その時の雰囲気や記憶に残った言葉や。漫画や映画の中にもそういう何かが残存していて。鬱屈した苦しみから抜けた時は、そういうことが助けもしてくれる。ネットでは人と通じていると思っているが、実際の生活では気分がいい時は、一人の方が楽だなと、さえ思うことがある。このままではいけない、ことは時間が経ち自分も年を取っていくことにおいて、確実に時は経っているので、いけない、と思っている。今も気がいい時は、幸せだと思うが、幸せになりたいと思って、でもどういうことが幸せなのだろうか、などと今思った。私は生きているので、幸せの命をかんじることか。何度でも思うことか。 続きを読む
それでも、るんるんでいるのよ。 - 10月 28, 2025 眩しい光。 やすむ影。 踊るために風。 時を移ろう日々。 心に聴こゆる音。 静かに深い夜。 そして 明日。 生活に飽き始めている。いつものように、何かすれば挽回するだろう。今日は街までウォーキングしたな。英会話を申し込もうかと考えている。人と話すことの少ない今、鬱屈するなら工夫をしようと。 話がちょっとそれるが、辻村深月さんが本に、好きなことは人と比べなかったら、大人になっても続く、と確か書いていて。私は運動神経は普通で、でも運動することは好きなので、運動を避けることはなくて、もうちょっと運動をしてもとは思うがウォーキングくらいはする。体力おばけみたいな人が近くで、おらおらと鍛えていたら運動する気がなくなっていたか。英語なのだが、試験のように測定されたら、そんなに伸びていなくてもっと早くに諦めていただろう。できる人と比べていなくて希望を持てているので続いている。ギターもしかりであろう。写真もそうだ。物書きは、語感はあるなと思っていてしかし、長い小説ってそんなに書いたことない。必死になってくたくたになるくらいに、書いていない。この生活になって書いた長めの1回目の小説は書いて結構疲れたけれど。なのだが、物書きは私の自信の最後の要だ。ここは離さない。 よく最近思うのだが、色々なことが取り去られて、やってきたこともあると思っているがそれがなしよ、になって。自分に残るものは自分が溜めていた技術というか。英語を話し、読解する能力が私にあれば何を物理的に取り去られても、その能力が去ることはない。詩や文章を書く力のことも、それも私のものだ。さらに、分かりやすく文章を書くことを導く技術があれば、それも私に残っているものだ。ギターの技術、写真の技術。しかり。しっかし、それが難しいことなのである。英語は本当に上達していない。うむむ。学校の勉強とかも今でも、とろそうだ。でも、測られていないから続けられる。しのぎを削るとは、大切なことであるが。文章なら何とか。正岡子規みたいに賭(と)していないが。 改善されたこともあるが、その代わりに薬で頭蓋骨ぼこぼこしているし、禿(はげ)はあるし。ストレス、地味なのがじわじわ迫って来るし。臭いはあるし。いやだいやだ。 年取って来てるなー、と思う。もっとはつらつとした生活だと、もっと違うのだろうか。幸せになることを願う。部屋が寒くなってきたな。 続きを読む
イブの日に。 - 12月 24, 2025 波が大きく立っていた。わたしはそれを見ていて。 波は大きく大きくなって、その中を無数の銀色の小魚が群れを成し、一つの形態を作り泳いでいる。朝陽を浴びて、きらきら光り、とても綺麗に。わたしはそれに見とれていて、その思いの狭間、 (まあ、いいけどね。)と、声がした。 わたしはその意味を知っていた。 (知っている声だった。) 大学時代、癌を患って、頭髪を失った老教授の講義を聴いた。わたしは初めて心が震える、という経験を味わった。映画を見て感動する、とか今までのそれとは違う性質のものだった。もっと、生きたいと思った。このような感覚を。 それから、わたしは知を求めるようになった。優美で一つ特別で。 知ることはわたしを生き易くしてくれた。一つ一つの知識の中に安心があるような、そのような気がして。暫く生きていると、わたしは人を心の中で裁いていた。わたしの生きる意味の思いの外を生きている人に対して。 生きることができた。鮮やかな、知の感覚が深く心に根を張って。 そんな時だった。病の宣告がわたしに言い渡された。随分と、進行して、ああ。 しゃんしゃん。 その夜、夢を見た。 子供がいて、悪い仲間がやって来て同じように悪いことをしよう、と。仲間だから、と屈託なく笑う。わたしは見ていた。子供はその悪事に働こうとするが、できない。善意が勝っていた。 世界が転じて。 わたしは子供に戻っていて、店じまいの時にお菓子を沢山くれた小さな商店のおばちゃんが、目の前にいた。懐かしくて、話しかけるとおばちゃんは温かく話に応じてくれた。 話をしていると、わたしは知らなかったおばちゃんの聡明さに驚きを感じていた。そこには生きて行く知恵があった。 ーー、くんには愛が足りないようだね。 という言葉で目が覚めて、少し頭が痛かった。 名声や知識は泡のように波打つ中に消え、わたしは小魚の群れの中の一つになっていた。あの子供や悪い仲間、おばちゃんたちがその中にいると知って、気持ちよく、とても気持ちよく波の中を泳いでいた。 いずれ、大魚に襲われて。 <作者あとがき> モウリー、クリースマース。 クリスマスイブですね。何とか、イブには作品を間に合わせることができました。出てこないなー、から短い話なので、出てきた出てきた、となってなんとか。 今日は朝の4時半過ぎに目が覚めて、写真を撮っておこうと思って、車で出かけ小さ... 続きを読む
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