それでも、るんるんでいるのよ。
眩しい光。 やすむ影。 踊るために風。 時を移ろう日々。 心に聴こゆる音。 静かに深い夜。 そして 明日。 生活に飽き始めている。いつものように、何かすれば挽回するだろう。今日は街までウォーキングしたな。英会話を申し込もうかと考えている。人と話すことの少ない今、鬱屈するなら工夫をしようと。 話がちょっとそれるが、辻村深月さんが本に、好きなことは人と比べなかったら、大人になっても続く、と確か書いていて。私は運動神経は普通で、でも運動することは好きなので、運動を避けることはなくて、もうちょっと運動をしてもとは思うがウォーキングくらいはする。体力おばけみたいな人が近くで、おらおらと鍛えていたら運動する気がなくなっていたか。英語なのだが、試験のように測定されたら、そんなに伸びていなくてもっと早くに諦めていただろう。できる人と比べていなくて希望を持てているので続いている。ギターもしかりであろう。写真もそうだ。物書きは、語感はあるなと思っていてしかし、長い小説ってそんなに書いたことない。必死になってくたくたになるくらいに、書いていない。この生活になって書いた長めの1回目の小説は書いて結構疲れたけれど。なのだが、物書きは私の自信の最後の要だ。ここは離さない。 よく最近思うのだが、色々なことが取り去られて、やってきたこともあると思っているがそれがなしよ、になって。自分に残るものは自分が溜めていた技術というか。英語を話し、読解する能力が私にあれば何を物理的に取り去られても、その能力が去ることはない。詩や文章を書く力のことも、それも私のものだ。さらに、分かりやすく文章を書くことを導く技術があれば、それも私に残っているものだ。ギターの技術、写真の技術。しかり。しっかし、それが難しいことなのである。英語は本当に上達していない。うむむ。学校の勉強とかも今でも、とろそうだ。でも、測られていないから続けられる。しのぎを削るとは、大切なことであるが。文章なら何とか。正岡子規みたいに賭(と)していないが。 改善されたこともあるが、その代わりに薬で頭蓋骨ぼこぼこしているし、禿(はげ)はあるし。ストレス、地味なのがじわじわ迫って来るし。臭いはあるし。いやだいやだ。 年取って来てるなー、と思う。もっとはつらつとした生活だと、もっと違うのだろうか。幸せになることを願う。部屋が寒くなってきたな。