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2月, 2023の投稿を表示しています

そんな暗い気持ちではないけれど。

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 思いを整えて、生活をいくつもやり直して。 過去に楽しかったできごとも、頭の片隅に残っていて。 陽が落ちて、日が昇り。 年を取っている。 年を取って行くことを自覚する。 誰かが結婚をして、 誰かが亡くなって。 私は生きているのだと思い。 生きているから、その時間を大切にできたら。 今までは、哀しいことも幾つか、あったけれど、 それは、自分が変わる理由にもなっていた。 静かな時間が幸せで、それでも人を傷付けることをする。 自分の性質と付き合うことを、何時までもしないといけない。 明るく生きたい。色々あった。もし、明るく生きることができる時が来たら、簡単に人を傷付けることができることを、気を付けていたい。そして、人生を楽しむことができればいい。

ねこのかいわ。はるちかし。

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  ち、ち、ち、ちむ、ちむ、ちゃりー。 ぶれているから、そのしゃべりなんですね。 ち、ち、ちみ。 わたしのかいた、はなしに、くろこ、というこころのやみの、ねこさんが、そういうはなしかたをしますね。 ち、ちみは。 はい。ねこのかいわですよね。 ど、どこか、いらついている。 いまげんざいは、そうでもないのですが、はるちかし、だからかな、とおもっています。 ちみの、ちみの、いらついたさいしょ。 そうですね。いろいろあって、もとのじぶんになりはじめたときに、ものすごいいらつきがあって、おさえられない、いらつきでひとにきがいを、くわえてしまうのではないか、くらいになったときに、おくすりをのんで、それがしだいに、しずまりました。 それから、それから、ずっと。 おくすりをのんでいます。 ね、ねこなでなでのときに、き、きづいた。おふろに、おふろにはいらなかったのに、おはだのちょうしが、わるくない。 そうです。ひどい、かゆみはなくて、きょうはいらつきが、少ないきがします。 ち、ち、ちむちむ。 なんでしょう。 ちみはこれからどうしたい。 そうですねー。やっぱり、いきがい、とやりがいですよね。なんていうか、それ、いかんやろ、というおもいはいまだに、ある。その、ちょっかんてき、きもちと、もうそうのはんいであると、むかしのじゅくせいが、よのなかをかえていく。しかも、よいこころをもって、よいほうに、よのなかをかえる、しんねんがある。そんな、ひとをおくりだせたら、というもうそうがある。 ち、ち、ち、ちむちむ。 なんでしょう。 うち、おんなのこ。くろこ、とは、とはちがう。 そうですか。あー。なんというか、かこをちょくし、したくないというか。じぶんの、なさけない、いきかたで、いきていたから、じょせいのことは、それもなさけない。でも、じぶんをかえていった。かこのじぶんをおもいだして・・・、もあったかもしれないけれど、かんきょうもあった。じぶんのほんしつ、みたいなものが、とがれていって、わるいものも、はんせいしないと、いけないものも、あるけれど、そんなにわるい、ものではなかった。いまのかんきょうも、おちついて、じぶんをみているというか、じぶんのこれ、よくないことだな、とわかりはじめている。 ち、ちみの、たいせつなこと。 なんていうかな。おとことして、えろかった。じょせいのことに、けいはくだった。いまのか

時間が経って行く。悪くもないが、良い筈がない。

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  やる気が出ない。甘えてもいるのだろうけれど、何かをする気が起きない。ダークな気分ではないのだが、何もしなくても何ともないので、何もせず部屋のありようが酷い。ぴりっとした香辛料みたいな何かを求めたいが、思いつかない。外に出ると陽は暖かい。もっと活動的になりたいが、そういう風な気分にならない。運動してたら違うだろうな、と思う。合気道、気持ちを合気道の方に寄せて行ったら、結構本気でやりたい。今まで殆どのことが中途半端や切れ端を齧るくらいのことしかしていなく。やり直しをしたい、という意味でもやってみたい。自分を変えて行く、一つの道だ。英語は月に1回をお願いしようと思う。そろそろ、勇気を出して。 頭の中が混沌としていて、筋道を立てて話すことができない。後になって整理して、こういえば良かったんじゃないかな、と思うことがそれなりにある。よく物事を忘れることも多いし。ただ、この約7年近く、本を読んだり、ちゃんとしたtwitter に上げられた記事を観たりしてきたからか、頭の中の混沌から取り出す内容がまともな内容であることがどちらかというと多い。頭の中、整理したいな、と思うことがあるのだが、中々そうはいかない。 腐りたくないので、新しいことがしたい、と思って教会の子供に言葉について何か伝えたい、と思って月に1回その場所を取らせて貰った。15分位で十分かな。考えてみれば子供に何を伝えるだろう、と思うのだが、最初は意識と無意識について簡単に説明が出来るな、と思っていてそれが終わったら何だろう、と思っている。大人であれば、お題を出して詩を書いて貰って、自分は、だがこういう風な感覚を感じている、こういう風にすれば言葉の道が筋が通るのではないか、ということを1か月後に俳句の査定みたいに伝えることはできるかな、と思うのだが。子供の場合は、どんな雰囲気か感じて、何となく掴めれば、1か月の期間時間があるので何かしたいな、とは思うな。自分のためだな。何か、自分も受け取ることができれば、生きがいになる。詩はその人の心に沿ったもので、こういう風である、と決めつけることはできないのだが、その心の伝え方をできるか分からないが、その人の心の伝え方として言葉を使って、その人の感覚として表わすお手伝いができれば、とは思うな。書いて、そこまでできるか分からないが、理想としてはそうだ。子供は思春期を迎えてそこから心

旅、宮城県松島町

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  宮城県松島町に行ってきた。昔、JAFの冊子に温泉から見る雪の松島の風景が載っていて、ケアマネに受かったら行こうと思っていた。どうせなら、今行けるし行こう、と思って行ってきた。贅沢するな、の働きかけや、橋を渡った島を歩く途中に痛めている左膝が痛くなり出して、松山に帰って来たときに、何かの合図で左膝の痛みがなくなったり。こんなんでは合気道できんかもな、と思っていたが合気道興味あるなあ。 心はそんなに動かなかったな。こういう感じだな、というのを確認して、島をよく廻って膝いてえな、と思い始めていた。 松島に行くまでに電車に乗っていたら雪が降っていて、駅に停まった時に、ふわりと雪が風に乗って入って来て趣きがあった。 松島町について歩いていたら、小学生の子供たちが声を掛けてくれて、私は相変わらずどうも、どうも、という返事だったのだが、嬉しかった。私のことをすでに知っている様子で、悪いことできねえな、と思った。写真撮って、と男の子かな言ったけれど、気にしないで、みたいなことを女の子が言って、去って行った。人の写真を撮るのは勇気がいる。もっと、自分に自信があったら、気にしないだろうけれど。 小学校には松が植えてあった。 今回の旅の心が動いたことは、子供に話しかけられたことだな。元気だったなあ、と思って。自分も籠に入れられた人だけれど、もっと希望を持って今の生活を送りたい。出来ることは沢山ある。希望を持とう。 仙台の朝は、雪が少し残り積もっていた。

日差しが暖かいのだが、夜になると、また寒くなるのだろう。

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  様々に思いはめぐり、答えというのは見つかっていない。 経験や時の流れに、触れて流されて、 季節が現れては変わり、ただ年を取って行く。 詩を詠う機会があることは助けられている。 ある絵画に心が動いたことがあるように、 小さくても心を動かされる日々を、連ねることができる。 答えのことはよく分からないことなのだが。 もっと年を取った時に、自分にとって答えは これだったと思えたら、 自分なりに気付けたら上等だ。 生きる力がそんなに強くはなかった自分だが、まあ、しぶといな、とよく考えたら思う。嫌なことがあって、色々あって生きようとしている。明るい日差しに子供を見かけると、その日差しにいて欲しい、と思う。自分も太陽の光を程よく、だが浴びると気持ちがいい。暗闇も気持ちがいい時はあったが、何分、年を取って来て、嫌なこともあったり、暗闇を味わえる体力がない。体力がない、という時点で余裕があるというか、元気側の基準を持っている気がする。そうありたい。答えは、なるべく年を取った時に、死を迎えそうになって、何かを感じて、もう十分やで。十分や。というその時の何かを感じたい。少し思うのは自分のことしか考えていないのだろうな、と思う。自分、結構影響力があるからな、と。自分だけのことを考えていると、どういうことになっているのか、考えずにいる。逆の立場になると、どういう思いをするのだろうか。どうなっても、生きないとな、とは思っている。もっと、我儘に生きていて、少しそういうことも取り戻したい。責任も持って生きるのだろうけれど。生きたい、というのが今書いている時点での思いだな。 今日は、カメラを持って外に出て、バッテリーの確認をするために電源をつけて、確認が終わったので、電源をオフにしたら、カメラのシャッター音が鳴って前にいた車に乗り込む奥さんに、カメラがレンズカバーを付けてはいたが、向いていて感じが悪かったと思う。時々、オン、からオフにした時にシャッター音がなる。ピ、ていう音はしないようにしているのだが、シャッター音は好きで、鳴るようにしている。

dilemma

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  薬を飲んでいないからか、 痒みや痛みがあるからか、 今日はいらいらする。 このいらいらは、介護士の時を思い出す。 冬によくなっていた。 アトピーや飲酒のし過ぎで、薬を飲んでいなかったり、 乾燥する季節と、この寒い季節だからなのか。 多分、この季節に薬を飲み忘れるのは、あまり良くないのだろう。 何度か祈って、 少し落ち着いて、 こうやって、何かを書くと、 気持ちがまとまって。 あの時よりは大分ましだな、と思っている。 調べたのだけれど、前掲(ぜんけい)を、ぜんかつ、と読んでしまったな。まあ、それは良いとして。 若干、男が好きなのではないか、という発言をしてしまったような気がするので、言い訳を。弁明を。皆さんは、私の暮らしを好きにやっているな、とお思いかも知れませんが。実際好きにもしているのですが、まだ、働き盛りの年で、元気がある年で、どちらかというと、無理やりに仕事を辞めさせられるような、力が働いて。別に仕事はしなければ、しなくてもいいのですが、家で一人でいることがまず、殆どで。時々、何かの働きで嫌な目にあって。自分がもっと問題のある性格だったら、また違ったのかも知れないが、我慢を続けて。相談する人もおらず、今は相談する人が欲しいとは思わないけれど。もっと、希望を持って生きていたと思うのに、自分のことについてはだが、豆腐に釘を刺しているように手応えはなく前には進まず。そうやって生きていたら、子供に変な反応ではないのだけれど、びくっと、反応してしまうことが、発生して。もの凄い、自分の自尊心が傷ついて。その内に、何でここにいるんだろう、と思うようになっていて。信仰、というものがよく分からなくなって来ていて。もちろん、感謝していることも、沢山あるのだが、そういう風に思うようになっていて。新しい牧師さんが来て、最初は何だろう、と思ったこともあるのだが、若い頃に純粋に神様の言葉にすがっていた話を時々耳にすることができたり、だんだん、メッセージも若い力が入った話を聞くことができて。多分、希望も持っていて、工夫もしていたり。何というか、エネルギーみたいなものを、感じることができて。正直、助かるな、と思っていて。自分のエネルギーが大分少なくなっていたように感じていたので。そういう中で、他にも信仰を感じる人たちのそれに触れる機会があって。それぞれの何かがあるのだ、とやっと気付いて。