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10月, 2024の投稿を表示しています

non 兵衛 ちょっとstylish に。

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  いつまでも子供や学生の気持ちでいる。 もっとしっかりしたいが、どこかそこら辺の年齢が進まないようだ。 歩むこと、何も経験していない。 そのまま姿が、年を重ねて行き、 年相応になることは、恐い。 楽しい気持ちを持って、 楽しいことを探して、 せっかくあるこの時を過ごそうか。 ねこ。 (ねこ。は余分に付け足したくなりました。明るくなりたいので。) 浦島ねこうのような気持ちです。いえ、浦島太郎ですね。鯛も平目もいっぱい食べて、おどれおどれい、と自宅で嬉しい気持ちになった時に、踊っています。そして、気付いたら白髪が混じり。しかし、確か父親は私くらいの年齢の時には、ほぼ髪全体が白髪になっていたと昔聞いたことがあるような。元気なのは元気なのですが、まんねりの気持ちが起き始めていて、どうすることも出来ないこの時間、許されていることもあるのだから、工夫しようと。まず、分かり易く思い付くのが旅。近場なら行けるいける。東京にだって行ける気持ちです。何しに行くんだ、と思いますが。だいたい、美術展を調べてそれを目指して行く。今のまんねり具合だと近場かな。 ウォーキングも気分が変わるのだけど、最近天候が不安定だから実施していない。 平日はやることやろう、と取り組んでいたらまんねりの気持ちになったのだろうな。みんなもっと大変だけれど、それはそれである。 希望の気持ち。それを思ったら、心が新鮮になる、すっとよい風が通って来たようなそのような気持ちになる。 こんど、のみにいこ。ricarica に行きたい。昔ほど呑兵衛な自分ではないけれど。

日本酒

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  私も裏の住人だと思っているが、 世界の裏の事情を観かけた時、 こういう感じなのか、と知る。 少し恐い。 お酒を飲んで歌を詠んでいる、 どこかにいたお坊さんのように、 ふらふらしながら。 心持ちではそう思って。 もし来たるべき時が到来したれば、 蒼いはちまきを額に巻いて、気合入れたろやないかい。 地道に。 (額に巻くのはネクタイではありません。) ネットの記事を観て、うわ、と思う時がある。昔、住んでいた借家の管理人のおじいさんに、社会は人で動いている、と言われて。色んなことが人の事情で動いているのだなと、最近また思うようになっている。良くない方の事情。楽しく生きたいもんだ。 今日は実家の近くの個人のお酒屋さんで、最近1週間に1回日本酒を買うようになっていて、今日は勢い余って焼酎まで買ってしまった。誕生日に白ワインを買ったお店だ。日本酒はそこまでは高くない物を選ぶが、でも美味しいのを選んでしまう。それからの1週間を日本酒で食前酒としてまず初めに飲むようになっている。健康にいい気もするのだね。 時々思うのだけれど、私は人をそんなに大切にしないかな、と考える時もある。普通だよ、と言われもするかな。いかん、そっちの方に行き始めた。 今日はフジで以前に美味しかったアジの干物を買った。税抜きで2枚入って398円で小さいアジであるし、ちょっとお高めかなと思うのだが前回美味しかったので、楽しみに食す。オーブントースターで十分に焼ける。有賀薫さんのレシピのレタスともやしを蒸して食べるレシピを、Twitter、えっくすではレタスをニラに変えた、と書いていてニラ好きなのでやってみると美味しい。私はタレにすりごまを入れるのを、豚ひき肉を焼いてそこにレシピのすりごまとタレを加えて、蒸したニラともやしにかけると、私好み。ちょっと前に蒸すための網を買っていて、フライパンで気軽に蒸し物ができる。今日もそのレシピだ。かんたん。 来週の土日は、何かごきげんになることをしようかな。なんだろうな、うーん。食べること以外を考えて、釣りも休日は人がいるし。あー、車で出かけて天気が良ければ、アコースティックギターで、詩を詠む練習と、詩と作曲とまでは行かないが作詩作曲を、人のいない海辺でする。いいねー、天気が良ければ夕方の光でじゃじゃーん、としながら、ふんほんはん、ふーっと歌を詠む。スマホの天気予報では...

え、もう10月25日なの、と思っている。

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  コンビニで新聞を読んだ後、予定を変えて近くのお店で親子丼を食べた。自分の気持ちもがっちりと親子丼に合っていた様で、かなりに幸せになった。美味しかったー。だんどりの段階ではスーパーで食材を買って、お弁当を1つ買うの予定だったが変更して良かった。夕食はバターチキンカレーを予定していたが、昼にちゃんと親子丼を食べたので何かヘルシーなものにしようか、と迷っている。この前実家の帰りにスーパーのフジによって半額になっていた真空パックになっているアジの干物を焼いて食べたのだが、これが美味しかった。半額になっていなくても、買いに行こうと思いながら買っていない。小ぶりなアジの干物だ。 昨日、夕食に有賀薫さんのレシピでサバを使った料理を作ろうとスーパーでサバの切り身を探したがなくて、小ぶりなハモが売っていたので、ハモでそのレシピを作ると激うまだった。ハモは1パック400円くらいで骨切りもしてある。84kgに体重がなっていたが、85kgにリバウンドしている。10月中に83kgを目指していたが、逆に増えている。今年中に80kgになろうとまで考えていたが、しかしあきらめずに。食べとるやん、なのだが。食べはするが、しかしお米を少なくするのは、効果的であろう。最近、夕食は米1合を炊いて、半分食べて朝にもう半分食べているのだが、0,5合炊くようにして夕、朝を半分ずつ食べようかな。時々、今日みたいに親子丼のようなものを食べて。カレーも。でも、ちゃんとご飯を食べていたら、基本は元気だな。少なくとも、何かをする意欲がある。最近も食べ過ぎは多くないが、美味しいからとちゃんとちゃんと食べると1kg体重が増えた。飲んでいる薬も新陳代謝が落ちる傾向がある。薬を飲んでいる初めは飲むことに抵抗があったが、今は薬を飲んで眠ることが習慣になりそれが当たり前になっている。必要性を感じている。 モンテッソーリの本を読んでいて、手は知性を現わす、と書いていた、言っていたので、しわが結構ある手の甲に、朝に顔を洗った後や夜の風呂上りに顔に塗るクリームが手の平に残ったのを手の甲にすりすりしたりしている。薬用のオリーブオイルを身体に塗る時は手の甲にも意識的に塗ったりしている。手について書かれていた自分の受け取り方としては、そうなんです、そういうものなんです、というか。多分、その傾向はあるけれど絶対ではないのだろうな、とい...

近くのファミマでちょろっと、何か食べよう。いや、どうしようか。もうスーパー行っちゃうか。そして、総菜を1つくらい買う。

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  幸せになるために。 温かい美味しい白ごはんを食べるために。 風に乗って、神様の良い知らせを受けるために。 お酒を程ほどに嗜(たしな)む、親しむために。 人の喜びを心から、祝福するために。 空を見上げるために、そのために。 そうやって、感じて生きたい。 身体も気持ちも調子が良くなってきた、調子がちょっとだけ悪い時、過去にそんな気分になっていた、なんというか芸術家の心持ちになっていて。病弱な、のような。切り替えて行こうと考えている。本当に調子が悪い時は、悪いのだけど。芸術家のような人の注意点を昔伝えられたことがあって、要するに感情を使うから、そのうちに本当にそうなってしまって、感情に飲まれて、自らを殺めてしまう。本当に嬉しい時、嬉しすぎて哀しみに飲まれたり、哀しみのその感情が心地良くて、そのうち本物になってしまって、どうしようもなくなったり。楽しさが当たり前になって、空しくなったり。未遂を重ねるうちに、本当に命を失ってしまう。嫌だねー。自分もどっちかというと、そっち系だったけれど、私は何も周りの人が育んでいる幸せを味わっていないのだ。それに当たり前のようで当たり前でない、新米のほくほくを食べる幸せとか、それまじで幸せじゃん、ということを知ったのだ。心で味わうというか。それにちびっこ小学生や、中学生、高校生もだんだん攻撃的な心が芽生えるお年頃でも、いい奴なら、おせっかいがしたいとかの妄想もあるし。ふらー、と寄った美味しいお酒も飲める店で、いいなー、と学生が見ているなら、おう、持ち帰り持っていけ、というおごりの妄想とかしている。妄想は幾らでもしていい。 るんるんるん。 楽しむぞー。お腹が空いてきたぞー。今日はやることやっていないぞー。 出汁巻き卵、大分焼くの上手くなっている。アプリのおかげだ。納豆巻くのとか挑戦してみよう。

牛のモモ肉が柔らかくて、味も美味しかった。

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  ビールを一缶飲むと、身体が火照って。 色々と考えていた、というより妄想していたことが上手く行かず、 ブログを書くことにする。 写真を撮りに外を歩くと、陽の色がだんだん変わり始めていて、 冬の間、午後三時半になってくると、 同じように陽の色の質が変わり始めていたことを、記憶する。 人であるならば、変化は苦しいこともあるが、 その時に。時の間に、大切な経験があるなら、 人の時を良いものにするために、エールを送りましょう。 本当の気持ちという、温かいエールを。 そうしましょ。そうしましょう。 カメラなんだけれど、結構なもので、でもいいカメラを買ったと満足している。あえて言うなら、その時情報を得ずレンズ一式で買ってしまって、既存のレンズは良くないよ、と後から知って、中古で単焦点のレンズを買い足したことが悔やまれるといえば悔やまれるが。ボディだけ買って、中古のレンズを買えば良かったのだな。 ある妄想をしていて、それが思ったほどに上手く行かず、くそーと思って外に写真を撮りに行くことにする。写真を撮って帰りにコンビニでビールを一缶と炭酸水を一本買ってから、自宅で一杯やる。それから、詩を書いて今このブログのこの文章を書いているのだが、僅かにしんどい。あー、これは身体的にもそうだし、気持ち的にもちょっとしんどい時なのかな、と思った。ビールを飲んで頭を働かせたし、なんなら詩人ぽく言うなら、こころを働かせたし、という言い方もできる。昔、何処かの声で、まあ人が言ったのだが、ちょっとそうなのよね、と言っていた。自分でも自覚するようになった。あの時、あの状態になっていた、とか。後から振り返って気付く。でも、ちょっと、のところがありがたい。基本、理性は保っているし、なんかそういうの、芸術家っぽいじゃないか、と思う。昔、憧れていたミュージシャンもバッドな状態で苦しんでいたり。うーん、でも色々なことが起こったから、絶望って言うか、失望って言うか、空しさとかそういうことから離れた気持ちでいられる。そういう感情に飲まれない。もっと楽しいことあるぜ、と思える。料理を作って食べることであっても、楽しい。食事が美味しい。大切なことだ。写真だってギターであっても、まだできることがある、と思っているから、楽しい。釣りも楽しい。詩も小説も大して根をつめていないから、まだやれる、と感じている。本業になって...

明日は今日食べなかった豚肉で、味噌しょうが焼き。有賀薫さんのレシピ。

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  秋の日々に暮らしていて、 身体を動かすと汗をかく。 美味しいものは好きだが、食べ過ぎに気をつける。 夜は窓を開けると涼しく、 午睡をしたので、目が覚めている。 カルビーのポテトチップスの、のりしおを食べて満足する。 何だかの疲れが抜けないので、午睡(ごすい、ひるねのことです。)を長めにする。すっきりはしたが、もう夕方だ、と起き上がる。モンテッソーリの本を読んでいたら、(幾つか前の時代での講義で言っていたことだが、)現代の人は使用人もいないし、ちゃんと掃除をしている人たちは痩せている、と言っていて。確かに掃除は身体を動かすよな、と思った。あの時代の向こうの人の家は広いことが多いだろうし、一人がちゃんと家を綺麗にしていたら結構な運動になる。自分も自宅を満足いくくらいちゃんと掃除をしていたら、もうちょっとカロリーを消費できるが、面倒でそんなに綺麗ではない。ただ、夏や秋に1時間でも掃除をしていたら、汗をかく。その本を読んでから、掃除をしていたらいい運動なんだな、とはっきり思うようになった。以前の仕事柄とちゃんとジムに通って、ヨガのスタジオとかに入っていたことも、現在に影響していて面倒だなーと思う時もそれなりにあるけれど、結構身体を動かして、生活の必要なことをしている。それなりにフットワークも軽いと思っている。もちろん、だらだらとしていることも、まあまああるけれど。寒くなるともじもじとしたくなる。夏はばてていたけれど、秋は調子が良くてマイペースで取り組もうと思っていることに向かっている。まあ、思い返すとそんなでもないけど。釣りはそんなに行っていなくて、でも今週の火曜日だっけな、朝まだ暗い時に目が覚めて海に行ってルアーでやってみたのだけど、明るくなり始めた時に小魚が跳ねて逃げ始めて、スズキがおもいっきり跳ねて、おおーいるー、とわくわくしたのだけど、見向きもされなかった。勝手にスズキが跳ねたの、人がいるか確認したのか、とか想像してしまった。小魚を捕食するというより、跳ねるために跳ねたような、飛び上がり方だったので。それなりに近かったし。今年はルアーで何か釣れるかな。 机の上の整理を明日しよう。水彩の絵の具のセット前に買ったし、絵も描いてみようか。ほったらかすのもったいない。土曜日はトイレの掃除と共に予定がなければ、絵を描く時間にするとか。絵を描きたいなー、と普段に思え...

密告。

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  波紋の時、好きでした。 ちょっとピンボケしています。 ババアアアン。   挨拶の漢字が書けませんでした。 ショートネコステの考えているネタが、進まず難しかったので、その考えを置いておいて、実体験を思い起こしました。 20代の頃、さんまさんの番組で、小林麻央ちゃんが、男の人って、私のことなめまわしたいとか思っているのかな、と言っていて。 20代の私は普通に思っていると思うよ、と思いました。 少なくとも私はそうでした。 今は本当になのですが、そんなにでもなく、でもそのマインドは男としてどこかに心持ちそのスペースを空けておきたいと感じています。 今回は苦し紛れであり、ショートネコステは狙いに行くと難しい、と感じています。

秋。

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  夜が幾分、冷えるようになって来て、 簡単なハヤシライスやシチューを作った。 物寂しい気持ちが私の心を通過して、 温かい料理が食べたくなった。 夕刻から、暗がりになるのが早くなって、 少し寂しい。 残念だな、とまで思っている。 夜が自然に明るい時、私は楽しい。 だけれど、季節を受け入れ気持ちを伴い、 長袖の服を着て、過ごす。 昼を歩くと爽やかさ。 そうか、まだ秋だ。 昔から私が好きな季節。 ハヤシライスとかシチューとかが食べたくなって、でもそれらを作ると夕食を食べ終えた後、残ったものをまたお皿に時間が経っては少し入れてちょこちょこ食べてしまう。暫くハヤシライスもシチューも食べていなかったせいか、カレーを作った時よりもそれをしてしまう。ただ、そうやって食べている間幸せだ。それと、カレーより早く料理が済む。簡単なレシピの料理なので。10月に入って、やー、よく眠れる。幸せでは今のところある、という程度だが、気を付けていなくてはいけない。元気なのは元気だ。 生きて行く責任のようなものはあるのだろうけれど、自分が好きに選択をして生きたいという思いもある。自分にはそれができる気もしている。今まで色々な制約の中で生きてきて、その制約を知ったことはかなり重要なことだ。少なくとも今現在は、選択はしていないけれど、それなりの生活を好きに生きている。最初からそういう風に生きていたら、我儘で酷いことを今よりする人間になっていたのかも知れない。人と出会いそれぞれの物語を生きていて、自分も自分の物語を生き、そして人によって被害を受けたこともあったが、あったな、思い出すと。でも今思い出すのは人の温かい方の面だ。今それが言えるのは、今の生活があるからなのだろうか。頑張っていた時も、それはあった筈だ。 話が時々、向かう方に行き始めてしまった。私が時々癒されるのは、自宅の駐車場に車を停める時、隣の車の陰で猫が休んでいて、何時ものように手を振って挨拶して、車を出た後、猫は去るのだが、振り返るとふっと壁から顔を出してにやっ、と親しみの表情を浮かべたのを見たことだったりする。今年の夏にあった出来事だ。夕方だったかな。 疲れれば昼寝をして、コーヒーを飲む時は読書をするのだけでなく、リラックスをする時だ、と改めて気付いたり。のんびりなりに何かをしたり。なかなか、穏やかだな。秋は自分なりに活動して行こう...

よい年でありますように。

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  ちょっと、どうするナリ。あなた、誕生日ナリよ。 46歳になります。 そっちの方は、次々に若者に追い抜かれているナリよ。 もうそれは考えないようにしています。 世界は、世界のことはどう思っているナリ。 去年の自分の誕生日から、酷いことが起こってそこはあまり、考えないようにしています。子供が幾人も横たわっている写真を観て、これが戦争か、いや虐殺か、と思いました。大人も酷い目には遭いたくない。 よく知らなかったことが、起こっているナリね。 あの国がなぜそこまでのことをするのか、今の現状を観て、理解ができません。 誕生日ナリよ。46周年ナリよ。 そうです。誕生日です。いつの間にか、寝落ちしていてシャワーを浴びて、薬を飲み、いつもならもう1回眠るのですが、誕生日だな、と思って起きておくことにしました。 でも、だから拙者と話すことができたナリ。 ん、あなたオリジナルキャラクターとして、自分のこと拙者って言う言い方しましたっけ。 ぎく、にんともかんとも。ナリ。そう、拙者はあなたで、あなたは拙者なのです。ナリ。 なんか、若者が聞いたら恐がりそうなことを言いますね。 シャドウ、ナリかね。 私が、思わず失言したことや、場をぶっ壊すことをした時に、あなたが暗躍していた。 シャドウ、ナリからね。 た、誕生日ナリよ。思い出に浸るナリ。楽しいことあったナリ。 そうでした。今日は誕生日なんだから、楽しく過ごします。 それがいいナリ。デパ地下行くナリよ。 煎餅買って、肉はグランフジの肉屋かそのまま、デパ地下で買っちゃおうかな。飲みに行くも考えたのですが、それはまたの機会にとっておきます。 スイーツはどうするナリ。好きだったナリでしょ。 デパ地下で買っちゃおうか。でも、ほどほどにしておこう。おデブが過ぎるし。 何か、買ったナリか。 物は足りているので、去年チャンピオンのトレーナーをいくつか買ったし。刺繡屋さんとか知っていたら、そのトレーナーの袖口に猫の刺繍とかしてもらいたい。ちらっと、見えるくらいの。どうせなら、かわいいのがいい。 いいナリ。そういうのいいナリね。 ゆっくり、誕生日を過ごします。 そうするがいいで、ござ、、ナリよ。 ♫ 人とは不思議なものだと思う。 私も私の性質を脱ぐことはできず。 一人一人何かを抱えている。 結構みんな強く生きているのだな、と、 見上げて感じる。 私は私...

もうすぐ経験する齢で、はー、気持ちは30代くらいの時と変わっていない。いい意味でもあるし、もうちょっと大人な感じにもなりたい。

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  人は生き物で、 食べて、 排泄し。 衣服の洗濯をしては、 それを着て。 掃除をして、 清潔を保ち。 悪いところがあれば、 薬を飲んで。 好きな雑誌とか本を読んで。 その日風が運んできた、良い知らせを聴き、 安心して、 夜眠ることができれば、思うに幸運であるのだと。 そのように。 写真集とか画集とか、雑誌も。自分の記憶では仕事をしていた時は、喫茶店とかで純粋に楽しんで読んでいた気がする。まあ、でも写真集も画集も現役の時はそんなに買っていなかったか。そうだった、美術館に行くことも楽しんでいたが、私なんかが、よく分からんけど、でも楽しんだ、みたいなことだったのだな。そういうことも楽しむことは良いことで、楽しいと思う気持ちが続いて、色々と感じることも経験として持つようになった。そういう世界を感じて、そういう世界の人感じているのだな、と思うようにもなった。あ、それ自分も感じる、とか思うのだが、そういうことはそういう世界にいなくても、感じる人は感じるか。で、自分で作り出す時に思うようにいかない。作り出す感性とかセンスとか、必要なんだな。自分は服が好きだったから、そういうところからも学んだかな、とか勝手に想像はする。本当に勝手に。文章は何処から学んだかな、と思うのだが結局本を読んだところからか。綺麗な表現とか好きになった。写真はあ、これやり過ぎだ、とか感じる物もブログに載せているけれど、大分良くなってきたな、と思うな。随分学んだ、無理なく。まだまだ、経験した情報を意識出来ていないこともあるけれど。 料理もこの期間に、学んだ。自然な味が出せていないことが多いけれど、以前のように調味料をどばどば、ということも少なくなってきた。 もうすぐ誕生日を迎える。日々を過ごすことで結構お腹いっぱい、みたいなことで。先を見ると焦ることもある。だけれど、今のところ日々を過ごすことで十分というか。ちょっと間違っているのかも知れない。ただ、人と人とのことが面倒になってきている。人と関わるのが人間だから、そういうことにも慣れておかないといけないのだが。自分としては、色々あり過ぎたんだなと感じている。今も楽だけれど、もっと楽に生きていたと思うんだけど。まあ、贅沢な悩みか。自分変わったしな。自立した人間に近付いたような気もする。気持ちを込めた文章でお金を稼いでみたいと思う。感じる。考える。願う。望...

木を見て森を見ず。文学の森。

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  手をまさぐる範囲で、情報を得、 自分のものにしたいと思う。 素晴らしい情報であったことに、後に気付いたり、 混じり気のあることや、私はそうでもなかった、 という結果を感じることもある。 生きていて気付くことは、幸いであるな。 蛙は外の世界に出たとして、 やべえな、と気付き、 何処かふんどしを締め直し、 やべえ、ふんどしおれはできない、と気付き、 その代わりにはちまきを頭に巻き。 自分ができること、自分でもできること、 を探すことにした。 生きる旅に出られる自由を手にしていた。 詩人、物書きである、と自分のことを書いたが、世間的なバッシングにびびっているくらいに臆病ものである。しかし、最後のプライドは保っていたいとは思っている。道化ものであったこと、しかして、結構そのものでもあるところは、あり得るところ。 そんな中、宮沢賢治の詩について、分析してみたいと思ったのだが、がちでやるのは難しいことを感じた。その頃の田舎にいる日本人が感じる情景、それを感じること。素直に明滅、という言葉が美しく感じられること。とにかく、よく感じていること。そして、それを現わす表現力。なんてことだろうか、難しい。ぱっと読んだだけだし。それを感じ取り、評価する側もすごいと思うのだ。でも、あるなそういうアンテナ、とは感じるようになった。自分ももうちょっと、文学について感じて、読まないとな、と最近思っている。一時期は頑張っていたが、考えが書いてある本が好きになってそういう本を読むことが殆どになって。この生活の初期は文学的な気分が今思い返すなら、あって、そういうものを感じ纏(まと)っていたような気もする。思い返すと、気持ちいい、書いているあの時間。最近より、あの頃が思い出す限りあの気持ちを纏うことができていた気がする。できるならまた、あのような気持ちになって。