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俳句にどこか影響され、そして詩です。私は詩人です。

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  雨は降る。 いつかに降る。 地に落ちて、 流れ、または染み。 涙のように渇きを潤し。 心を脈拍する。 雨の音、涙落ち。 心もまた律動して。

かき氷美味しかったなー。あれくらいあっさりしていたら、また食べたい。結構値段はするが。

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  地道に、例えば人と生きる仕事、 大変だなと思う。 甘いなと私を思うが、 強くもなっていて欲しいと願う。 多分、人と接すると自分の弱さを感じるだろう。 どうにか、と考えて、 私はどうなりたいだろう。 幸せの響き。 少ししたことで綻びが現れるのだと感じて、緩いのは今でも緩いが、気分転換の必要性を思った。でも、インターネット上で、たまにテレビで何かのシグナルや反応があるのでやっぱりそれに助けられているのだろうなー、と。それがなかったら、週に1回家族と話す以外に他者とちゃんと話す機会がない。日曜日のインターネットの礼拝でも私はメッセージ中に思ったことを、べらべらりんとパソコンに向かって話しかけている。これも結構、溜まったものを吐き出せている気がする。どうやら、どうやってか通じているのだ。テレビでもそうだ。考えてみれば空恐ろしいことではあるが。 文学、とか私は特に最近言うがそっちの人たちみたいに、そんな知っているわけでもない。言っていて、ちょっと不安になった。でも、文章を書くことは得意だ。私の文章であれば。 週に作業を3回だけにする、と決めてから今のところその3回はまじめにやっている。3回だけなのだから、ちゃんとしようという意識が働いて。ジムへも行くようになっている。 冷房をまだ使っていない。どこまでいけるか、何ならやり過ごせるか挑戦しようと思っている。べたべたした汗を流している。 今日は冷蔵庫にバジルとピーマンを余らせているので、あかりんの鰹のタタキの丼が夕食の予定だ。スーパーで食材を買い足している。

暗くなり始めた、近くの石手寺にて。

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  生きる喜び。 そういうことを経験した。 夏の夜に蝉たちの声を聴いていると、 感傷的な気持ちが染みて現れ。 みんな命を灯していること。 蝉の声を聴いている。 (生きることは今、楽しい。そんなことの中で、ふっとその楽しさを取り除かれた時に自分には何が残るだろうか、と思った。文章の感覚を感じることはわくわくする。写真は楽しいがそういうところにはいない。たまに良いのが撮れると嬉しい。ギターは多少上手くなったが、YouTube を見ていると果てしない。とろい感じがする自分が弾く感じは。これらを取り去られたら、と思おうとしたが、それは冗談じゃない。本当に冗談じゃない。ただ、命について、いいことがあったらいいな、という思いだ。たまにのぞかせて貰っている写真には明るい笑顔があって、命の力を感じ、またそれを貰っている。未だに何ができるのだろうか、と思い。本当に何かがしたい。一番初めに思っていた、こんなことができるかもしれないのだよ、と言えるようなことが。私の夢。) (文章についての本を読んでいて、文学的すぎるというか、分かりにくいのは私は辛いな、と感じ。重厚だけれど読みよいものがいいと思うし、私もそういうものが書きたい。私が感じるちゃんとリサーチをアンテナ張ってはいないが、突出している一般的に残っている方たちはそういう人が多い気がしている。これはそんな気がしているくらいのものだが。) 少し違うな。やらしい纏わるような文章や、頭を抱えるようなでもどこかに美しさのある文章、総称して文学であるか。あくまでも私はそう思うだけだ。

夏の夜。子ども、学生は夏休みか。楽しいことあればいいぞなもし。

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  シャワーを浴びた後、水を飲むと、 汗がたらたらと身体から流れる。 摂り過ぎている塩分よ、出てくれ、と思っている。 夜が更けて、風が東の窓から南へ過ぎる。 静かだな、と思う。 猫が喧嘩する声も聴こえない。 どこかでみんなで涼んでいるのだろうか。 だとしたら、私も混ぜてもらってもいい。 夏の一日のおわり。 今日は久しぶりに夕寝ができた。気持ちがいい。睡眠が以前ほどできず、そういう過渡期にあるのかと思っている。眠り過ぎもいけないが、ぐっすり眠るのもその後の元気のために必要だと。 姉がくれたポテサラと芝えびのマヨネーズとサラダと和えたのと、蒸し鶏ときゅうりのが美味しくいいお酒のおつまみになった。ポテサラ、半分は明日へと思っていたが全部食べてしまった。 来週にでも飲みに行くかな。夏で人が混んでいるかもだが。予約せずに行ってみる。天ぷら、天ぷら。 お金を結構失ったが、もういいんじゃねえかと思っている。めちゃくちゃはしないが、負担にならない程度に生活をする。外食も余裕でする。自分で作ったものを食べるのも好きだが。昨日は作るのが面倒だ、と思って12,3分でできるハヤシライスを作った。アプリの作り方。十分美味しい。今日もその残りを食した。 静かな涼しい場所で、本を読むのはなかなかと喜びだ。読む時間も嫌にならないくらいに。 明日は土曜日、作業をする日だ。疎かになっている文章についても入れ込まねば。インターネットでの情報も、新しく買ったノートにメモをしておこう。あれとこれは憶えているが、他にも何かあったような、とか思っている。ネットでの文章のこと。 何か始まるのだろうか。お金については欲しい。人との関係は優しい人なら、何かの利害とかなく話してみたい。今でも全然人恋しいとかはない。ただ自分がやりたいことがもし始まったとしたら、裏とかのないそういうことを専門にしている人と対等に話してみたい。 かなり、妄想だとしたら国のそういう部門に関わって、やりたいことに関することができてもいい。まあ、これは妄想だな。やりたいようにやりたいし。 ただ、今まで生きてきた感じからすると、そう思ったようにはならない。今は、へー、そうなんだと情報を得て満足しているだけである。 楽さに甘んじている。ぼちぼちやりたい。 そうなんだよな、こののんびり生活なかなかいいんだよな。自分のペースで生きる感じ。 そして...

食いねえ、食いねえ。ほどほどに。

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  心をどこかへ、遠くへ置く。 そんなことをしていたことがある。 乖離に近い、そんなことを。 今は、今を楽しもうとしている。 今を感じて、 時が動いて。 だから、感じていることが気持ちいいし、大切だと。 私はそういう時間にいる。 乖離(かいり)と読みます。そんなドープなところにはいなかったのですが、若かりし頃、時々そういう感じだったなということを思い出します。どっかに気持ちを飛ばして逃げているのですね、現実世界から。弱かったんだなー、と思います。 今はとにかくと自分の時間を感じることができる環境にいます。幸せだと思う。 絵をほんとに時たまボールペンのジュースアップの10色セットで書くことがあります。水彩のセットも買ってあるのだがなかなかと手をつけない。 今日、ふらりと暇過ごしに文具生活に行き、毛筆型のペン5色セットを買いました。何か買い物がしたくて。 絵を描く習慣もつけてみようかな、と今日、今思っています。何を生意気な、とほんの少し思われるかなと感じてはいますが、描く分には勝手にやっときゃいい。今まで感じたことで、やっといてよかったー、ということが多かったのでそんなことでやってみよう。なにか、という時にかわいい絵が描けるのもいい。心が静かだなー、という時に絵が描きたい、とかいう気持ちにもなってもみたい。それなりに描けたら。今日買った5色セットのペンがその思いにさせてくれました。 今、基本の休みとしている日が4日もある。そのうちの1日を絵を描く日に充ててみようかと。絶対ではなくそうしてみよう。 今の生活は夏の時間として動いています。やる気にならねえな、と思っていて作業などすることを週3日にしてから駆動し始めた。まだ始めですが、ジムへも行くようになっている。しっかり食事を摂っているので、ばててもいない。無理もしない。頭に今年の夏の生活、夏の計画と浮かんでいます。 去年の秋頃にも、自分なりの秋の計画がありました。やる気になっていなかったからだっけな。 冷房は自宅ではまだ使っていません。今日なんかは、一番暑い頃は喫茶店で過ごしましたし、2日前だっけかほどの酷暑では自宅の中はない。ありがたいことに角部屋で東向きの窓と南向きの窓を開いておくと、夜は結構涼しい風が通る。但し夏に本気を出されたら、もうさすがに冷房のお世話になるしかありません。お手柔らかに。 明日も午後は自由...

結婚道

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  余裕があることは、 気配のような、 ただ、夏のような、 そんなことを感じさせてくれる。 明るい夏の気心を感じるのは、 とても、豊かなのである。 広島にでも遊びにいこうか。 夏だ。小学生の頃は夏休みに結構な時間、兵庫のばあちゃんの家にいることが多かった。兵庫県の川西市、近くの猪名川の橋を渡ったらすぐに大阪府の池田市になり、私は大阪のばあちゃんの家、という認識で20代後半くらいまでいた。生まれた病院は、大阪のどこぞの病院だ。あの夏の記憶は私にはとても印象深い。 詐欺にあった貯金事情であるが、広島に日帰りで遊びに行こうかと今思い始めている。いや、でも9月くらいに行ってみるかな。 東温市のグランフジ重信にあるTSUTAYA でピーターラビットシリーズのちっちゃい絵本が売っていて、やべえ可愛いなといかんかもだが、スマホで写真を撮ったのだが。ちゃんと確認していないが、川上未映子さん翻訳なのだな。 川上未映子さんは芥川賞受賞作の、乳と卵、は確か受賞した時に購入して読んでいる。情熱大陸だったかなー、そのドキュメントも見ている。乳と卵の内容はかなり忘れてしまっているが、情熱とか強気とかのドキュメントも併せての今の記憶だ。違ってるかなー。 鮎が食いてえ。天然のうえに脂がのったやつを。すいかの香りがするとかも感じてえ。 今日はすると思っている作業を休む日だ。午前の遅めにジムに行って、喫茶でランチを食べ読書をする。カラマーゾフの兄弟、と人間行動学の本2冊。いずれも、負担にならぬ程度に。カラマー、はおもしれえな、くらいの今の印象。人間行動学は、まじかー、という章に入っている。2冊とも聖書を読んでいて良かったなー、と思える書ではある。 イオンでステーキ肉を買った。赤ワインも買った。そろそろの夕食にぶいぶい、ゆわせる予定だ。 あらへんで~。 上記は特に意味はなく書いてみた。日本酒を1杯やっている。ネットがあるからこそ、機嫌良くひとりの生活を送ることができている。 どないしよ。新たな生活にすること。今に甘んじる安心感。 このままや、あかん、という感じ。 むーん。 わからへんな~。ほんとに。どないなことか。 妄想しかできないなー。 どないに、おもってんのやろな。 自分も感じがよー、わからへんのや。 ただ、優しい人であったと。 その感じや、残ってる。 結婚や、結婚から始めんのや。

蝉の声は夕方から。

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  豊かな時間。 グラスの洗い方。 冷蔵庫にある夏野菜。 汗をかいて歩くこと。 夕方の音。 夏のこと。 やさしい、 なつかしい。 暑いんだけど、夏は好きだ。郷愁が現れるのは、どう考えても子供の頃の夏休みの記憶がその因の大半を占めているだろう。 明日は午前中は武道館のジムへ行って運動をして、午後はカラマーゾフの兄弟を読むかな。かき氷も食べたいね。 何か楽しいことをするか。飲みにでも行くか。 今、蜩(ひぐらし)の声が遠くで聞こえた。綺麗な声なのだよな。2,3匹が遠くで鳴いているのを聞くのが好みかな。 何か話題を考えようとしたが、そんなに思いつかない。まだ、冷房を使っていない。冷房を使わないでおくと、水でシャワーを浴びるのが気持ちいい。 しゃん珈琲でクセがあるというコーヒー豆を買ってアイスコーヒーを作っているのだが、私としてはクセがいったいいずこにあるのだ、という感覚だ。好みの、コーヒーの味だ。ブラジルより好きかもしれない。あと、ブラジルより豆の大きさが大きいね。 しょろしょろ、カフワのお店でも水出しコーヒー用のパックを買いに行ってもよい。豆が全部なくなったら買いに行ってみるか。どっちつかずのわたしである。 こど看さんが紹介していた本どもを少しずつ読んでいる。まだ、まったく読んでいないのが7冊ある。面白いなと思う本が多い。人間のことだからなのか。小説のネタにもなるなー、と思うし、人として純粋にそうなのか、と少し驚いたり。私本人がこじらせ系だったのもあるが。 ある時まで手を少ししかつけていなくて、ふと作業をするリュックに入れておいてみるか、と始めた時から面白いじゃんと思って読んでいる。 食事の前の祈りの中の1つに、子どもや若者に効き目のあるものとして神様の知恵をいただき、文章のことを伝えられるようにその準備ができることを祈るようにしている。ある時に、子どもや若者がそれを自分を助けるツールにさえなるようにと。どうにも人生があかんなったときに、助けになることがあるようにと。 しかし、最近さぼっていた。まったくまだ確立していない。子どもには分かりやすく、文章を書くことが好きになるように。そうしたら、本も読むだろうし。甘くねえけどな。本当に興味があるようになってもらうには。人それぞれであるし。 若者は実践してもらえたら。ネットで文章を書くという。まあ、妄想だな。 でも、気持...

暑い日が続きます。

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  持っているモンテッソーリの本の1つの中で付箋をしているところを読み返して、気になったところを。 作業のいくつか重要な部分を記憶することに取り組むよりも、むしろそれを軽く学習し、そして完全には忘れてしまわないで数日間放っておき、脳の中のエングラムつまりシナプスなどが結合を繰り返す痕跡が組織化できるよう余裕を与えるように勧められている。 ようするに、がっつり集中的に学習するのではなくある程度は学んで時々それらを思い出したりしながら、脳をのんびりさせる。 休暇の後、学校へきた子どもが、以前にはあいまいであったものを理解していることにきづく、と。 この事実から、試験のための詰込みが何と役に立たず、むしろ有害であることが明らかだと。 だからと言って、学生さんは試験勉強を今はやめない方がいいでしょう。ただ、本質的な知恵や賢さは上記に記したようなことから育つのだろうかな。よく分かっていない段階で偉そうには言うことではないけれど。(お前が知恵や賢さかと言われてそうで恐くなったのですが、世の中、人間界の大海原で様々な才能の種を持った者どもがそこを泳ぎ、何かを見つけ物にしてもりもりと成長し現れるのでもある。これはまじで。) ある程度勉強したら、のんびり脳を休ませないと。デフォルトモードネットワークもそういうことであろう。 生命は、ひとつの宇宙の行為者。子どもはすでに数の力を身につけている。地球上の驚くべき広さと生命の重要さをその子どもが持っている数の力によって大人は伝えることが可能。おそらく子どもには、大きさによって印象づけられる。狭い海域の海洋の魚1種類だけでも、年間何百万トンという漁獲量に気づくとしたら、海洋の生命の大きさについて何かを実感するだろう。 近いところで実感するのもいいな。数えきれないほどの、生命の法則。 教育の基本原理は、あらゆる学科を相互に関連づけ、それらを宇宙の計画の中で集中化することだと。 日本の義務教育よくできているな、と振り返ると個人的には思う。 人間は、理想的に決められた姿への到達に向けて神秘的で内的な力によって促されている自分自身の彫刻家であると。モンテッソーリでは、美しさを2つの観点で考えている。 1つは遺伝的なもの、2つめは環境によって引き起こされるもの。 ある年を行くと内面が顔に現れるという話もありますしな。顔の相とか。自分磨き、という...

ああ、内子、内子も内子、ああ、内子。

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  内子に行ってきた。 お蕎麦屋さん。 お蕎麦屋さん。♪。 内子、街並み。 サンパツやさん。いかん、YouTube のネタが頭から離れない。 お魚屋さん。 お魚屋さんの総菜。食べてみたい。 お魚屋さんの隣近くにある海鮮丼を出している店。海鮮丼もいい、食べてみたい。お魚屋さんから仕入れているのだろうか。 少し入ったところに置かれている本。 暑いけれど時々、雲がお日様を遮ってくれるね。♪。 こどもが遊ぶ場所。 内子には保育園もあるし、小学校もあるし、中学校も、高校もある。若い人も住みやすいかな。車があれば松山だってすぐだし。 まちまちなみなみ。 1時間くらい歩いていて、午前はジムにも行っているのでさすがに疲れて、お店で持ち帰りのアイスコーヒーを頼む。お蕎麦を食べているので甘みなし。 ラブリーきゃっつ。いいとこにもらわれてねん。 みあげると、わたしも、しんしんりょくりょく。 たびどりよ、しばしここにて、きゅうけい、されたし。 (一般住宅通りを歩くと、親燕が私の上を何度か翻りながらくるりくるりと飛ぶ。あ、警戒されているんだな、と思ってそれでも写真を撮ってみる。すぐ近くに巣があって。親鳥はそこに戻っていった。私の恰好が特に警戒されたのだろう。黒の帽子、黒の長袖のパーカー。山に入るとスズメバチは人が黒の恰好をしていると、警戒して襲ってきたり近づいて周りをぶんぶんと飛ぶのだそうだ。熊と間違うのだそうだ。私も、燕にそういう圧力をかけたのだろう。2回別の場所で燕に警戒された。黒のパーカーは去年ユニクロで別の商品と勘違いして買った夏用のUV カットの長袖パーカーです。せっかく買っているのだから、この夏沢山使おうと思っています。しかし、これからの更なる猛暑に対応できるのか。) 冬と春を殆ど運動をしてこなかったので、急に運動してさらに内子を1時間歩いたのでちょっと疲れた。運動はぼちぼちこの夏はしていきたい。無理のない運動であるけれど。 お蕎麦美味しかったな。つゆまで全部飲んだ。なすはとろとろであったし。

夏の夕方の歌

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  夕方の闇の始まり。 夏の夜。 時のかき氷。 付着する色素。 にぎやかし声。 家路を歩む静かに安らかなることがら。 あっちにも、こっちにも。 あんなこと、こんなこと。 いつまでも懐かしさ、 よみがえる今の刻。 喜びと、弱さに明け暮れる日に。 日常に、日々に。 イン・ザ・past. 何度か言うのだけれど、テレビの俳句のプレバトを時々見ていて出てきた俳句をテレビの前で私は評価したりもしている。そこで、夏井いつきさんの評価や俳句の出題者が自分の書いた俳句についての説明するのを聞いていて、ほんとに時々なのだけれど、詩を書いていてあの人ああ言っていたなー、とかあの使い方よかったよなー、とか想起して影響をされている時がある、少なくとも意識している時がある。食事をする時にテレビを見るという習慣があって、それが木曜日のプレバトにばっちり合ったら見ることが多い。 睡眠が短くなってきている。がっつり寝て、すっきり生活したいのだが上手くは行かないものである。 今日は午前3時に目覚めて眠れなくなったので、ブログを書きながら途中で眠くなったので布団に横になっていると4時過ぎたころに、蜩(ひぐらし)の声が聞こえた。私自身としてはこの夏最初の蜩の声だ。もうちょっと早い日に鳴いていたのかもしれないが、私がその時間寝ていたりして聞いていなかったのか。 ありがたきこの生活は、今眠くなってきているのだけれど昼寝ができるのだ。 私はがっつり寝ないと駄目な性質のはずなので、工夫したいものだ。朝は、就寝する部屋に東の窓があり、障子が破けているので光が入ってきて目が覚める。 まだ、扇風機で暮らせる。いつまでのことやら。 朝、apeに行った後にドン・キホーテで買い物をして、その帰りにおひさまいち、に寄り、様々野菜を購入した。えごまの葉があったので買ってみたので後で使い方を調べよう。スープに入れてみたい。 そろそろ髪が切りてえな。

7月10日の夜に。

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  部屋の風通る夜。 少し前、夜を不気味さと静けさのコントラスト、と思ったことがある。 キリストが捕らえられる夜。 ここずっと、私の夜は静かな安堵の時で。 今日もまた、そこにいる。 やる気がある。妙にハイでもない。 今日の夕食は食べ過ぎた気がする。しかし、野菜が多かったかな。今日作った鶏皮のピーマン炒めは、ピーマンはヘタも種も取らずに縦半分に切って、それから斜めに千切りよりは厚く切っていく。コウケンテツさんの動画から学んだことだ。このレシピ自体はアプリにあるレシピだが。少しずつ自分の感覚で作ってもみたいが、料理家の方がこれが美味い、と言って出している作り方なのだからやっぱりレシピを追って作ると殆んどは美味しくなるのだ。 試すのも好きなのだよな、どんな味になるのだろうかと。それプラス、冷蔵庫にあるものでぱぱっと作れるようにもなれたらよい。少しはそういう感覚もついてきたと思うけれど。 明日の夕食は残り物と冷蔵庫にあるものにしよう。明日は、作業をする日だが午前中は自宅でするかな。集中できなかったら、喫茶店など利用しよう。 血圧が高めなのだが、夏はなるべく水分を取って汗もかくようにしているから血圧の数値が良かったりするのだよな。それが要因かは実際のところは分からないが。あとでAI に聞いてみよ。 ゴーグルファイブが出始めている。さっき1匹仕留めた。使っていなかった、撲滅用の餌をつまりコンバットを部屋の隅々に置いて行こう。ファイブどころでなかったりして。 明日は梅を干そうかな。3日3晩が基本で、1日1回紫蘇の梅酢に戻すと赤く染まるそうだ。今まで白梅の梅干ししか作っていなかったから、へー、と本を確認する。 インターネットで礼拝していて、メッセージでヨハネによる福音書13章30節のはずなのだけれど、礼拝の動画を確認せずにAI で調べると私の新改訳ではユダがパン切れを受け取ってまさに裏切りが始まるところで、30節は最後に、夜であった。とあるのだけれど、文語訳の聖書では(文語訳は昔の文章の表し方というイメージ。)時に夜なりき。と締められていて、この味わいから小説を書きたい、と言っていた信徒の方がいたとメッセージされていて。私がその時浮かんだのはコントラストだな、と思って、キリストが捕らえられる前のその夜の不気味さと、一方で夜という静けさの質の感じ。時に夜なりき、という文語体は...

早起きするといいなー。

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  言うだけのこともある。 でも、言ったんだからやってみようとも思う。 ひと時のことでもいいから、やってみるのも面白いなと考える。 感じる。 そして、感情。 そうして、思う。 一人でいると、自分なりに分析はできる。 しかし、人といると気持ちを乗りこなすことができない。 心は恐く震えることもあり、 手もまた震えることもある。 まれに、だが。 いや、ときどき。 私は何に向かっているのだろうかと、考えることがある。 学校では教えてくれない 自分を休ませる方法 という本を読んでいて、面白いなと思ったのは、つらいことに関して整理する段階で、何が自分に起こったかという事実、その次に起こったことに自分はどう感じたか、そしてその感情のせいで以前とはかわってしまったこと(行動や感情)、を見つけていく、というのがあって。その整理する段階とは、つらいことがあった前のもともとの自分を見つけていくヒントになるとあった。そうしてつらくなったあとの自分を観察するそうだ。それから、つらくなる前のもともとの自分に近づける工夫をするのだそうだ。何度読み返さないと頭に入らないな、とは思っているのだが面白いなと感じる。 私ももともとはネガティブ思考の人間で、とんでもないことはともかく大抵のことはそんなに悩んでもしょうがないことで。今も不安に囚われることが多いのだが、この本は自分に役に立ちそうだなと思っている。実際に私に実用することをしようと。分かりやすく絵や図を使っても書いてくれている本なのでネガティブ思考の人は試してみてもよいかも。 カラマーゾフの兄弟を午前中に少し読んだ。キリスト者の自分は面白いなー、と感じている。概要を全く知らないので、このままどうなるんだろうと読みたい。絶対に先を自分で読む以外知りたくない。午後も少し読むつもりだ。ぽつぽつと読んでいく。 子どものSOS の聴き方・受け止め方 という本も読んでいて、傾聴の章になって思ったのは、これケアマネの時に幾人の方かにはできていた、と思った。その話に自分も乗っていて物語を追っている自分も心が温まって感情がそこにある。 傾聴はなかなか難しいことではあるのだけれど、私は子供時代集合住宅に住んでいてそこに住む子供同士は基本仲が良く、そのおばちゃんやおじちゃんとも何処かに連れて行ってもらったり良くしてもらった思い出がある。その子供時代の思い出が、...

7月7日 七夕の日

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  肌がかゆくなっていて、 瞑想と祈りのことを思った。 脳が働くのだ、と想起し。 どんな風か、 どうしていたかと。 次第に心が落ち着いてきて、 かゆみが気にならなくなる。 負担のある感情も、どこか隅に置いている。 畏怖を持っている。 神様に感謝して。 10分の瞑想を一時期よくしてた。気持ちが纏っていくようになり物事に集中しやすくなる経験だった。酸素も脳によく巡らしているのではないか、と思っている。 キリスト者になった初めの教会では祈りが激しく(失礼なつもりではない。)私も本気で祈っていて教会を変わる前くらいに脳が反応したという出来事があった。組織の出来事以外のことでもあると思っている(組織のこともあった。)。形而上学的経験(けいじじょうがくてきけいけん)ということを知って、ちゃんと調べずに書くと宗教で時々起こる超自然的現象の経験、ということだろうか。その触りを経験した気がしている。 祈りは脳にいい、といつからか思うようになっていて、今は祈りが少ないので食事をする前になるべく祈りをするようにしている。 どこか、そんなことあらへんで、と思うようになることもあるのだが、ふとした時に感じることがある。やはり畏怖を感じる。そして、形はどうあれ大切にすべきことなのだと思っている。 サッカーワールドカップを日本以外に興味がなかったのだが、ノルウェーのハーランド選手のキャラがネットでよく流れていたので動画を見ると面白く。どんなプレイをするか、先日朝5時前に起きて、ブラジルとノルウェーの試合を見た。面白かった。ハーランド選手はのっそり動くイメージで、しかしちゃんと相手ディフェンスを引き付けていたり、いいところに動くのだな、と自分なりに思った。そして、しっかり点を取る。ノルウェーの他の選手もボールを持っての動きが速かったり、パスがしっかりしていたり、とこれも自分なりに感じた。地上波があればこれから残りの各国の試合見てみたいものだな、と思った。 おじいさんにもらった植木を土を変えた方がいいのか、と思っている。私は植物にそんなに関心がなかったのだが、おじいさんは頑固なので押しに負けて植木を2鉢もらっている。植物があるのは悪くないな、と今は思っている。植物に詳しいの今でもおしゃれだと思っているが、なかなか植物の名を覚えようとしない。 蒸し蒸しとするが、いつまで扇風機で耐えることができ...

スローライフ2026

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  スーパーで20%オフになっていたちゃんばら貝を買い、お昼にお味噌汁にして夕方もその残りを飲んだ。落ち着くわー、上品やわー、とつゆを飲みつまようじで貝の身をつるりと掻き出す。たまにはこういうのもいい、と思った。いつもは見かけないちゃんばら貝、愛媛県産のものだ。 夕食はお昼にヨーグルトに漬け込んでいた鶏肉をフライパンで焼くハリッサチキンである。ヨーグルトにハリッサペースト、にんにくのすりおろし、クミンパウダー、塩コショウ、レモン汁、オリーブオイルなど今思いつくこれらを混ぜて、スライスの赤玉ねぎ、鶏肉を漬ける。 スマッシュケバブという料理の時に学んだ、ヨーグルトに香草のチャービル、ペパーミント、にんにくのすりおろし、オリーブオイル、塩こしょう、レモン汁を混ぜたソースを焼いたハリッサチキンに添える。 美味しかったのだけれど、スマッシュケバブに特にヨーグルトソースは合うのだなと思った。しかしながら、それでもとても美味しかった。明日の分もある。 やるべき作業を暫く、週に3日にすることにした。大分緩いがその代わりに、車の中で避けていた英語のドリッピーや簡単な会話のシリーズを聴くようにして、ギターはなるべく普段から触ることと3日間プラス録画する3か月でマスターするギターの30分の時間に触る。 本を読む時間は何もしない4日の幾日かをカラマーゾフの兄弟を読む時間に充てる。 子どもに関する本や文章についての本は、暫く3日の中でそれも少しずつ読む。考える時間があってもいい。勢いがついてきたら変更していく。 随分、緩いが暫くはこれでいく。あんた緩いねー、と言われるだろうが今の私のペースはこれくらいだ。 いつまでこの生活が続くか分からないが、これくらいのペースだといけそう。変更もあるし。 残りの4日間は写真について今までのことをさらに研究したいし、料理の時間が余裕があってもいい。だらだらしてもいい。もっとさらに余裕ある男さんになる。運動したいね、その4日間に。

告げる文(つげるふみ)

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  さっさと、この世を去りたいと思い始めていた。 いつからか、明けの光の気配があって、 生きたいと思っている。 ただ、大きな事柄ではなくても、 そういう世界があることを、心に留めて。 だけれど、わたしは、 とても楽しく生きることに挙手をする。 そんなことでも、今までの時間に結構旅に出かけている。ありがたいことだ。 苦しみもそれなりに経験した。 む、とすることがあってもそのうち心が通じた思い出。おじいさん、笑ってくれた。 嫌味なやつだったな、と反省。 カメラ、つまり写真が詩を書くお供になっていることに、あらためてブログを始めるために写真を撮るようになったこと、よかったなー、と。 薬の影響で日光過敏症になっている。2年前くらいは大丈夫だったのだが。 人と話すことが少ないが、特に家族以外と話すと以前からだが整理して話すことができていない。急に思いついた話題に説明が不足している。ちぐはぐだったり。 一声あれば、購入するかも。あのバンドのコピーを中学のやつらがしていて、羨ましかった思い出。自分の思い出はただただ反省。大学生の時もソロになってからのコピーをしたことがあるのですよ。ああ、そうだバイトでソロでのライブのセキュリティーもやったことあります。後ろを向かずに聴いていました。後ろを向いたらいけないルールなのです。(観客を制する役割で観客側を向いている。) 落ち着いて、穏やかに焦らず暮らしていきたいと思っています。 そうだ、踊る阿呆の世界戦略も本当にとても面白かったですよ。私が判断しても(失礼ですね。)正直なことが書かれているのだなと思いましたし。著者だったかなも、そう言っていましたね。宣伝するタイミングを失い。まあ、田中さんだからいいか、と結構本当に思いました。というのは、そういうの許されそうだと思ったので。 ビジネス書というジャンルになるのだったか。トライ、の方の人間さを感じました。殆どを父の病院の待ち時間で読み、読み切りも病院でしました。面白かったすよ。ビジネス書とかあまり読まないのだけれど。

また今日がゆく。

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  今読み始めている子どもから大人までの、自分を休ませるための本が分かりやすい。自分なりに頑張る習慣がなくなり始めている私を少し分析できる。分析という程ではないが。焦らずに生活をしていきたい。 目を自分に向けた方がいいかな、と思っている。自分はどこまでやれるか、できなければそれはそれ。何に関心があって、今までやってきたことにはどういう思いがあるか。やってきたことというのは、今まで作業をしてきたこと。全部やみくもにただやってきた、ではなくてそこにどういう感情があるか。ちょっとかっこいい言い方であるし、今そう思った方がよいと思っただけであるが。 いい写真を撮りたいが思ったように撮れない。どこかに若干の諦めがある気がするが、いい時は自分なりにいいのでまだまだ少しずつ情報を得ながら、こーなんだ、と感じながら粛々と撮り進めたい。 近くを歩いていたり、どこかに出かけたりした時にの感情が動く場面にごく最近は出会うことが少ない。優しいことに包まれてあるなら。 嫌われていいのだ、というメンタルに向かわない。でも、ちょっとやられ過ぎじゃない、もっと普通に生きて気にしなくていいんじゃない、と最近思う。 料理に赤玉ねぎを使うと、ちょっとおしゃれな気持ちになる。ヨーグルトをソースにするなんかもよい。