暑い日が続きます。
持っているモンテッソーリの本の1つの中で付箋をしているところを読み返して、気になったところを。
作業のいくつか重要な部分を記憶することに取り組むよりも、むしろそれを軽く学習し、そして完全には忘れてしまわないで数日間放っておき、脳の中のエングラムつまりシナプスなどが結合を繰り返す痕跡が組織化できるよう余裕を与えるように勧められている。
ようするに、がっつり集中的に学習するのではなくある程度は学んで時々それらを思い出したりしながら、脳をのんびりさせる。
休暇の後、学校へきた子どもが、以前にはあいまいであったものを理解していることにきづく、と。
この事実から、試験のための詰込みが何と役に立たず、むしろ有害であることが明らかだと。
だからと言って、学生さんは試験勉強を今はやめない方がいいでしょう。ただ、本質的な知恵や賢さは上記に記したようなことから育つのだろうかな。よく分かっていない段階で偉そうには言うことではないけれど。(お前が知恵や賢さかと言われてそうで恐くなったのですが、世の中、人間界の大海原で様々な才能の種を持った者どもがそこを泳ぎ、何かを見つけ物にしてもりもりと成長し現れるのでもある。これはまじで。)
ある程度勉強したら、のんびり脳を休ませないと。デフォルトモードネットワークもそういうことであろう。
生命は、ひとつの宇宙の行為者。子どもはすでに数の力を身につけている。地球上の驚くべき広さと生命の重要さをその子どもが持っている数の力によって大人は伝えることが可能。おそらく子どもには、大きさによって印象づけられる。狭い海域の海洋の魚1種類だけでも、年間何百万トンという漁獲量に気づくとしたら、海洋の生命の大きさについて何かを実感するだろう。
近いところで実感するのもいいな。数えきれないほどの、生命の法則。
教育の基本原理は、あらゆる学科を相互に関連づけ、それらを宇宙の計画の中で集中化することだと。
日本の義務教育よくできているな、と振り返ると個人的には思う。
人間は、理想的に決められた姿への到達に向けて神秘的で内的な力によって促されている自分自身の彫刻家であると。モンテッソーリでは、美しさを2つの観点で考えている。
1つは遺伝的なもの、2つめは環境によって引き起こされるもの。
ある年を行くと内面が顔に現れるという話もありますしな。顔の相とか。自分磨き、というのは内面も頑張らないといけない。ちっちゃい頃から自分磨きせんでもいい気はするけれど。大人がちょこちょこアドバイスをくれるくらい。
人類の進歩は、子どものもっと精神的な要求を満足させることにかかっている。それこそ、もっと強く、もっと良い人類をつくりだすことになる、とモンテッソーリは語る。
やっぱ、自然に触れるのがいいな、という私の感覚。色んな感覚を実感し学ぶことができる。
我々は宇宙の計画の中で生きている。与えられた内面にある感覚、それが様々な経験から引き出され育つのであろうか(ここは私が思ったこと。)。
という「人間の可能性を伸ばすために 実りの年 6~12歳」モンテッソーリの本からのことでした。
モンテッソーリは人間の命の根源に深く焦点を当てているのだなー、と思うことがあります。

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