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ぶつくさと。

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  だいたいのことについて、中途半端だ。本を読んでいて昔から頭の良いという人はこういう風なのだ、と思った。頭を使って何かをしないといけない。感覚で生きていた。今もそういうところがあるが、ちょっと理屈っぽくなった。その理屈が結構役にたつということを少しだが知った。理屈では越えられない閾があることも情報で知った。年を取ると理屈っぽくなる、という。気付いて行くのだろうか、理屈がないとできないこと。単純にそういうことが好きになる、というのもあるだろうし。私は普通だったのだよな。子どもとして。今の状態は確かに嫌なのだが、自分に意識的でなくても向き合う時間がたっぷりある。こういう思考癖、母親に似ているなあ、とか。せこいな、とか。本当にせこいつもりはないけど。誠実ではあるな、と思うけどせこい部分がそれを汚している。生命力が意外とあって、沈んでいくと吹き返す。自分の命の正体を知りたい、というか。自分はどういう人間なのだろうか。とろいのはとろくて。大切なところは掴んでいることが多い。人より出来ることが遅い。しかし、それを掴むと自分の力にできる。でき始めて、やめてしまうことが多い。 変わりたい。でも、そんなには本当に自分自身は変われない。かなり、頑固だ。 汚部屋になってきている。快適に生きるべきだ。今のところ、だがこの精神状態も悪くない。まだ何かをしようという気力と悔しさがある。変えられたことはあるかも知れない。でも、もうそれも自分のものだ。自分がそれを変えて行く。なぜ、私か。それは実感として可哀そうだからだ。自分の命も断つこともあるだろう。急な弱さを憶えたり。一端見失うと、そこに陥ってしまうこともあるだろう。私はしぶとく生きていたい。何を書き出したのか。楽しいことがしたい。ちゃんと考えて生きたい。子供のことを本気でしたい。ちゃんと自分を持って。恵まれている。だから色々考えたい。

変えて行こう。

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  だらけていると、部屋は汚くなるし、アトピーもよくない。あと、自分に自信を持ちたい。絵をボールペンで描き始めている。やってみると、ストレスが少ない。詩を書くのはそうストレスでもないが、小説を書くのはストレスというか気力がいる。絵は下手だが、続くのかなー。早く寝て、早く起きるもすぐできなくなるし。気力は何から得ることができるか。暫く、祈りができていなくて、また祈り始めたら少し心が落ち着く。もの凄いいい加減だった自分が、平均の幾つかしたくらいにはいい加減を普通、くらいに引き上げることができたのではないか。助けを求めているが、今までそうであったように、また持ち返す気力が残っている。ちゃんとした大人になりたい。 前向きなことを考えると、今できることは何だろう。祈りは続けた方がいい。自分を変えて行きたい、と思っていて祈りにそれを加える。理想は。普段の生活と祈りで変えられないものか。自分にはまること、もあるし。ここら辺はぶつぶつした思いだが、生活がそれなりにできて、自分にはまることだとしたら、続けることができる。気力が必要で、自分が今できることは祈りでそれを求める。楽しいことを考える。 いつか、楽しそうなことをする。

面白いこと。

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  水色の付箋をはぐ。 風に時どきぱっと立つ雪を 想起する。そのまま思いを巡らす。 とき色の花揺れるあをじろい春。 ずっとあれから見ていない。 汗をかいて、買い物をして。 光が青く、白く。 記憶は少しずつ、遠ざかり。 白く光り。 風呂に入らずに寝ると、やはり身体が痒い。結構本気で海に浸かって身体を焼こうかと考え始めている。皮膚の病が治るときがあるそうなので。しかし、顔とか首も焼いてしまうと、痒くなるのだ。 面白いことを何かしよう、と思っているのだが、思いつかない。今思ったのは詩を書いて、ギターを弾いて少ない場所での路上の流し。時間を持たせるくらい作らないといけない。釣りも行けばいいし。他何があるかな。夏休み限定の公民館、詩の創作活動。やっぱり試しにしてみたい。年齢不問、子どもからお年寄りまで。英会話に通ってみたい。これは、お金が自分で得ることができてからだな。何があるかな。絵を描いてみる、とか。最初は鉛筆だけのデッサン。いいな。そうなると、写真の方をもっと、とも思うし。あくまで、アマチュアの範囲で。無料の焼きそば売り。道具が必要だな。書いていて、絵は描いてみたくなったな。鉛筆のデッサン。写真撮りながら、行き交う猫を描く。理想はだけど。 他何があるか。夏らしいこととかは。遊びのような。一人花火はむなしい。西瓜食べる。うーん。書いたこと本当にやっていきそうな今の気分。ほか、ほか。何があるか。 アイス作り。やらんなー。 これくらいか。面白いことをする、と思うだけでこころがほぐれてきた。

感性。

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  感銘を受けたことを思い出そうとする。 何に感銘を受けただろうか。 思い出せない。 なかったのだろうか。 いや、あったのではないだろうか。 あったとしたら、 それは人の本当の強さについてのことがらだった筈だ。 大きくとも小さくとも、人の本当の強さはわたしのこころの栄養だと思っている。見たことがあったと思うのだけれど、思い出せない。 ところで、うなぎが稚魚が少なく今もなっていると思うのだが、そうすると、何年か前のニュースでは消費が少なくなって、養殖のうなぎが余っていると。しかし、乱獲は問題なので、穴子重、はやらないかなーと思っている。捌いた穴子を熟成させてお酒を振りかけて、蒸してから、ふわふわになるべくして、炭火で焼く。ふわふわの穴子重。近所に980円くらいのお吸い物付きがあったら、美味しくしてくれたら、必ず行くだろう。職人さんがふわふわにして、炭火の香ばしさも楽しめたら。その内穴子の養殖が始まって。スーパーでもその工程が施された穴子のかば焼きが売っている、とか。穴子の天丼美味しいよね。久しく食べていないが。 さて、暫くどうやって生きていくか。小説もやる気がないが、やる気にシフトして行こう。気力は結構ある。夏は好きなのだよな。冷房で涼んでいる場所に殆どいるからだけど。本は読みたいモードだ。 もし、そうであることは今さらだよな、とも思う。他に欲望があるとかではないけれど。随分、な人生を送り始めていると、普通のつもりだった自分は思っている。どうにか、する気で言うのではなくても。記憶であの優しさだけが残っている。今はただそれだけ、という感じで。あと何年か、腹を括って生きて、残せるものを残していく、とか。今の気力なら言える。旅をしまくる。詩を創作してみたい、という子どもと関わってみたい。嫌なこと言わない子どもでやる気のある。感性について何か子どもから受け取りたい。しつこいが、公民館で。実際、やってみたら思ってた感じと違う、となるかも。でも、そういう現実のこともいい感じだ。現実があるからこそ、やりがいもある。 それでも、どうにかなるのなら、気持ちを通わせて普通に幸せにお互いがなれたら。結局、そういう風な方向にしか思えない。その人とそうなるのだ、と。そこしか、想像ができない。違ったら、暫くずっと旅をして、生きていこうと思う。生きていくと思う。

思うに。

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  夏の陽射しが、見えないのだけれど。 心は陰りよりも、明るい火が灯っていて、 風通しが良い。 火は揺れるが安心しているようで、 不安症の自分は、その火のようにありたいし、 消えないで欲しいと思っている。 こころの温度を感じていたい。 生きていることが分かるから。 (何となくでいいのだけれど、こころの温度を感じていたい、と思う。時々、偶然に感じたり、別にそれで何があるとか言うことでなくても。生きているから、それを味わえる。年を取ることでそういうことが、経験したり分かったり、自分の場合はしている。そんなにいい奴でもなかったけれど、経験が考えさせてくれたり、分かったりもした。少なくとも想像が少しはできる。自分自身も嫌な思い出もあるし、そう思ったらそういうことがちらほら浮かんで来る。多分今でも群れの中にいたら、上手いことやろうとするのではないか、とも思う。でも、努力するだろうな。昔とは違う。それと、群れにいようとはしないだろう。教会は別枠として。大人になったらそれなりに、皆ある程度の痛みを知っている。気遣いをする。そうなんだよな。そういう普通でいい。でも、こころを感じた時、その人から手紙が届いたような、そんな一場面でもいい。何て、温かいのだろう、と道端で勝手に感動していたりする。勝手になってきた。そういう生活が今あって、自分にとって最悪の思いでもあるけれど、今なら経験として受け止められる。何が言いたかったかというと、色んな経験があってその上で、こころを感じる本当の気持ちの場面に出会うことが、気持ちのごちそう、というか。そして、残るのだな、自分に。本当だ。本当の気持ちだ、と。そして、それがとても素直に出ている。そこに出会う。強くありたい。情けない自分も頑張って脱したい。頑張れ自分。何を書きたいのか、分からなくなってきた。)

流れが交差しているイメージ

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  適度な哀しみが好きなようで、 でも、まだ少しの「哀しい」から希望を持っている。 一つ一つの憂いや美しさに感謝をして。 そして、失敗に、 日常にそれがあって、やはり心配になり、 落ち込むのだが。 生きていることに感謝をしている。 生きていなければ、多分味わえないことだ。 奥にいる自分は多分だけれど見据えているようで、 自覚なしに何を見据えているのか。(将来について)

蜩が朝鳴いた。

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  涼しい夕暮れに会いましょう 今日でもいいです 今日がいいです 涼しい夕暮れに会いましょう すくなくともひとつ 話があります いいことかどうか たぶん いいことです 銀色夏生 「夜になり夜が更けて」 今日という日がまた終わる 夜になり夜が更けて いつのまにか時間だ 今日はきのうとよく似ていたし 明日もきっと似ているだろう 私は変化を求めている もう百回も試みた そして稲穂の緑のように イナズマがきてピカリと光れば 大きな音に驚いて その時だけは 胸がいっぱい その時だけは 胸がいっぱい 銀色夏生 太田時男さんの水素エネルギーという本をやっと、ちゃんと読んだ。純粋な水素エネルギーの時代になるには21世紀に入ってから何年かになるだろう、と書かれている。昭和49年の刊行の本だが、飛行機の燃料や燃料電池車などなど、未来的なことがすでに準備、進められていることが分かる。サンシャイン計画という、太陽エネルギー、地熱エネルギー、石炭のガス化、そして水素エネルギーを包括して、ほぼ二兆円をかけて、21世紀までに石油換算にして3億トン、総石油需要量にほぼ等しい量に相当するエネルギーを、クリーンエネルギーで置換しようとするプロジェクトがあったらしい。ウィキで観るとその計画は2000年にニューサンシャイン計画と変わっても終了していたらしい。 技術的なことは生き延びて進められていたのだろう。小学生の時に観た水素エンジンの開発で燃料電池車が高音が出ること以外は普通に走ることが使用することができる、というのをそれが記憶に残っていて。そのことも書かれていた。そうかー。きっかけになることを言えていたら、いいな。本には次の世代、子どもたちに期待している内容も書かれている。 自分のことは根性出したいものだ。いいことあるさ。 子どもたちも頑張っているけれど、自分も頑張らんとな。情けない自分が嫌だ。

光。

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  車のフロントガラスを見ていると、 光が沢山昇っている。 ガラスを辿って歪んだ円形の、 暗い中の光の幻相。 振り向くと、太陽は陰り、 世界が隠れて。 また現れるだろうけれど、 それは少しずつ変わっているはずだ。 色々なことがあるな、と思う。正直に心理的に動揺した。こういうことが、あるのか、と。あってはならないこと。 離れたところで見ているので、また、次元が違う世界のように私は感じている。近い人達は感じ方が違うだろう。どうかそれでも安らかに、そして関係者の方の傷がゆっくりでも癒えますように。

焦り

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  日々が過ぎて、 また、朝が来て、 暮れて夜になり。 時々、焦り。 日々を過ごすことで、意味を見つけ、 やる気の時は本を読み、詩を書く。 生活のために食事を作り、 掃除をして、寝転ぶ。 少しずつ子供の自分を失って行くようで、 それでも大人も悪くはない。今さら大人になって行くようだ。 時々、ほんの少しだけれど焦る。このまま、結婚もせずなんたらのまま生きていくのだろうか、と。この日々はそんなに悪くはない。掃除は面倒だったりするし、鬱屈して苦しくなったりしたり一人でしているけれど。巻き返して、やる気になった時がなかなか気持ちが良い。ブログのために詩を書いて、そのために心を鎮めたり、自分に合った本に出会った時、その世界に入って学んだり。もっとふざけた自分が影を潜めて、大人の自分がこの日々を過ごしている。しかし未だに車の中で音楽に合わせて、ねこねこ、いぬいぬ、にんげん。と歌っている。時々他の動物も、と思い出したかのように歌い。しかし殆どは影を潜めて。 病的な危ない自分がいることも、分かっている。不安がそれを引き寄せる。だからこそ、この日々も私にとっては意味があると思えている。多分、私は私でありえて良いのだ。それで、十分だと思う。大きなことでなくても、よくやっている自分。生活をちゃんと過ごしているだけで、自分えらい。成長している。他の人となるべく比べず、自分なりに暮らしている。と、書くとちょっと焦り始める。停滞していることと、進んでいること。ブログに詩を書いたり、このただ思ったことを書くことで気持ちが少し安定する。子どものことを将来何かしたい、というイメージは大きなこと、というイメージではなく地に足が付いた小規模のこと、というイメージで。しかし、必要に応じて規模を大きくする、という今の思いだ。今は何ができるだろう、何をしたら良いのだろう。やっている人は何をしたのだろう、しているのだろう。やっていないことが多過ぎる。どこか、やはり別の世界のことのようだ。しかし、必ずする。やっている人にアドバイスも貰いたい。やはり、そろそろこの籠を出たい。現実を見たい。