2023年12月30日。

 

綺麗なシャツを着ると、綺麗な気持ちになり、

人がいるその時、自分の考えを明らかにすることを後押ししてくれるような思いに。

自分の気持ちを伝えることは大切だが、とても勇気のいることだ。

いつも人は理解をしてくれることはないけれど、

伝わったと温もりのような何かを感じたら。

そのひと時、不安はどこかへ行って、

人であることに幸せを憶えている。

腹が出ているので、パーカーとかスエットを着ていると安心する。でも、普段シャツを着ない分、シャツを着ると綺麗な気持ちになる。教会以外でも着るとちょっと特別な気持ちになる。シャツを着て、喫茶店に行ってコーヒーを飲みながら、本を読む。いいねー。ふんふんふーん、と本を読んで気分が上がる。
年末だ。今年が終わる。掃除も中途半端で。明日、教会から帰ったら風呂とトイレ、洗面所の掃除は死守したい。そろそろ、湯船に浸かりたいし。まだ、大丈夫だけど。もとが、どんだけ汚いか、とても汚い。
机の上の整理は正月明けてからかな。そういう気分だ。
なぜか、明るさの勢いがない。変なことを書きたいのだが何も浮かばない。そうだな、唐突になるが、トムとジェリーは昔からトムが好きだった。いつもジェリーにしてやられて、手が挟まって、ぼーんぼーん、と腫れて、あおーん、と鳴く間抜けさが大好きだった。さて。
今年をもう一回振り返る。というか、この生活になってから。
ヴァーチャルな世界での意思疎通が多く、それが当たり前になっている。当たり前すぎて、この恵みと言うか、みんな結構羨ましい、と思うことであるのに普段それ、感じていねえ、考えていねえな、と今思う。実生活では実家と教会での対面での人とのことになり、人間的弱さを憶える。自分何度もしつけえな、とか、もっと伝えきれたら、とか。後で、ちゃんと伝えきれていないとか、不器用さをどうしようもなさを感じる。まあ、不器用な人間にはよくあることではある。
文章のことは、挑戦者であったのに大分偉そうになっている。しかし、書く時はおかしくならない程度に、精神を気持ちを込めたい。映画とか、精神的に負担になるものは観れなくなっていて、途中で観るのを断念している。昔、そういうの好きだったのに。そして考えれば、人の作品の評価までしている。どういうことだ。ごますりの気持ちでなく、すげえ人たちの作品を評価とかしている。おそろしい、ヴァーチャル具合だ。
昔、母親に、カフカの城という作品を読んでいる途中で、うろうろずるずる、進まねえ作品だ、と言ったことがあって。~ねえ、とは言っていないが。兎に角それを言ってから、いつの間にか、その小説が無くなっていて、母親が亡くなってから暫くして、出てきた。多分、心配したんだろうなー、と思っている。
それからそれから。
これからを話そうぜ。
って言えたら良い、来年だと良いものだと自分のことを思っています。現実の自分は、のっそり、鈍く何とかやって行くのだろうけれど。良い年だったらいいな。
皆さんも、良い年をお迎えください。
世界が平和になりますように。もっと上手くやれるはずだ。人

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