一歩一歩、足を出して踏むことを覚える。
生きることは好きだ。
楽しい会話が聞こえてきたり、
夏休みを元気に見受けたり。
鳥が飛んで、空に三日月が出ていた昨日の夕方、
月は雲に隠れてゆき。
そんなことを感じて、
結構、自由に生きている。
ただ、この苦しみが。
歩みを止めると感覚する。
だから、歩くことにしている。
やることをやっていたら前に向いているような気がして、だからするようにしている。ずっとこのままということは、ないだろうなと思っているが10年という月日が経っていることに容赦のなさを感じている。人と話す勇気、小さい女の子を今でも意識してしまう屈辱、絶対に変なことはないが。そんな人間じゃなかったんだけどな、と思う。人として普通で良かったこと、普通じゃなくて良かったこと。
もし、思ったようなことができなくても、少しずつ積んできたことがあってそれをどこかのお子さんに伝えることはできる。そう考えている。
自分が本当にやりたいことは、大きいからいいということではなく。始まりは小さくてももちろんよい。具体的なことも考えていなくて、自分なぞにできるのだろうか、とも思う。もしできる状況なら絶対にやるけれど。そう思うようにしている。
今、積んでいることはパーソナルなことで、ただ考えるとパーソナルでも今何がやれるんだ、というくらいのところで。それでも、パーソナルなことは積んでいきたい。そして、実質的に効き目のあることがしたい。心に響いたり、心に届くということは極めて難しいことだ。私自身の経験から言うと、子どもではなく私のことだが、少しずつの語りかけと実行でミルフィーユが重なって行くように徐々に変わっていったということ。ばしん、と心に響いて急に変わったということはなかった。
そうだ、そういうことを考えて本を読んで何かやっている気がして生活をしている。希望も持っている。あと、子ども時代の楽しかった経験は力になる。それも大切に思っていたい。
まだまだ生きて、色々なことを感じたいものだ。


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