願うしかないのである。
人には必ず弱さがある、と言っていた。
私はネガティヴな人間だった。
たまに、それがぶり返し。
今もポジティヴの人ということでもない。
やり直しをしてからの出会い。
やはり、そこに居させてもらったこと。
流れて、知り感じたことも。
人を慮る(おもんぱかる)ことなしにでなら、経験だったと思っている。
一枚目の写真は空を強調したくて、下を削ったのだが不自然になっちゃったな。
自分のことしか考えていないんじゃ、と20代の時に父親に怒鳴られた時がある。記憶では姉もそれに、うん、と賛同していた印象の記憶だ。昔から、そういうところあったなと思う。というのは子供の頃から。
痛みを知ったが、それは自分に近い痛みを感じた時に感情が発動していて。やり直しからの道では未熟だったなと感じる。今もそこまで熟練とかそういうのではないが、もっと世界を広げるべきだなということを無職になってから感じていた。
今は子供には傷つくことを、それも少しは必要かもしれないがなるべくまだその経験を明るいものにして欲しいと希望している。これも人間関係で、とても難しいが結局これも自分が傷ついたことが、とても哀しかったからという自己の感情から来ているだろう。その自己感情からどう発展させていくか。大分、練られた気もするが私の体験は殆どがバーチャルなもので、でも向こうに現実がある。いつも言うが、ワンクッションが置かれている。
まあ、でもね。きゃわわ、をインターネットで覗いていると明るいね、と印象する。いいことがあれば、いいなー、と願うな。
ファンになろうかな、と思っているのだよね。少年少女、若者、その未来に。今で言うなら、推しに。未来推し。
というくらいでやめておこう。日本酒を1杯やっている。
自己を向上させること、もいいし、他者をその内面を何かキラキラ不思議を感じて希望することを向上させるという、それも希望。
難しいことであるけれど、現実を感じていない今はそれが、何度も希望。
よー、y-、ちぇけらっちょう。
心のひっかかり。ここは、許してもらうしかない。そこからだ。血筋として大切にすることを続けることをできるかというと、努力しないとと気合を入れるが。大切に共に生きることをしたい。今更だけれど、でも今からだ。上手く言った。
幸せにならないとな、一緒に。ほんとに。ほんとーに。


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