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8月, 2022の投稿を表示しています

行く夏、来る秋。

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  今年の夏はかき氷を食べた。 西瓜も食べた。 汗はそんなにかかなかった。 本を置いて何もしなかったら、 また、本が読みたくなった。 皮ふが痒いというより、痛い。 冷たいコーンクリームスープが飲みたい。 そうだ、今年も、は、冷麺を食べていない。食べよう。 稼働時間が相変わらず短いですね。本を読むことによって、その罪悪感というか不安を払拭していたのですが、本もしんどくなって暫く読むのをやめていたら、また読みたくなってきて、全体的なやる気もじわじわと足元ぐらいから士気が上がってきています。何分のらなので、やる気が出始めていることはありがたい。やる気がなくなっていた時は焦っていましたね。肩の力を抜いて、リラックス。

夏の終わり、

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  夏の終わり、 生きている感情や理性を感じる時。 生きているから、水を注ぐ。 人は生きている、だから、水を求めているはずだ。 生きるために水を飲む。 大切なことは、ただ消費されるだけではなく、 身体をこころを作って行く。 水を飲むと、涙が流れる。 感情が理性が反応している。 そして、優しさを振り返る。 ほら、あそこの人が涙に気付いて、 思い出しているようだ。 それが優しさだと、どんなにか良いのに、と私は思う。

夏の夜。

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  酷い生活になっていて、持ち直したのは人の言葉だった。 真摯に自分に問いかけて、自分の考えを持っている言葉だった。 私は何を思っているだろう。 やりたいことがあった筈だ。 では、考えた方が良い。 何を求めているだろう。 エネルギーだ。 何かを求めて、乗り越え取り組むための。 では、言葉を探して、祈ろう。できるだけに。 何に安らぎがあった。 夏の夜の子供が自由にしている感じ。 私はお酒を飲んでいた。 シャワーを浴びてから、行くのが良い。

思い出すとせこい、生き方もしていたが、自分が大切に思う生きることに力を注いで努力したい。

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  高校三年生、秋から哀しい体験。 20歳を過ぎても、会う時は馬鹿にされて。 そういう人になっていた。 大学は同じ経験をするのが恐かった。 声に追い詰められて、傷を付けて血を流した。 やり直したはずだ。 できないことも多かったけれど、 色々な人を見て、楽しく優しく生きているのを、 見たのではないか。 それを思うと生きることが大切で、 私は本当は生きることが好きだ。 気にかけてくれた友人もいたが、 私のしたことに幻滅しただろう。 私は生きようと思う。 もっと、生きることを確かめるために。

花と風

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  華やかに色を立たせて、風に揺られて、夏をお過ごしですか。 暑くてしんどいこともあるでしょうが。 そういうことが、 葉の潤いや花の色どりを映えさせているのでしょうね。 私は涼しいところにいますが、どこかで時々、 夏を感じています。 今日はあなたたちがそうでした。

浄化。もっと悪い思いとか、人を悪い眼で見ていた気がする。時々、人を信じてみよう、とか、信じてもいいかもしれない、と思うことがある。

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  風が止まないとき、外には出ないけれど、 数える。 想い出を一つ一つ。 丁寧にそれをすると、 自分は。 綺麗な物が好きで、 優しい人が好きで、 優しい勇気ある人に、こころ動かされ。 本当の気持ちを言うときがあって。 それが配慮された言葉で、伝わっていたそのときが、 驚きと賢さとして響いて。 満たされて。気付く。 振り返ると、大切な経験を。 ぺーさん。

8月、夏。

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  過行く日々なのだけれど、 子どもが産まれて、成長して、 海辺を歩いて。 やはり、そこには子どもがいて、 大変だけれど、大切な時間であるのだと。 私の父親の何かのアドレスにも、確か私たち子供の名前が入っている。 母親がいた頃は、仕事に作った弁当を持たせてくれていた。母親が亡くなったあとは、父親が一人暮らしをするまで作った弁当を仕事に持たせてくれていた。介護士のおばちゃんたちは、冷やかしではなく弁当見せてー、と言ってくれて。いい人たちなものだな。 今、書いていて雨が強く降り始めている。雷の音もする。 親戚に会っていた。少し話が温まってきた時間があって、いつものように妙に緊張する自分はいなかった。時間は進んでいく、と感じる時があって人間だからかな、と思っている。自分も停滞している気はしているけれど、自由な時間や何かを自分なりにすることができる余力がある。本当は焦りがあったのだけれど、時間が落ち着きを取り戻した、というか。優しい感じにも触れて、単純にちょっと嬉しい気持ちにもなった。結構そういう感じは久しぶりなのかなー。よく思い出さずに思うとそうなんだな。

ぼっちのぼっち。(だいだらぼっちの韻で。)

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  今年は蜩の声が少ない。朝と夕方に聴こえてくるのだが、少ない気がする。あの声を聴くとそのひと時、夏の幸せを感じる。洗濯物を干している夕方とかに聴こえてきたら、耳を傾けて響きを受け取る。暫く、苦しさがない。あったのかもしれないが、もう忘れている。不安にはよくなる。青年が苦しい時に、子供のころの思い出が良かった、あの頃は良かった、という時期があったりするが。自分は、突然思い出して、そういえばああいう頃があったのだ、と思う。普通の時があったのだ、と。わがままを言って、親を困らせて叱られて、友達と遊んで、勢い余ってけがをして。守られている環境があって。仕事をしている時も馬鹿なことを言ったりして。しんどいけど、いい時だった。そういうえば、そういう時が、と。 今を考えると、悪くもない。命を削っているわけでもない。ただ何もしないとか、やる気がないとか、そこに陥ると苦しくなる。少しでも本を読むとか、しかし、自分が言えるのはそれくらいで。前に進む、自分の力になること、というのは大してできていない。写真はいいな。最近暑いから出歩いていないが、気軽に撮ることができて、自宅で現像をして。ブログを書いたり、詩を書いたりしている。ブログも詩も書けることは助かっている。自分は自分だ、と思えて生きられたらいいが、ある程度はそうだが、人が弱いな。 世界と自分が思う必要以上に繋がっていることは、今の自分だと悪くもない。それと、直接向き合うのは勘弁してほしいが、もしかしたら、繋がっているのか、というくらいが曖昧で人と繋がっている気がして生きられる。単純にその人たちがユーモアがあって、楽しそうにしているのを観るだけでも助けられている。私が覗くそれらは変な人たちではないから。 色々あったよなー、と思って。この仕事をしていない6年間でさえ、色々あったな、と今思うに思う。しかし、よく思い返せばずっと寝ていたなという期間もあって、でも、そのしんどい感じというか、力ない感じの時期も嫌いではない。そういう時の方が、夕方の風を感じていたりして、命が感じている。ような気がする。しかし、それを続けていたらしんどさと後悔があとに来るだろう。ぼちぼち、前向きにやるのだ。楽しみながら。

自分、応答せよ。

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  靴はウォーキングの時に主に使っている靴。昔買った靴でそこまで使っていない靴がある。歩き易さよりかっこよさを優先したような靴。もったいないので意識して使用して行こう。一番お気に入りはワークマンで買った980円のズックというか紐がないやつで。踵を踏んでもそれに対応した作りになっている。しかし、雨の日はかなり滑る。今は近場に行く時に使用することが多い。駄目になって行く靴もあって、早く捨てた方が良い。ape にいたり汗をかかないことの方が多いのだが、掃除をする時は窓を開けて、意識的に汗をかいている。悪い物が身体から出て行くようで、気持ちが良いのはよいな。で、水でシャワーを浴びる。そして、冷房を使う。私が住んでいるマンションは比較的暑さが部屋のなかはましな気がする。暑いけど。冷房を使いだしたら、もうやめられないな。 最近は豆腐と、アプリの野菜を蒸したような焼いたような料理をよく食べている。楽なので。それに夏に食べるにそれがなかなか美味しい。オクラが美味しいし、元気が出そうなので、生産者コーナーとかあったらよく買っている。近く何年か振り返ると、夏はもっとぐーたらしていたような気がする。元気でない、とか言っていた気がする。それではいかん、と思い始めているのだな。ぐーたら過ぎるには早いし、年を取った時に後悔しないようにとも思う。ぐーたらはしているけれど。自分をだましだまし、嫌にならない、色々に取り組む状態にできないかな。今年の夏は本だけは読みたい気持ちになっている。 今日は久しぶりにカレーを作った。暮らしの手帖の特別号のような本に載っていたスリランカカレー。美味しかった。カレーのレシピ本をかなり買っていて、できれば、だがたまにカレーを作って本にあるレシピを色々作ってみて、美味しかったレシピに印をしてそれを自分のレパートリーとしようと思っている。特に美味しかったレシピを。作る時、レシピ見るけれど。 理想は早寝早起きだよな。しかし、ぼちぼちやるか。 この暮らしになって、初めと変わったことは、食べ過ぎがましになったこと。お酒の量が減ったこと。アトピーが少しましになったこと。2017年秋から英語を始めたこと。ギターも前よりは練習して基礎をやっていること。料理をレシピ本を見ながら、作ることが多くなったこと。アプリではかなり学んでいる。よく寝るのはそんなに変わっていない。頭痛なくなったな。

今、思うには。

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  心に灯りを。 時々、人にもらった温度の伴った喜びを。 怠けている。がっつり掃除をしてみたが、なかなかしんどい。冷房は夜が来たら、使い始めている。天気が良ければ、寝る前は風が通るので、窓を開けても良い。 コーヒーをほぼ断ってみたのだが、もしかしたら、というくらいにアトピーがましになっている気がする。コーヒー好きだったのだが。自分はどうやら金属アレルギーがありそうなので。銀の装飾とか付けていた時は、反応はしなかったが。 本を結構、アマゾンで買ってしまった。図書館もいいが、期限があるし買えばゆっくり読める。図書館で借りたユングの本が殆ど他の本の紹介だったから、読みながらその本をぽっちりしてしまったのだ。キリスト教徒だからか、もともとの興味もあるのか、人間の不思議、とかその向こうにある物とか、興味がある。自分なりに納得とか、すとん、と腹に落ちるくらいには知りたいかな。本格的にそうなるには一生をかけないといけないのだろうが、自分の興味が続くまで。 ほぼ毎日。以前ほど飲んではいないが、お酒を飲むようになり始めていて、あんまりよくない。あ、また祈る前に飲んでしまった、とか。祈りは人の癒しのため、と自分を変えて行くために、必要だ。それと、時間を空けて薬を飲むのだが、睡眠が深くなるのはいいのだが、もの凄く睡眠時間が長くなる。週に2回飲んでいた時も、その飲んだ次の日までにはかなりの時間眠っている。ただ、嫌な気分になって、酷くはない程度に飲むと気持ちが晴れる。でも、飲むと正常な判断はできない。まだ、大丈夫だが、気をつけてはいないと。週に2回に戻したいものだ。 自分の身になることは、今は本を読むくらいしかできていない。じっくりしつこく、工夫して何か自分の身になることをしていたい。絵は細かい魚の鱗とか、はー、やっぱりしんどい、と思った。手書きの詩に添える絵にくらいはできたらいいな、と今のところ思っている。あんまり上を見ないで自分なりに。 感銘のめいを漢字間違っている。 ブログに自分なりに良し、となれば詩を書いて絵を添えて投稿してみたい。 あとはギターを脳で弾いてみたい。脳で感じ取るような弾き方。それには知識と練習だが、ぼちぼちやって行くしかない。憧れを前に置いて、一歩半歩近づくのだ。 自分が勝負できるのは詩とか文章だが、ブログを観るとおいおい、ということもあるのだが。それを続けるにはやっ