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レンコ鯛とトラハゼ

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  イオンでレンコ鯛とトラハゼを買った。それぞれ、レンコ鯛は鱗を取ってお腹を出してもらい、トラハゼは天ぷら用に捌いてもらった。今日は飲んでもいい日なので、トラハゼを揚げている時はビールを飲もう。尿酸値がちょっと高いので控えはしないといけないのだけれど。レンコ鯛はアクアパッツアにする。むき身のあさりで。そんなに気にせず、生きているあさりを使っても良かったのだが。新鮮そうな2種類で、氷の中に姿のまま置かれているのを買うのは、気持ちがかなり上がる。お腹は最初から出していても、いいとは前から思うことだが、とにかく新鮮そう。 ついに公民館で特に詩について、と言葉について伝える時間が今日あった。申し込んだ後、考えてみれば伝えることそんなにないな、と思うことと、しかし、自分のためにはなりそうだな、と思っていたのだが。帰りに次回を避けてしまった。次伝えるとなると、短編の小説なのだが、ちょっとディープにならないといけないこと、そして、今後続けるなら、自分が感じているそれぞれの文章について、になると思うが。ディープになって行くな、と思って。今日の公民館での時間は自分としてはいい時間だったな、と思っていて、終わった後にイオンでたこ焼きを食べている間、脳がすっきりしている、と思って。新しい人と少しでも会話をしたからだ、と思った。絵を使って、様子や感じることなどを書いて貰う時間は結構時間が温まるというか、やはり一方的に話すよりは何かをしてもらった方がいいのだな、と感じた。雰囲気は良くて、何年だったか、最初は3行日記だったか、付けていて今は1行なのだがそれも出てこなくなっていて、と言われた方がいて。何年も毎日はかなり大変だし、むしろ、1行となると自分のことを考えてみると余計に大変かもしれんと思ったな。大切なことを絞って書こうと思う作業。私は毎日の作業はちょっとつらいな。ケアマネをしていた時は、お客さんが山の近くに住んでいた方が多くて、色々話を聞くと季節についての感じ方や、その時に出てくるもの、ふきのとうや、つくしや筍やそういう色々な話を聞いて、そういうのっていいな、と季節初心者の思いで少しそういうことを意識するようになった。今も季節のもの、とかその季節だから感じられることには興味がある。年もある程度は経たことと、ケアマネのあの時間のことが経験と言うのはそんなに悪いことでもないな、と今の状態なら

小さなことでいいから、現実に近日に面白いことを経験してみたい。どうしても、笑ってしまうような。明るいやつで。今は自家発電している。一人で部屋の中で昔のアニメの歌を歌い、時々歌詞を変えて、むふふー、とか言っている。

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  スマホでギターを弾いて詩を詠むを録音をやってみたのだが、自分のもむもむした甘ったれた感じの発音と声に、気持ちわる、と思った。でも、何度か録りなおして、ちょっとだけ興奮していた。その時書いた詩も、印象の強い言葉を使い過ぎていたな、とギターを弾きながら思った。こういう時に思い出すのは教会での、記録に残っている音楽会での失敗。できる、と思っていて、全然できないじゃん、という。しかし、あれよりはできそうだな、とやってみて思ったので、意識しようと。何度も録りなおしできるし。新しいことだね。 あとは公民館での文章についてのことは、持ち時間どれくらいなのだろうな。話した後に時間があまったら、実際に詩を書いてもらおうかな、と考えている。写真を使って、詩を書くまずはのやり方。人によっては詩を書くのは恥ずかしいという人もいるかもしれない。少なくとも、書いた詩をその場で発表となると、ハードルが高くなるかな。詩については、最初はやることはそれくらいだけれど、続くのだったらもうちょっと考えることもできるかな。やってみないとわからないけれど。小説に関しては、自分は短編専門に今はなっていて、得意なのがそれだな。それは次回があったら次回になる。何度も思うがそこまで伝えることは多くない。どんな感じかをやってみて続けたい気もしているので、自分に対する自分の表現方法を表象するというか、ある程度までできたらいいけど。勉強とかでよく言う、人に教えると自分の理解が深まったり自分のための勉強になる、という。 いやー、ありがたい。

オオイヌノフグリ

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  春をかなり感じるが、調子は崩していない。今も窓を開けてキーボードを打っている。次の週の公民館の講座の用意を少ししたが、伝えることはもし今後続くなら、そこまでは多くないなと思った。続くとしたら、自分が感じていることを、砕いて伝えることになるのかな。来週は詰め込みはぜずに、でも一方的に話すことになりそうだから、実際に詩を書くことをしてもらうか、雰囲気次第だし。どんな感じなのかをこちら側も知る時になるんだろうな。写真のことだが、私は詩を付け加える写真は自然な写真ではなくてもいい、と思っていて、ある方が、砂浜に綺麗に色を付けている写真を観て、こういうのいいな、と思っていて。でも、自然な写真も撮りたいの、2つある。妙な絵っぽいのは嫌だな、とは思っている。写真ではあるのだけれど、自然な綺麗な色が特徴的に加えられている写真と、自然な色の写真らしい写真。贅沢か。 組織、というのがあまり好きではなくて、それを感じると好きではないな、と感じることがある。集団で失敗が多かったことが要因と感じる。自然な気持ちとしてそれがある。ただ、一度そこの様子を知ると、私の知覚する限りでは、悪くないなというのを感じた。嫌ではなかった。本来の良いことから、その流れがあるのだろうな、と。体裁で言っているのではなくて、それを感じた。 家でいる時に何か、もやもやする、と思ったら今は天気が良ければ、近所を歩いて写真を撮ることがまずの気分転換になっている。今日はストックの写真を使ったが。 寝てばかりではないが、ゆったりした生活をしているものだな、と。またぶり返すと、写真はやっておいて良かったなー、と思う。この生活で、気分転換の手っ取り早いことであるし、まだまだ興味のあることであるし、そこに詩も加えることができる、という特異点がある。(特異点~スマホより、一般的な場合に対して、異常な形態を示すところ。~酔っているので、ちょっと強気で特別感を出しています。) ギターも練習していないのですが、好きなことをする、という意味で詩を詠んでギターを弾く、をネットなら何度もやり直した物が載せられるのでやってみたいなー、と思っています。スマホのアプリをどうやって使うのか知らないといけないし。取り込んだSONY のアプリが使えたらな。 ショートネコステ、も何かネタがあったら、やってみたいな。 絵も欲張るなら、何か描けたらいいな。宮

春のコーヒー。

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  春のブレンド豆を買った。 豆を挽いて、お湯を注ぐ。 LOOK のホワイトチョコレイトを齧って、 春のコーヒー。 ふわっと、軽く。春。 人の気持ちになりなさい、と言われた。 人の痛みを感じてください。 戦争反対。 情けない、言い方になるけれど、 どうぞお願いします。 自分が何か言うことで、不当なことが何か変わるなら言わないと、と思うが。そして、変わって欲しい。考えを変えて欲しい。特に市民に関わることは。ただ、普通に生活することの幸せ。普通の人たち。確かにまた何かがあったら、と思う心理。どうすれば良いのかは、私も分からない。しかし、沢山の痛みが少しの考え、方針で生じ苦しみを受けている。人の痛みだ。人になるか、人でないもの、人でなしになるか。希望や、温もりやシンパシー、そういうことを感じることも。人だ。人でありたい。どうか。思い出して欲しい。そういうことが、あったことを。

素敵よ。写真が綺麗に撮れるなんて。

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  今夜はラザニアだと思って、夕方より、落合務氏のレシピでミートソースを作りながら、飲み、今べろべろに近い状態だ。作りながら飲んだのが、その因となる。あまり、分かっていなかった私に、写真のことだが、ネットの段階で撮ることを優先する、という幡野氏のツイートがまだ私に残っている。そこから、随分こうしないといけないのでは、とかの思いが楽になった。17日に講座を申し込んでいて、楽しみだ。何を質問するだろう、ともっと感じれば良いのだが。もっと考えてもうすぐの期日となるので、疑問を写真を撮りながら思いたい。本当に何だろうな、一瞬思うことを忘れている気がする。もっともっと。欲の思いなら。酔い過ぎているのでここまでに。

書いて、聞いてもらえているだけで、幸せなのだろうな。恐いと思うこともあるが。

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  行き過ぎていることが、恐く。 少しだけ、胸が苦しい。 数年前、気持ちにもやがかかっていた時、電話で母の妹と話した。 昔のことが、自分のことではないように、感じて、と話すと、 半ズボンで小学校に通ってねえ、と言った。 初恋は小学六年生の時。 二十代に介護施設に実習に行った時、施設に小学生の時の女友達がいた。 初恋の子の友達だった。 私のこと好きだったんだと思う、て言っていたと。 何だよ、と思ったけれど事実だった。 話をした友達は妊娠をしていて、 赤ちゃんが産まれた、と報告を受けてから連絡を取っていない。 そういう懐かしさと、優しさで十分だ。 優しく時が過ぎていると、感じる。 ただ、そういう思い出があるだけでいい。 出過ぎている、と思っていて少しだが恐くなっていた。でも、上段の詩、と言っていいのかそれを書いていて、懐かしさに包まれて今、恐さはなくなっている。実を言うと涙も出た。アルコールでごまかすようになってはいけない、と思っていたが、大丈夫、それなりくらいの酔い方で、楽しくなっている。今日も飲んでいい日だ。出汁巻き卵、出来合いのサラダ、などをおつまみにして、飲もうと思う。卵がない。大根おろしも付けたいので、スーパーに買いに行かんとな。汁物も作る予定で、有賀薫さんの、酒粕を使った汁物を作ろうと思っている。材料調べんとな。ダイエッツとか言っていて、1月は1㎏も減っていない。ただ、ちゃんと食べていると元気なので、膝の痛みが大分ましになってきたので、武道館のジムにそろそろまじで通おうと考える。まじのやつ。有酸素運動をメインに。 しかし、またちょっとぶり返すが、起きる事象が大きくて恐くなる。発明みたいなことだけなら、いけいけい、と思うのだが。責任がある気がしていて。でも、間接的な思いがまだあるので、私には表と裏の心持があると言うか。裏のことは、気持ちが振り切らないと言うか。ある地点で留まっていて、その感情や思いに染まらないと言うのか。だから、酔っぱらったり、酔っぱらっていなくても、自分の思うことをスマホに書き込むことができる。えっくす、Twitter を正式に表でメインに使っていたら、ここまで書き込めないのではないのだろうか。表で批判が来るわけだし。酔っぱらってふざけたりもしている。でも、山内、がんばれよ。いや、良い心を持っている若者、がんばれよ。そう言いたい人も結構いると

忍者ハットリくんは、獅子丸が好きだった。子供の頃は犬派だったから。でも、影千代も好きだったなー。

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  目を閉じて、開けた時、世界が変わっていたら。 時々そう思っていた。 テレビは受動的だ。 本を読むことは能動的だ、と言われた。 目で追い、意識を発していないと意味を読み取れない。 頭の中で自分の声を響かせて。 私は完璧に近い人より、人間的弱さがある人の方が好きだ。 そこに優しさのある人が多い気がしている。 私は変わって行ったが、弱さは弱さのままだ。 恥ずかしいと思うこともある。 でも、それで優しいなら、人は優しいことを知ることができるなら、 それはそれでいいような気もしている。 何度か書いたが、血を流した時に正気に戻って、流しているお湯を止めて風呂場を出た時に黒い文字という感覚の悪意の声が聴こえていた。記憶の限り悪魔っぽい悪意の声だった。 もうちょっと、明るいことから話題を始めようと思ったが、記憶に残る印象的な経験だったので、反芻するように書いてしまう。 教会の方が亡くなった。綺麗な顔だった。自分の元の仕事柄と、この年になると人の死によく立ち会う。私は今のところだが、かなりの長生きをしたいとは思わない。もちろんある程度は生きたいけれど。まあ、ある程度で十分かなー、と今は思っている。この状況でくすぶっているからか、生命力がそこまでないからなのか。 子供の元気な姿とか見ると元気を貰えるし、おじちゃん、ありがとう、とか言われると、うおー、と生命力が湧き上がるような気もする。この前、小学生の男の子たちがコンビニのイートインで私の背中越しでゲームをやっていて、盛り上がっていて、声が大きくなったのだが、一人の男の子が大きい声出したらだめだよ、みたいなことを言って、静まったのだが。おいちゃん、世知辛い経験沢山してるし、ゲーム楽しむ声くらい気にせんで、と思って。でも、何ともいい子たちだ、と感じた。そういうことに幸せを貰う日々なのである。今書いていて、これはこれで幸せなのか、と。ただ、やっぱり元気がないのかな。私は若い頃は、子供のこと好きとか関わっていないし、そんな好きでもないかもな、とか思っていた記憶だが。教会に通うようになって、純粋な子供の心に洗われた、というか。こんなにも純粋なのか、と思ったりしていて。今は、心から幸せを願いたい思いだ。捻くれた悪い子だったら、どうしよ、とかも思うけれど。でも、実際はできるか分からないけれど、信じるべきなのかもな、その子の心を。漫画とか読んでい

随分書いたな。

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  今よりももっと不器用だった頃、歯車が一つ狂って、 失って行った。 嘘を沢山ついていた頃、また失って行くのが恐かった。 今も時々思うのだが、 すぐにそこを去って良かったのかも、と。 思い出は良い思い出のまま、保つことができているから。 そんなのが、私の若い頃の事柄だ。 昔のことをうじうじと、時々するが、それらも今の私を形作っている道程で。昔、色々あって、私はそういう事柄に対処する程、器用ではなくてすかしてしまったのだな。それから、どんどん歯車が狂って、馬鹿話していたような友達にも嫌われ、馬鹿にされるようになった。私は匂いもあって、ただ母親が何かの時に買っていた漢方を飲んでみたら、その漢方を飲んでいる期間匂いがなかった。心臓を落ち着かせるというか、心を落ち着かせるか何かの漢方だった。汗が出なかったのだな。飲んでいない時は、人がいる場所だと、だらだらシャワーのように出ていた。1人でいる時は、飲んでいない時でも、汗が出なく、緊張があるからかな、困ったなと思っていた。母親がその漢方を買わなくなって、それが私が歯車が狂い始めていた時で、やー。酷い思い出だ。今でも、あいつむかつくな、と正直思うやつもいる。友達っぽくして、馬鹿にしているやつ。 浪人時代は、同じ高校の友達って言っていいと思うけれど、私の高校時代を馬鹿にする人間はいなかった。遊んだな、広島の予備校で。しょぼいのだけれど、高校時代のようになるのが恐かった気持ちもあった。高校の先生と何回かの期間連絡をとる決まりだったのだが、私に幻滅していたような感じだった。高校の担任の先生は、私が予備校に行く前に友達は作らない方がいい、と言っていた。遊ぶことになるから、という意味だろう。浪人期間が終わって、私立の1つだけの大学に受かってそこに行くことになった。学科があって、私はサメとか魚が好きだったので、そっちに行こうと思ったのだが、それがお前のやりたいことなんだな、と父親が言って、でも工学系の方が就職が良いと言って、船舶のデザインをする学科を選んだ。その学科に行くことになった時、え、何でやりたいことの方を選ばなかったんだ、と父親が言った時はびっくりした。結構強く、工学系の方に行けと言われたので。 浪人時代のことも、全然勉強しなかったことを、父親はかんかんになって、怒ったのだが、自分は遊んでしまった、と正直に言うと、それらも思い出にな