投稿

12月, 2024の投稿を表示しています

ほんまに、よいお年を。

イメージ
  さて、のらりくらりしている。明日ものらりしてブログを書く時間がないかもと思う。今、時間もあることだし書いておこう、と。自分の振り返りをしておこう。今年はどうだったか。基本、のらだったがそんなに悪くはなかった、という今の思い。よく眠った。半年教会に通って、半年教会に通うのをやめた。24歳にバプテスマ、洗礼を受けて教会に通わない、という日はなかった。どうなることか、と思ったがネットで礼拝を守っていることもあり、おかしな方向には行かなかった。苦しくなったり、何か変な癖が出たり。そういうことはなかった。25歳におかしな体験をして、変な癖とかが出て。変な自分と共にあった。という部分がある。40歳をこえて、子供にびくっと意識してしまう恐ろしい体験をし、もちろん最終の変、にまではありがたくいかなかったが、傷付き。若い頃は変な自分が好きだったが、本物の変な人になると結構傷付く。不思議な体験をある頃からよくしていて、そうすると変な癖が出る。自分は弱い人間だな、と感じる。そして、私は変な人なのだな、と今を感じる。もうすでに変な人になってしまっているのだ。抗い様のない経験により。多分、もとの私自身変な人の素質を持っていた。 今年の私は、それなりにやり過ごしたかな、という私であったな。今書いていて何があったかあんまり思い出せないな。そんなんでも一年を過ごせるんだな。頑張れる気持ちはまだある。英語はさぼっていて、単語や文脈や分らなくなるが、何を発音したか以前より聞き取れている。しかし、聞き取れた言葉の意味がなんだったっけとなって、そこからなし崩しに意味が分からなくなる。ギターは12月は随分さぼっている。暖かい日に浜辺でギターを習慣的につまりなるべくよく弾きに行こうと考えている。 自分のことだけ良ければ、と言われるのだが、でもまず自分を大切にと考える。何でここにいるんやろ、とか考えていた時期もあるし、結構嫌な思いをしている。その一方で楽しい気持ちに触れさせてももらったが。立場とか集団向きではないのかな、とかも考える。しかし、そういうことを諦めたら生きて行けんぞ、と思ったが、生きて行けるな、と思った。 今年前半は、聖書のことを引き続き学んだな。色々知った。世の中にある色々な出来事から、酷い出来事はなぜそのままなのか、とか神様はなぜ、とか思うが。聖書の時代からそういうことがあって。なぜ...

夢の中のひと時~人のことを考えて。でも、自分を大切に。

イメージ
  色んな考えが、色んな人がいて考えているように、現れてそこに自分もいる。あまりに、その色んな考えを聞いているとどれが自分の考えか分らなくなる。 残業が終わって自宅に帰ると、夜の十一時を廻っている。どうしても一缶ビールが飲みたくて普通サイズのビールの蓋を開け口にする。仕事が遅いとよく言われる。一つの書類に向かっていたら、色んな考えが意識に浮かんで集中して一つの書類の流れに乗るのが難しい。そして、それはとても疲れる作業だ。 ビールを飲み終わって頑張って、シャワーを浴びる。そして、一粒薬を飲んで眠る。朝、とても疲れていて起きる。寒い日だ。24日、クリスマス・イヴ。 最近よくあるように、遅刻して怒られて、ついには「レッドカードだ」と言われる。どうするか、上の者で相談しておく、と。生きていてつまらない、と思う。デスクに座って、皆黙々と仕事をしている。今日はクリスマス・イヴ何だけど、と思って、毎年クリスマスのことが職場で話題になること何てない。なぜか、特に今日仕事場が静かだと感じる。じいちゃんの家を思い出して、クリスマスを祝っていたことに縋りながら仕事を始める。 事務の人から今日もペナルティとして、仕事をしてから帰るように言われる。事務の女の人は嬉しそうな表情でなぜだろう、と思うと机にケーキの箱が置いてある。事務の人たちで食べるんだろうな、いいな、と思いながらどこかで仮眠がしたい、と思う。仕事をしながら、いつものように色んな考えが現れて、とても疲れて行く。 夜になって誰もいない中で、色々な考えから色々な思い出に変わっていて、ふと、終わらせよう、と思った。中心にその考えがあって。 僕は眠っていた。 カリカリ、カリカリ。 音がして、小さな音だけれど僕はその音に気付いて目が覚めた。どこから音がするのだろうか、耳を澄ます。椅子から立ち上がって歩き廻る。 にゃー、と聞こえた。 窓だ、と気付いた。 窓の方からだ、確かだ。静かに窓に近づく。音は止んで、小さな黒い影が見える。 「君の足元を見てごらん。」と聞こえた。 僕は自分の足元を見た。僕の両足は右側に向いていて、温もりがあった。命の方角だ、と感じた。「生きろ」と言っている。 「メリークリスマス。」 自分の腕時計を見ると、深夜の零時を過ぎていた。25日、クリスマスだ。 「しゃーないやつ。」 と言っているのが聞こえた。目が覚めて周りを...

夢の中のひと時~ありがとう。

イメージ
  寒い日が続く。寒いから、ぼくは寝床で毛布に包まって丸く眠る。また、雪が降る。静かな白い柔らかさを感じて、そして夢を見る。 「行くよ。」 「うん。」 夢の中で雪が降っている。冷たくて、でも優しい。男の子は仕事が終わるお母さんを待っていた。仕事場のおばさんが、ストーブのある部屋を開けて待たせてくれている。時代が前後して、いくらか昔のようだ。 お母さん、男の子それぞれ自転車に乗ってスーパーに寄る。寒い日だから、お母さんの作るしょうゆラーメンが夕食だと男の子は感じている。最高のしょうゆラーメンだ。焼き豚が乗って、ねぎ、メンマ、スープにも一工夫、二工夫されている。にんにくと、ねぎと生姜から作った香味油を最後に垂らす。男の子はしょうゆラーメンをすすり、幸せそうにする。学校であったことを話したいが、お母さんはしんどそうで、疲れていることが男の子にも分かったとぼくは感じる。家族は、お母さん、男の子二人の家庭のようだ。 メリークリスマス。ぼくはそう言いたかった。クリスマス・イヴが近付いている。 しゃんしゃん。 音がする。 しゃんしゃん。 夢の中のトナカイさんだ。クリスマス仕様になっていて、鈴がいくつか首についている。 「やあ。」 「うん。」 「君も気になるみたいだね。猫くん。」 「うん。たまたま夢で出会った家族だけれど、二人に優しいものを感じて、でも何だか心配になる。」 「あそこの男の子は特別でね。サンタさんのよくやった子供メモにしるされているんだ。雪の中歩くおばあちゃんの荷物を持って、結構な距離のおばあちゃんの家まで届けた記録が残っている。風に乗って知らせがあったんだ。サンタさんがあいつは、いいやつになる、て言っていた。」 「ああ、いいやつ。大人になっても、いいやつ、てことだね。」 「人の世で生きていたら、とても難しいことだけれど、本当は多くの人がそういたい、と思っている。いいやつ、っていう大人の称号。でも、今のままではあの家庭にはちょっとした、つっかえがある。」 「どうするんだい。」 「猫くん、ここは君の夢の世界で、君はそこにいる人の夢に入れる。そして、それは僕も同じだ。子供の夢の世界には僕らは入りやすいし、変化を起こすことができる可能性がある。子供は素直だから。」 しゃんしゃん。 暗い、目を閉じた世界。でも、とても温かい。お味噌汁の香りがしている。ここは子供の世界で...

夢の中のひと時~きもちをたいせつに。

イメージ
  雪が降っていた。雪はそのうちに積もって、白く白く世界が変わる。目の前が白く。 雪は静かに積もる。ぼくはその様子を暫く見守ってから、寝床に行き毛布の中に包まって丸くなる。猫だから。 雪の日に見る夢は、人の優しいこと、そういうことが多い。 夢の中にいて。 ちょっと、聞いてる? お母さんが娘さんに言う。隣にいる息子さんが笑っている。娘さんは嬉しそうに歩く。この光景は愛だ。ぼくは夢の中で思う。男の人が、その横を車でゆっくり通って行った。ぼくが感じる限り、懐かしそうに少し嬉しそうに、笑っていた。 ぼくは感じて、聞いた。娘さんがお寺にいる野良猫たちのお世話をしよう、とクラスで言い始めて、まず、お寺の住職さんとお話をしよう、そう先生が提案してくれた。今度クラスのみんなでお寺に行く前に、どういうことがしたいか話し合うのだけれど、娘さん何も考えていないみたいで。 お母さんが、はらはら心配している。娘さんはお母さんが心配してくれていることに、安心した気持ちになるようで、そうやって心配してくれるから笑いたくなるようなのだ。 ぼくはぼくの夢のなかで、その人の夢に登場する。今回もそうする。 お母さん、優しいよ。君のこと心配してくれているよ。 うん、分かっている。学校から家に帰った時、おかえり、って言ってて笑ってて、優しいなって思った。 ぼくら、猫のことを考えてくれるんだろ? うん、猫はかわいいし、冬はとても寒いだろうから、何とかしてあげたい。 ああ、でも少しは考えてくれているのだね。冬の寒さをどうにかしたいって。 そういう、シンプルなことを考えていこう。 テーマ「大変そうだな」野良猫にとっても、住職さんにとってもあるかも知れないね。 うん。考えられそう。 それと、一所懸命に考えるのもいいけれど、難しかったら、話し合いの時にクラスメートも先生もいる。一緒に考えてみることも大切だよ。もしかして、そのうちどうしたらいいか住職さんも考えてくれるかもね。何はともあれ、猫助けだ。君のやろうとしていることは、ぼくからしたら、とても良いことだ。 ありがとう。何かやる気になって来た。 少女は目が覚めた。がばっと、布団をはいで台所にいるお母さんの場所に行く。 お母さんの穏やかく、笑う声が聞こえる。 少女の。って、猫が言ってた、の声が聞こえてぼくは目が覚める。 窓から見える雪は止んでいて、12月。家の...

クリスマスまであと一週間。

イメージ
  翻訳できない 世界のことば という本を紹介してもらって、本屋で探して椅子と机のスペースがあるので座って読んでいた。純粋に本との時間を楽しめる本で、絵もかわいい。どうしようかな、と思ったのだけれど、時々素敵な喫茶店で読む本だな、と思って購入した。表紙と言うか、カバーもクリスマスっぽいというか、かわいくてこういう気持ちになるのも、いいよな本って、と。懐かしいというのだろうか。こういう気持ちになることに、触れたことがある、と。 最近、よく食べてそれなりに飲んで。節制せなあかんな、とは思うのだが、幸せな気持ちになっていて。短い書き物をして、苦しくもなく生活の色々をしてでも、どこか書き物に意識を置いていて、すでに広まっているのか、気持ちが高くなってしまって、最初に書いた物語の時は気持ちが落ち着かなくなってしまっていた。短い物語なのだけれど、クリスマス前には、なんかクリスマスだよ、ていう思い出になるというか。各家庭にその人たちのストーリーがあることを楽しめたらな、という、クリスマスっていい日だね、という大人だって感じることができる自分が書くこととは関係なくても、幸せな日、という。そんなことを思える日だといいな、と時々妄想して、過ごしている。私もクリスマス・イヴとクリスマスには一人でも嬉しくなる何かをする気持ちでいる。デパ地下で買いあさるとか、それは多分しないが、個人の酒店で赤ワインのいいのは買うな。デパ地下のお肉は買うかもしれんな。あとは、何か言えん食べ物を買って贅沢するとか。素敵な喫茶店で今日買った、本を読む。とか。それか、ぼけぼけして過ごすでもいいけれど。せっかくなら、自分から能動的にそういう日なんだと、楽しもうと思っている。今、何か嬉しいんだよな。だから、嬉しいクリスマスになるといいと、思っている。

小さいグッドニュースがどこかにないか、耳をそばだてている。という気持ち。

イメージ
  過行く、出来事と、命があること。 この世の身の辺(あた)りのこと。 命があるから感じることができる。 命に感謝して、 安心して眠ることが、できることに 感謝して。 自分のことながら、どうなっていくんだろうな~、と思っている。このまま明るい兆しが見えて来るまで、籠っておこうかな~、まで考えている。健康には良くなさそうだが。時々、色々な考え方を観て、自分はどうすればいいんだろうか、とか考えるけれど楽なのは今は楽で。でも、協力をしたりできることがある時は、少なくともそういうことを感じる時は、あれは気持ち良かったなー、と。しかし、今は何ごとも面倒に感じられて。仕事をしなくなった期間、自分なりに頑張っても過ごしてきて。いや、そうでもないか、でもそれなりに自分を整えて生活をしていて。なんなんだろうな。そうやって、迷って過ごしているのが、ここ最近だ。嫌なこともあったし、楽しかったなということもあった。 人のことを考えずに、少しは考えているがのん気に暮らしている。

気楽に。

イメージ
  祈りのことは、 祈ったから、必ず何かできる、とは今は思わなくて。 しかし、もちろん働きかけがあって、自分が方向づけられて行くことも、 あると思っている。神様の性質に触れて。 繋がるという、今の気持ちで。 そのひと時、神様と繋がり、具体的にはではなくても、 祈りは人にどこかで届いている。 善意という。 強さがそれらを蹂躙(じゅうりん)しても、 それは存在している。 善意は失われない。 どこかに存在している。 間違うことがよくあるけれど、 時々直面する出来事の、 最後の選択は今まで出会ったような、善意であると いいな、と希望する。 よく間違う。 でも、経験により努力したい。 そんなに立派なことが言える人間ではなかった。経験と自分の立場を知ったから、あんまり変なことできんな、くらいの思いがあって。ただ、経験としたらあの選択で、あの人は傷付いただろうな、という経験がいくつかある。いまだによく人のことを考え、配慮することができないし。配慮、は暫くの自分のテーマでもある。なかなか、できんな。 自分の性質、キャラみたいなものは、変われないと感じて洗練されていないな、というか。田舎っぽいというか。現実世界でそういうことを感じる。それは、それでしょうがないな、と許せる。でも、いもい自分の振舞いだと感じることがある。 人は完全にはなれないけれど、優しい出来事には努力がしたいと感じる。これも難しい。失敗も多い。 明るい方角を見ると、楽しいことないかな。今は腹から楽しく笑う出来事も少ないけれど、楽しそうに笑っているのを見るとしたら、俺もそういうことあった、と楽しくなる。寒くなってきたからか、るんるん、というお気楽な気持ちになっていない。でも、そういう今の気持ちを味わうのもいいだろう。落ち込んでいるわけではないから。

そういうこともあったな、という懐かしい。

イメージ
  ふと、不安になる。 いつかこの生活が終わった時に、 失うことがいくつかあって。 心を痛めて、空白の。 急にイメージが湧くと、失ったそれを感じる。 でも、ふと思う。 ぶれていながらも、やらないと、と思って、 してきたこと。 悪いことも、少しは思い出すが、 良かったこと。心が動いて、ここは。 その気持ちで動けたこと。 その時の気持ちは今の私にも、力を与えてくれる。 その心があったことに安心する。 自分のしょぼさに辟易(へきえき)する。まずは今日の思いだ。 さて、コンビニで新聞を読み自宅に帰ろうとすると、よく見間違えをするのだが、仕事をしていた時に私のアトピーについてアドバイスをしてくれていた看護師の方を見かけて、どうなんだろうもう後ろ姿でしかなくて、声を掛けることもできなかった。時間ごとに霧吹きとかで肌に水を与えるアドバイスは、その頃にかかっていたお医者さんもそれは正しいアドバイスだ、と言っていた。もう引退の年齢ではあるが、どこかで少しの時間パートタイムとかで働いておられるのだろうか。頭の中で名前を思い出そうとしていて、この名前だったと思うんだよな、と浮かぶ名前がある。多分、その名前だ。穏やかな感じの人だ。 自分はいいところも、わるいところも変わらないような気がしている。変わるところは変わったか。人に慣れておかないとな、とは思う。教会にも行かないようになって、人と接する機会が少ない。変な話、女性とも普通に話す機会がなくて、子供にびくっと、するのがましになって来たが、次なる変な反応はないだろうな、と少しだが不安になっている。ちょっと、自分としては異常な環境なのだと何度も思う。このことは、昔読んだ、陰陽師か何かの漫画を思い出す。修行していたが、向こうに見えた岩の割れ目を見て、山を下りたという場面があって。エロについて我慢が出来なくなったということなのだが。自分はそこまでは、いかないが、人との関係や普通に女性と接することがない今、変な本能的何かが発動しねえだろうな、と不安になっている。今のところ、余裕は持っているのだが。子供についてのことがあってから、不安だ。屈辱(くつじょく)でもある。 普通に生きてねえな、といいもわるいも思うな。日常の穏やかさは普通だが。そうじゃない時もあるか、勝手に自分がそうなっているのだが。 そういうこともあるが、エネルギーもはつらつとはな...