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5月, 2022の投稿を表示しています

これから暫く晴れが続く。布団を洗って干そうか迷っている。

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  隠れていても、隠れていなくても、 紫陽花。 控えめな場所に咲いていた。 蛍も現れて。 日本の季節感。 今思ふのは、服を着込まなくて良いのが楽だな、と。 ちょっと調子に乗っているかな、と思う現在。季節に寄り添うように生きるのも、いいな、と思うが精神も肉体もそこまで丈夫ではない。現代の薬や機器を使って乗り越えている。アトピーもまだまだ良くならない。顔が赤い、もともと赤いがさらに赤い。心は軟弱だ。何時まで経っても打たれ弱い。ん、そうかな。いや、やはり打たれ弱い。季節を感じる1つはトマトが旨くなってきている。トマト大好きだ。夏近くの。 物書きののろさは、でも今までもこんな感じだったぞ、と思う。いつか長い小説を書き続けるみたいなこともしてみたい。書きたければ、だが。書きたいよな。そういう風に思って今まで目指してきたのだから。はまったのだよな。書くという世界に。キャパは今は小さいけど、大きく、ぐっぐっと広げていきたい。 病を抜きにしての心なのだが、以前より心臓がどくどく緊張しやすい。何かそこは前よりそうだ。これが落ち着いたら、肝の据わりまくった自分を妄想する時もあるが、こういう感じなのか。そこでのターニングポイントよ、来い。来なかったら来なかったで生きられるのは生きられる。しかし、来い、まじ。 今日の夕食は昨日作ったチキンティカマサラであーる。人真似をしてみた。ご飯はキューライスさんのひとり事から、クミンシード入りのターメリックライスが炊けている。納豆キャベツのマスタードオイル和えを作るか迷っているが、混ぜれば済むので多分作る。

ねこがねむるきせつ。(いつでもどこでもねむっている。)

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  近場でのウォーキングの帰り、サンフルーツが売っていた。 無人の販売で、 財布を見ると小銭がなく諦める。 液体のトウキビのシロップがあるので、それを加えて、 炭酸で割るジュースにしたかったのだが。 今はその代わりにお湯で煮だしたコーン茶を、氷で冷やして。 飲んでいる。 そうすると。半袖、半ズボンでいると。 そのうち、上半身が冷えて、くしゃみを数回する。 長袖を羽織って。 窓を開けていると、まだそういう季節なので。 それが今思うに心地いい。 ねこわ、ねむる。つまり、ねこのかいわわ、ない。 ねこわ、じつわおきていた。きみがかえりにしゃしんを、とるとわ、おもっていなかった。きもちよくて、たいせいをかえてしまった。ねこのかいわわ、やはり、だるいのでない。 へたうまについて、思っていたのですが、思っていた情熱が冷めたのでもういいか、と。要するになぜ、そう思い始めたかと言うと、ブログでよく詩を詩と思えないものも書いてしまうかもですが、書いていて。ある時、ずらしたいな、と思い始めて。つまり、敢えて下手、というか違和感、気持ち良すぎないものを入れ込みたいな、と思っていて。今はそうでもないのですが。少しだけまんねりのような感じを感じていた。下手の味を占めてみたい、というか。今書いていて、両方できたらいいと思ったのですが。器用すぎるのも気持ちが乗らないのか。ブログの詩は気合は入っていないものが多いかなだけど、いい時のすらっと、行く感じに、ぐにゃっと、を入れ込みたいというか。しかし、今は正攻法でもっと研いで行きたい、だろうかな。敢えてぐにゃっと歪む感じは今は求めなくなっている。下手の味があるって確かに魅力的ではある。今日の夕食はボロネーゼのソースを冷蔵庫の中にタッパーに入れてあるので、温めてボロネーゼだな。辻仁成さんのレシピだ。鮭缶を使ったパウンドケーキの型に入れて焼く料理まだしていない。レシピ観ているとそんなに難しそうではないな。ソースは日が経った方が美味しく感じる。2日前に作ったのだな。

雨あれど、いわんや雨がある。

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  雨が降っていて、雨を敷く道路に車が線を引いて行く。 物静かに外の気配がして。 鳥の声が聴こえて、 さほど雨は嫌ではなさそうだ。 それよりも瑞々しくその声を聴く。 今日はそんな日なのだ。 小説をほんとに少しずつ書いていて、そうするとブログに書く文のような文体が出てくる時がある。はー、それはそうだなと思ってそのままでいい時と、それはどうかな、という時があって。詩を書く表現の時の感じも頭に浮かぶ時があって、そうなる前の文章を書いている時の感じもあって、でも極端におかしくはない。物書きを目指していた時によく思っていた、頭の良い文章は書けない、という思いは今もある。少しましになった気がしているが。初期にブログの短い文章で村上春樹さんのイメージでまねして、書いてみたりしたこともあった。物書きを目指すのだから、と思って古典と言われるような小説も読んでみたが、当時の自分の気持ちだと現代文学の方たちの話の方が読む分には面白かった。でも、古典は重厚というか厳か? というか。それだけの物があるのかな、とやっぱり思っているな。 今、重厚な本は読みたいと思わない。必要な時に体力をつけてだな、読むのなら。時間があるし、できる状態ではあるのだからゆっくり力をつけては行きたい。英語はニュースの会話とか聞き取れない。今の知っている単語、と分かるくらい。ギターのしょぼさ。しつこいので諦めていない。ここを乗り越えよう、と思っている。集中とかして。昔からへぼかった。だからこその憧れ。 料理。色々作ってそれを殆ど食べるから太るんだ、と思ってから暫くして料理欲が薄れたが、ここは努力して、作った物は保存容器に半分は入れて量を加減しようと思っている。食欲が疼くが。冬の間の鍋は良かったな。 ブログ。変わらずブログのおかげで生き延びている。 ぶつぶつと書く呟き。観られている思いでありながら、半分以上くらいは自分の気持ちを吐いている。 祈り。ご飯前だと、ちらちらとご飯のことが気になる。惰性になっているか、というとそこまでにはなっていない。祈り始めると気持ちが少しずつ入っている。ものすごい集中してとかではない。だんだん、自分のアトピーのこととか癒されるように祈っている。スマホに記録をつけているが、それは印であって、祈り全部は書いていない。おおまかな感じ。観られているのだろうな、と思って、続けていることができている。で

蛍を望む。

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  夏の気配は、訪れている。 ぼーっとしていても、家では短い丈のズボンを履いているし。 テレビを観ていたら、場所によっては蛍が出るようだ。 蒸し暑い夜に、蛍は出るらしい。 そののち、梅雨がやって来て。 改めて、味わうというか考えてみたら、結構目まぐるしいのだ。 それも良いだろう。 そういうのも良いのだ。 夏になったら、一回は喫茶店でかき氷を食ってやろう。 1枚目の写真はアスファルトにフォーカスし過ぎているかな、と思った。まばらな感じで、と撮った時思ったが、アスファルトよりは右下の花にフォーカスがもっと行った方が良いのだろう。時間はかけて撮っていないが、まばらなイメージだった。ちょっとずつ、そういう意識とかをして写真を撮ろう。そういうつもりに追い付く技術ものろのろと上げて行こう。ほんとの気が向いたときに図書館で本を借りたり、信用のある場所でのインターネットの話。2枚目も紙コップにフォーカスできていないのでは。鉄の格子にいっているのか。 テレビを観ていたら、蛍がもう出ているようだ。メモをした。出る時間帯は午後8時から9時くらいが多い。雲が多い日。フラッシュとか光に弱いらしい。風が弱い日。寒さと風に弱いとのこと。蒸し暑い日。時間がちょっと過ぎているけれど、ブログを書いた後、また見に行くつもりだ。1回ちょろっと、8時くらいに見てみた。いなかった。 めったにメモは取らないが、バインダーにA4用紙を挟んでいてプラスチックのストッパーにに立てかけている。食事をする机の横に置いて。 現実世界で自分を卑下する言い方をやめたい。言うとしてももうちょっと、あっさりした感じに。力強さが必要だな、何というか自分の現実を捉えながらも。ただ、昔よりは前向きに考えることができるし、一旦時間は必要だったりもするけれど。陰と陽があって、陰の性質があるのは確かでも、時どき確かめるけれど、陽を見ていたいと。バランスはあれども。陰と陽ってよく言ったものだなーと思う。生きていて確かにどちらもあるって、思う。どちらも、経験しておいた方がいいんだろうな、と勝手に自分は思うし、大きけれ小さきけれまず経験するだろう、と思っている。そして、優しい大人になれたら、と勝手に思うな。ネットを観ていたら、恐ろしい世界のように思ってしまうが。仕事でも嫌がらせとかもあったし、ただ思い返すと優しい人の方が多かった。それはその時から、

デジタルのことを、ほんのもうちょっとだけ、強くなりたい。知りたい。

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  時間をかけたけれど、本を読んでおいて良かったことには、 感謝をしている、と、思って、 ただ、今日の失敗は、祈るのを忘れ、一杯飲んでしまったことだ。 私の祈りはそれほどの物ではないことは確かにそうだけれど、 神様に少しでも触れることができるなら、 少しでも触れるなら、幸せな感覚が今思うことに、私にある。 いい加減すぎる性格が、ここは特に短いケアマネの時の仕事でこれではいけないんだ、と思って少しましになった。仕事も酷い目に合わなければ、自分の軌道修正として良い経験だった。しかし、戻れるか、と言われればもう戻れません、というのが正直な気持ち。ケアマネを辞めた最後に、仕事、大変よ、と言われた。そうだな、と思う。私はちゃんとした仕事を始めたのも遅いし。その一方仕事にやりがいを感じれば、生きる気力にもなる、という気持ちもある。ただ、私個人としては酷い目にあった。大分そういう記憶も薄れているけれど。今は自分にとっては進んでいることが、実感がない気持ち。昨今は小説をのろのろ書くことで、やりがいを感じようとしている。ただ、文系の分野で実力をこの6年くらいか、それである程度つけたことも、多分、しかし確か。一般常識も少し加わってついたかな。知らないことが一般常識の分野で多い。新聞を読んだり、本を読むのはいいなー、と思う。今の私は時間があるからだけれど。新聞、最近読んでいないけどね。そして、自分の興味のあることでいいんだよね。私についてはそう思う。本を読むことを薦めてくれた恩師に感謝をしている。 今日はウォーキングをして、帰りに料理をするのが面倒だ、と思ったけど。お母さんカレーでいいんだよね。水入れて玉ねぎじゃがいもにんじん、ついでにマッシュルームどばどば入れて。お肉は一様軽く炒めて、カレーの恩返しを振って炒めて、鍋に入れて。ブログを書いてある間煮て。ルーを入れる。ああ、そうか、昆布と煮干しも入れている。できあがり。

希望。

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  言葉の種だね(たねだね)の性質 人に伝える手紙。 ただ、言葉により、その気持ちを伝えて。 その手紙は心が伴って。わたしは触れている。 その手紙を、誰に渡すでもなく、瓶に入れて蓋をして、 湖に浮かべて、そうしているのだとしたら。 月夜の明かりで私はそれを見付けて、 受け取っている。 (普通ではなく嬉しく。光栄です。その気持ちがあることを。)

思い出が生かしてもくれている。

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  たこ焼き八ちゃんだっただろうか。 小学生にも満たない頃、近所に車でやって来ていて、 焼けた生地の香りが、食欲をそそのかした。 私は小学生になるまでそれを買えたことはなく、 私の名前を変えて、たこ、と私の名前の3文字目を名乗って、 たこ焼きのたこなのだと。そんなことがあって。 大人になった今でも。たこ焼きが大好きだ。 今の生活で何を焦るか、というと。怠惰すぎる生活で衰えていく身体、そして気持ち。張り合いがある生活も、このずぶずぶした生活に慣れて、面倒だが、このままではいけないだろう。工夫をしないといけない。身体は今のうちに何とかしないといずれ後悔しそうだ。健康面で。小説には向かい始めているが、何分その時間が短い。思い起こすとこんな感じだったな、とも思う。小出しに短い小説を。できるなら、1日に小出しに何回かに分けて。今のペースでもいいけれど。甘いけど。 一人の生活も慣れて、楽ではあるのだけど、ちゃんとした人たちの声を聴くことで確かに心が静まった。ちゃんとした人たちなのだな、という安心だろうか。今さらだが。 分かっているだろうことを、傷付いているだろうことを言ったり。人に嫌われたり、トラブルがあることには、それなりに原因はあるのだろうと、本当に経験で感じているが。少しはそういうところも理解というか、ここだな、と感じてもいるかな。 自然に明るく生きたいものだ。うじうじするからなあ。それもましになった。そういうことが少ないということもある。

生きなガエル。

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  自分は自分である、と。 思えることができるのは。 結構、色々やって来たからだ。 なぜ、不安に陥るのか。 その感情を忘れてしまっているが、 今は憤り。なぜそんなに恐れているのか。 静かに、感情が怒って心の表面を覆っている。 自由に生きられる。 生きようと思えば、私は自由が可能だ。 そう思うことにして、そう思っていると、心に余裕ができるので、 暫く、そうしていよう。

頑張れ自分。レジリエンスだ。

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  やはり、どうにも気持ちの奥が苦しんでいるというか、あんまり詰めたことをすると良くない。とにかく海を見に行っている。小説もアイデアを出すこともしているが、すぐに嫌になったら撤収することにしている。どうにも、良くない。昨日はずっと海沿いをドライブしていて、帰って眠ったら、すっきりした。今日の朝はまた海に出かけて、竿を振ってみた。なんも釣れないけれど、気持ちは良かった。顔のアトピーが酷い。かなり赤くなっている。不規則な生活にもなっている。元気がない。あほみたいに海を見に行ってやろうか、と思っている。今思い付いたが、自分でサンドウィッチとか弁当とか作って、海を見る。しないかもな。明日、部屋の掃除しような、自分。

今度、アプリのイカ焼きを作ろうと思う。

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  東へ行き。また、次は西の夕陽に向かう。 帰りの車中、見かけたのだが、 いつもとは違う道を使っているのだが、 若いお母さんらしき人が、高齢の女性と、 楽しそうに会話をして歩いている。 夕陽の穏やかさ、相まって、 自分とは関係がないのだが、ゴールデンウィーク、そう思っていると、 その他、そういう休日の光景を見ているのも、なぜか、 わたし、たのしい。 丁度良くにぎやかな雰囲気を感じると、楽しいかな。今日はにぎやかというか、本屋さんで人がそれなりにいて、静かに本を手に取って、座って読んでいる人が多くて、本買いてえ、と思ったのだけれど、読んでいない本がまだあって、興味があるけれど、手をつけていない本もあって。そういうの読んでからだな。だんだん本も読めるようになってきた。それと、図書館と実家にある本でも充分だったりもするのではある。若松英輔さんが紹介している本は私にとっては当たりが殆どで、しかし、そういうところに行き着いていない。つまり、今ある本が読めていない。それと、若松さんが紹介する本は私にとってはある程度体力がある時でないと読めないのだ。私はそういうくらいの読書力だ。 昨日は夕食にたこ焼きを焼きながらテレビを観て、お酒を飲む。下手ではあるものの、一時期、たこ焼きを焼いていた経験は、お酒を飲みながら、テレビを観てたこ焼きを焼く、という行為を可能にしている。たこ焼き機の丸のくぼみがもうちょっと大きい方が好みだが。つまり、一粒が大きいたこ焼きが食べたい。楽しいことよ、あれ。