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10月, 2022の投稿を表示しています

ターンバック。

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  車を運転していて、サングラスを経た海面の太陽の光は、 強くて。 海辺を歩くと、風が寂しくなくて、温かい。 光も温度も温もりがあって、 浜辺の海の水が綺麗だ。 小さなピアノの音は、人がいることを知らせ、 とても良い音だと思う。 (男らしく、というか根性を出そう。 情けないなりに、もっと気合を入れて。ちょっと、男として情けないな。)

近所を歩いて。

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  唐辛子は赤くて力強い。 RAW、で撮って、そのままなのに、 こんなに、元気で美味しそうだ。 とても辛いけれど、多分想像すると、 この唐辛子は 元気だせよ、と。 味わいと強さをくれるのではないか。 (うじうじしてんなあ、と自分を思う。人に嫌われないように、とか。嫌な部分がある奴だったんだよな。感じが悪いな、ということに気付いたのは良かった。前向きでいたい。前向きなことを考えて、人や自分の状況が良くなって。自分の手柄とかじゃなくていいから、そういう風でそういう流れにいたい。そういう仲間にも出会いたい。いるよね、そういう人。今まででも見たことがある。どう思っているのか、分からないが。自分の脳内がもうその人、になっていて。そうなんだ、と思っていて。そして、自分もそれが良くて、それが良い、と思っている。私は女性の気持ちが、センシティブなところがまるで感じられていなくて。私はばっちい、けれど。傷付いただろうな、と思うけれど。どう思っているか分からないけれど。幸せに。どうせなら、一緒に幸せになりたい。共に道を歩みたい。大切にする。努力する。)

わたしたちはみんな、生きている。生きている。恐いから書けなかったけれど、戦争なんかしている場合じゃないぜ。もっと、やることある。

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  印象的に。 心に光が差し込んだ時のこと、 太陽が陰って、また光が現れる。 その時のこと、 それから生きていると、道を歩いていると。 そんなようなことがよくあって。 通り過ぎて、 風が旅をするような気持になって、 その風を鼻から吸い込む 気持ちで、 生きたいものだぜ。 ぼけっと、週間、いや月間というか。ぼけっとし過ぎることを許している。 求めなさい。 そうすれば、与えられます。 捜しなさい。 そうすれば、見つかります。 たたきなさい。 そうすれば、開かれます。 の壁に貼られている。以前の教会の御言葉カードが今目に入った。本当に。 腐ってはいないけれど、怠惰だな。 捜すのいいな。見つけよう。 叩くのは、うーん。控えめに、ドアをこんこん、と小さく叩いているような。 求めているけれど、妄想で終わっている。 色々書いたけれど、消えてしまった。ここまででいいか。

矛盾

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  この時のことを。 見たことを。 楽しかったことを。 苦しくなったこと。 恥ずかしくなったこと。 幸せだったことを。 変わったことを。 遠くで見ているだけで良いのだけれど。 いつまでもこのままではいられない。 眼を瞑って、やり過ごして、 本当は求めている。 笑った数だけ幸せになることを。 元気がないの食事が原因ではないか、と思った。バランス良く野菜やたんぱく質が取れていないのではないか、と。朝昼、でApe のパン一つか、コンビニのおにぎりと揚げ物1つずつで夕食もバランス良くでは暫くなかったからでは、と。食事と運動。変えて行こう。寝過ぎないように。変えて行こう。キンパ作ってみたい。だから、運動。ギターと英語、ずっとやっていない。のらだ。工夫したいものだ。今年は頑張ろう、と思って、もう10月後半だ。何したかなあ。本を読んだな、くらいの記憶しかないぞ。身になることは。ギター、英語は中途半端に取り組んだ。太ると思って料理欲が減退したが、カロリーのあるものを作ることが多かったから、美味しそうな野菜を使った料理に挑戦したら、どうだろうか。何より運動ね。気温が低くなって来てから、コーヒーが飲みたくなり始めて。本当に時々飲んでいる。美味しい。コーヒー豆買おっかな。どうしようか。このまま自分、生きてくのかと思うが年を経て行く。年を取るのだ。今はまだ焦りはない。なぜだろうか。自分のことには大きな変化はないが、物事は動いていて一応泳いでいるからなのだろうか。そして、甘んじているのだと思う。変化が少ない、眠りの日々に。それでも、何か自分のことになることをしている日々に。いつか、という希望を持っているから。

元気だそうぜ。

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  気持ちを静めて、思い返す。 良い想い出。 人、自分、痛み。 日常の光。 損、得ではない境目。 自分なりの道。 歯車が狂うと、 よく眠って明るい陽を浴びる。 良い未来だと良い。 今年は釣りに行く気が失せていて、行っていない。でも、そろそろ行きたいな。行きだしたら、もっともっとになるはずだけれど。どうだろう。 今年は去年より様々にやる気がない。多分、運動不足、とか運動不足の上に昔よりは年を取っているから。もともと、そんなに覇気がない方なので、身体の調子を整えることで気持ちの元気も養わなければならない。ウォーキングもしてねえな。 自分ができることは、限られていて何でもできる、程には思っていないが、しかし、それに近く思い始めていたところがある。間接的なことに、だが。つまり、何かを思い付いたり、自分の考えが多分正しく、そうすれば良いのだ、とか。仕事をしていた時のことを思い出そう。そんなにできた方じゃ無かったよね。美しい文章だな、とかネットを観てやっぱそうだよな、とか思うけれど。結構、皆思っていることだったりするのだろう、とも思う。でも、文章については自信がついたか。審美眼がある、みたいに思っているのか。美術館に行って養おう。それは好きなことだ。好きな人が思うように、私も絵や写真やなんやをぶつくさ、ここがすごい、と思うのが好きなのだ。今、思うだけでちょっと気分が上がってきた。美術館巡りをしたいものだ。自分の写真はどうも、思ったようには撮れないし、現像できない。写真の知識を身に付けようとすることもストップしている。ただ、歩いて撮っている。それでも、結構楽しい。一昔まえのブログを思い出すと、美術館何て自分が行くなんて、でも結構良かった。みたいな感じだったのだが、変わるものだ。写真はもうちょっと、上手くなりたいなあ。自分が思っている感じと、実際が結構違う。そんなもんだろうけど。ギターもそうだし、そう上手くいかない、というものがある。英語もそうだな。頑張ろう、自分、まずは運動して元気を取り戻すのだ。

八幡浜。

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  八幡浜へ行く。 街なんだ。 何かきもちがいい。 地元のにんにく買っておけば良かったか。 20個以上入っていそうで、980円。 宇和島より近いし、海もある。 そら、ちゃんぽんは食べるわな。 すっきりしている。 街並みが好きだ。 何というか、安心感。 小さい街が私は好きなのだろうか。 猫を見かけなかった。 健やかな時間の印象。

前向きに。

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  苦しくなっていたけれど、いつものようにまた戻ってきた。ドライブが一番効き目がある。後は夜の陰った中でスタンドライトに当てられた文章のテキストとかを見ながら自分の世界に入り込むことが、回復への一つの方法となる。 6年間。結構本を読んだ。時間があるからだ。ただ、さらにそれを活かすには気になったところに付箋を貼って、スマホかノートにその表題とページを書いておくべきだ。近年、それにやっと気付いた。今もできていない時がある。スマホへは流出するのが嫌だな、と思って避けてしまっている。でも、もう気にせず記録してみようか。 こののらの性質をどうにかコントロールしたい。本はしんどくなる本は、しんどい時に読むとあまり良くない。食事もちゃんと摂った方がいいだろうな。ちゃんと自分で作って。あとは運動。文句ではなくて自分が思っていることを、聞いてほしいものだ。ちゃんと、自分の記憶を整理してどういうことなのかを、考えてから。その上でどう思うかをアドバイスして欲しい。でも、それもしなくていいか。これからは、自分がどうしたいか、を自分に聴いて行きたい。冷静な自分に聴いて、恐がらずに自分が思っていることなのだから。それと、自分がそこまで良い人である必要はない。皆との関係を取り戻すことではないと、道は切り拓かれない、と言っていた。年を経て行く。年を経て自分に身に付いたこともある。恐がらないことだ。自分は頑固だ、そう思って自分にとって大切なことは離さないように。そして、これから人生を学んで行く。ところで、自分にとって大切なことってなんなんだ。今思うところでは、自分の考え。間違っていたら、改めるが、自分が間違っていない、と強く思うなら、それを自分は大切に持っていること。強い力が生じても、戦わないとしても自分はそれを離さないこと。思っているだけでも。 これだけ、苦しんだのだから、辻仁成さんが言うように誰の人生だよ、って鏡に向かって言って前向きに生きたい。自分の人生が楽しくなるようにしたい。あとは流れに任せるしかない。

何度もやる気を出す。

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  やる気がなく、うじうじしている。よくうじうじする人間だ。料理は色々作るのはいいけれど、だから太るのでは、と考えてから意欲が減退している。あの日々、と聴こえて来たときに、確かにそうだった、と思った。今日は自暴自棄になろうか。いや、あまり良くないか。 子供のことは、現実味がない。しかし、現実的なことをゆっくり自分なりに考えて行こう。モンテッソーリの本を2冊買った。他の本も読めていない。私の情報源は本だ。法人についてはインターネットで調べられると思う。何法人が良いのかも分かっていない。ゆっくりだ。情熱の火で乗り越える勢いがないが、弱火でことこと煮込んで行くように。果たして出来るのだろうか。現場も見ていない。よく知らない。出来ないだろうなー、と思っているの人もいるだろうけれど、私はしつこさでそれに取り組む。触れさせて貰いたいのだが。私のことがない、その本当の現場の空気に。時々、思い出すことがある。自分が普通でいられたときのことが日が差し込むように。勢いがなくなったな。無理と分かっていても、電話くらいはして、現場の問題点とか聴いていただろう。男だから現場には関わらせて貰えないだろうけれど。男は怪しい人がいるからな。自分もそういう風になりたくないし、そういう風に見られたくない。仕事もせず、男で一人でいると心がやつれることを知った。自分の場合、教会があったから良かった。 ブログを見返してはいないけれど、内容に面白さが減っているのではないか、と思った。言い換えると若さが。44歳だもんな。はー。自分が悪いとしても、結婚して子供が欲しいもんだ。家族の温かさを経験してみたい。これも自分にとって現実味がない。世知辛いことを結構経験して。自分が普通ではない立場だとは分かった。でも、普通でいたい。でも、詩や小説で生活のお金を稼ぎたい。それと、アイデアで何か評価されて、莫大なお金を稼いで、子供が将来に希望を持てるようにしたい。そういう立場だからこそ、特別を経験するんだよ、とか思って貰えることがしたい。ハッシャダイはいいな。学歴がなくても、大企業に就職ができることを支援している。まあ、だいたいやる気で変わるよな。妄想だと勢いが出始めるのだが。決めないとな、考えることを。口だけにならないように。いつ、そういう日が来るのか分からないが、ある程度の準備ができているように。でも、ゆっくりだね。自分も暫

めくるめくりの日々。朝起きよう。

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  ちゃっと、撮った写真だからメンタルを気にしているのが、分かるのが恥ずかしいがまあいい。 生活の仕方が良くない。体力が落ちているのが分かる。若い頃とは違うのだから、生活のリズムをちゃんとして。このままだと、良くないので何か考えた方がいいかもしれない。昔、お医者さんが言ったのはご褒美があった方がいいかも、とアドバイスされたのだが。コーヒーは今は飲まないし。ちょっとした何かいいことがあった方が良いな。体力が間違いなく落ちている。食事もな、お昼にパンを1個と夕食までの中間にコンビニの揚げ物を1個、という食事になっていて、でも、ちょっと痩せてきているのが嬉しくて。2㎏痩せてから、リバウンドをしていないのが嬉しくて。まあ、でも暫くはそれでいいか。朝とにかく起きろ。9時でいいから。ある年になったくらいに後悔すると思う。 豆塚エリの本も写っている。これはちょっと、わざとだ。今、気分が穏やかモードではないから、丁寧に本について書けないけれど、そして、私はしつこいな、と思うけれど。また、書きたくなって感想を書くと、彼女が病院でリハビリをしている時に、詩人だった先生から貰った詩。 病室に窓はありますか 心の窓は開いていますか 心の窓を開きましょう 詩を書く人にとって、大切なことを詩にしてくれているな、と思った。それと、一人の人にそれぞれ物語があるのだろうな、とちょっと思った。そうでない、と言う人もいるかもだが。 著作に載せてある詩は個人的には女性の詩で。今生きている場所で明かりを灯らせている詩人の詩(うた)だと思った。 一人の人のどこか健やかな道のりに今でも、元気を貰っている。 心の窓は安全だ、と思った時に開きたい。だいたい、一人の時だな。 さて、と。明日は誕生日だ。寝過ぎ、を正して、明日は徹底的に部屋の掃除をするのだ。今日は気持ちが出遅れた。今日の夕食のメインはイトヨリの塩焼きだ。魚焼き機の下の金属部分には油ではなくて酢を塗るのだ。油でも良いが酢を塗ることで魚が引っ付かなくなる、と知って、油のぬるぬるより酢の方が好みで魚を焼く時はそうしている。 44歳になるにしては頼りなく、情けない感じで。顔つきも情けない感じの時があって、頑張れ自分、と思う。三浦宗一郎さんの(呼び捨てにしたいが、しょぼいのでできない。豆塚エリは呼び捨てにできるのに。三浦くんはかなり年下だぞ。頑張ってくんをつけたが

わざわざ、自分で生きづらく生きないようにしたい。

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  豆塚エリの(さん、という感じではなくて呼び捨てが今書く段階ではしっくりくる。)「死にたい気持ちが消えるまで」を読了した。高校生の時に飛び降り自殺を図り、車椅子になってからそれからまでの話だ。過酷な少女時代の話でも文章が嫌にならない。もちろん、少女時代の良い思い出も描かれていて、私は励まされた。正直な本当に自分のことを書いておきたくて、妙な抑揚をつけず、書いていたのだな、と思った。本当に思っていることを。昨日4分の3を読んで今日読み終えたのだが、昨日は豆腐メンタルと言われるようなしょぼい自分の心が頑張ろう、と思えるように気持ちがむくむくと起こって。お医者さんとの話をそんなにブログに書かない方がいいのだが、衝撃的なタイトルなんですね、とお医者さんは言っていて。本人は本当の気持ちでこのタイトルにしたのだと思う。生きづらさ、というのは自分はよく経験する。人生をやり直してきたつもりのことも、積み木が崩れたように自信を失った。でも、自分のことを考えると、それはただ失っただけではないのでは、なかろうかと少し思っている。そう思っていた方がいい。あなたのつらさは、私のつらさは、紛れもなく本物だ、と言う。しっかり、時に逃げて休んで、でも、しっかり生きたいものだ。